2013年9月8日日曜日

新幹線計画業務(その6)生産性運動が強行

発足時67名であった職員がS45.4に320名に増加した。これに伴い、組合組織化が急がれた。
4月に青年部長を受任したが、それは正式に選出されたわけではない。このため総会開催の準備に取り掛かった。
役員選出のため、本人に同意を得る等の根回しが必要だった。総会開催の必要条件として、国労本部の運動方針を把握し、それに逸脱しない広幹工分会青年部としての活動方針案を自らまとめる作業があり、それに没頭した。この仕事は宿舎に帰ってから夜遅くまで数日を要した。

総会では管理局から工事局に配転された職員から、運動方針が生ぬるいとする意見が出たが、活動方針、役員選出とも原案通り承認された。
このころから当局による生産性運動、いわゆる「マルセイ」が強化されることになり、組合つぶし工作が露骨に表れてきた。立場として、それに反する行動をとらざるを得なくなった。
分会執行部も発足して団体交渉開催時には出席を求められた。

マルセイ運動の一環として「青年職員の意見発表会」なるものを全国規模で開催されることになり、広幹工では各課一人の割り当てで青年職員に意見発表の論文を書かかせ、それを全職員の面前で発表させ、優秀発表者を選考して本社が全論文を審査して国立競技場付近にある「日本青年館」で発表会が行なわれるという。
私は当局のマルセイ運動に疑問を持っていたので、自分の考えを示そうと決心し、論文を作成して提出した。
1,2週間後に数名の発表者による局内意見発表会が開催された。
講評の後、優秀発表者の表彰式があり、私の意見が最優秀賞に選ばれて東京の発表会に出席することになった。本社選考には及ばず傍聴する権利だけ与えられた。

本社が選考した発表者は20名。
全ての発表者が国労を批判する意見であった。聞いていて吐き気を催すほど露骨な意見で占められていた。これでは国鉄の将来は益々暗くなるばかりという予感を持った。
私の論文は仕事に対する心構えについての意見内容を展開した。国労批判は皆無。
従って、本社選考の対象外のしろものであったことになる。にもかかわらず、広島新幹線工事局の幹部が広い見地から、私の意見を選考してくれた度量に、「技術屋」の心意気を買ってくれたのだと感謝の念を持った。

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