時は昭和45,6年頃だったと思うが、広島在勤の際に東京に出張した時があった。東京に到着する少し前に、車窓から日本一の高層ビルが見えた。よし、業務が終わったら日本一の高層ビルを見学しようと思った。本社で仕事を終え、高層ビルに徒歩で向かった。日本一と称するだけあって遠くからでもビルが見えた。しかしビルは見えていても中々遠かった。
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他のビルを圧倒していた |
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あれから50年、霞が関ビルはどこ?議事堂の手前に位置する |
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昭和45年~47年まで日本一を誇った霞が関ビル |
目的地のビルは国会議事堂傍の「霞が関ビル」だった。36階建て日本一のビルに入って1階から徒歩で上階を目指して歩いた。5階でここは何だろうと不思議に思った。ビリヤードの台が複数台あって、壁に「伊達・島津・前田・・・」と、映画俳優みたいな名札が並んでいるではないか!ここは旧華族の施設だったのだ。現代にあっても、そんな旧華族が交流している場があるとはいささか驚きだった。敷地の一部は旧華族・霞会が所有している。
あれから50年の歳月が経った。トホホだ。
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