2013年6月6日木曜日

青春時代の真ん中(その5)青春の血のたぎり

課の青年部とりまとめをするようになり組合事務所に出入りする機会が増えた。
組合事務所は本庁舎の別館として建てられた木造2階建てで古ぼけた外観にそぐわない「新館」と呼ばれていて2階が大会議室、1階に和室が二部屋あって、その奥に間口2間、奥行き6間のスペースが組合事務所になっていた。
事務所の玄関前には、国鉄労働組合名古屋地方本部岐阜工事局分会と表示された看板が掛けられていた。
昭和43年御用始め、組合関係者の年始顔合わせ
分会執行委員長、書記長はこの事務所に常駐していた。いわゆる「やみ専」であった。執行委員長は係長クラスが選出されていて任期が2年。地本の執行委員長は組合の猛者であったが、岐阜工事局の分会執行委員長は職員代表者として当局と「なあ、なあ」関係で組合業務を取り仕切った。
工事局の業務体質から、地本の当局に対するスタンスとは馴染めない部分が多くあった。
だが、40,41年新規採用者が全職員の3割を占めるようになって、分会執行部を突き上げる雰囲気が出てくる場面があるようになった。
国鉄組織に工事局が全国に7か所設置されていた。組合は地本関係よりも、その7つの工事局分会が全国工事局労働組合協議会を結成して、工事局職員の労働条件改善要求を本社建設局と協議しながら待遇改善に努力した。近代的設備の整った独身寮の設置、老朽化した木造宿舎の高層アパート化、超過勤務、旅費の増額交付等に当局も誠意を持って対応してくれた。本社は国鉄合理化の先兵となっている工事局労働者との良好な関係を維持せざるを得なかったのである。
新採で若手職員が増加する中で、青年部活動が活発になってきた。
夏になると青年部主催のキャンプ交流等が盛んに開催された。
各課青婦部交流会・伊吹山
昭和42年郡上八幡キャンプ祭典
青婦部幹部の集会
スイカ割競技・見事ハズレ
昭和43年工青協西部ブロックキャンプ祭典
各課青年部とりまとめ役一同
古マクラギを持ち込みしてキャンプファイヤー
いろいろなゲームを企画演出した
昭和44年工青協西部ブロックキャンプ祭典・秋吉台
秋吉台ユースホステルで1泊
岐阜からこんなに大勢が出かけた団結力は凄い
国鉄に就職することになって帰郷した際、親父が「組合運動だけはするな」と忠告した。しかし、自分一人が皆の行動に背を向けることはできなかった。
昭和44年4月には副青年部長に祭り上げられていた。



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