家の裏にある細い空き地を畑にしていたが、今年も遅ればせながら3日前に石灰を撒いて耕した。あと2,3日したら苗を買ってきて植え付けのつもりでいる。PCに保存している写真を見ていたら20年前の写真が出てきた。孫二人が裏の畑でミニトマトやキュウリを収穫している写真だった。
7歳と4歳の孫が収穫作業中 |
家の裏にある細い空き地を畑にしていたが、今年も遅ればせながら3日前に石灰を撒いて耕した。あと2,3日したら苗を買ってきて植え付けのつもりでいる。PCに保存している写真を見ていたら20年前の写真が出てきた。孫二人が裏の畑でミニトマトやキュウリを収穫している写真だった。
7歳と4歳の孫が収穫作業中 |
昨日は快晴、かつ、風もなく暖い絶好のウォーキング日和だった。町内の中ほどを歩いていると新築中の工事現場があったので、立ち寄ってみた。町内では、先代が新築した住宅を売却し、その物件を購入した住宅販売会社は住宅を取り壊し、2分割した土地に新築住宅を分譲している。こんなタイプの住宅はもう20~30棟を超えていると思われる。
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1区画2分割し2棟の分譲とする住宅 |
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森本駅前付近から高速道に向かって歩いた |
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駅西広場の一角にピンク色の花が満開だった |
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わが家では能登キリシマツツジが満開! |
2千万円で巨大なイカのモニュメントは無駄だという議論がかしましかった。3年ほど前に実際にそこに行ってきた。実は、この場所に隣接してガソリンスタンドがあるのだが、そこのジャストポイントに能登線建設事務所の小木工事区があった。事務所と独身寮が一体となった建物があり、奥の客間から九十九湾が手に取る近さに見ることができた。
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ガソリンスタンドの場所に能登線建設事務所があった |
何せ63年も前の写真 寮のおばちゃんたちはもうだいぶ前に亡くなられたものと思われる |
花見の写真があった (モノクロからカラー写真にした) |
時は昭和45,6年頃だったと思うが、広島在勤の際に東京に出張した時があった。東京に到着する少し前に、車窓から日本一の高層ビルが見えた。よし、業務が終わったら日本一の高層ビルを見学しようと思った。本社で仕事を終え、高層ビルに徒歩で向かった。日本一と称するだけあって遠くからでもビルが見えた。しかしビルは見えていても中々遠かった。
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他のビルを圧倒していた |
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あれから50年、霞が関ビルはどこ?議事堂の手前に位置する |
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昭和45年~47年まで日本一を誇った霞が関ビル |
目的地のビルは国会議事堂傍の「霞が関ビル」だった。36階建て日本一のビルに入って1階から徒歩で上階を目指して歩いた。5階でここは何だろうと不思議に思った。ビリヤードの台が複数台あって、壁に「伊達・島津・前田・・・」と、映画俳優みたいな名札が並んでいるではないか!ここは旧華族の施設だったのだ。現代にあっても、そんな旧華族が交流している場があるとはいささか驚きだった。敷地の一部は旧華族・霞会が所有している。
あれから50年の歳月が経った。トホホだ。
レッドロビンを敷地境界に沿って垣根にしているが、毎年この時期になると、隣の敷地に枝がはみだしたり、垣根の天端があちこち伸びすぎの枝が目立っていた。そしてようやく剪定を終えたのが3日前。荒れる前日までに作業を終えたのでホッとした。そのほか、アンズや梅の枝が隣接地にはみ出ていたので、これも剪定した。
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生け垣は手間がかかる |
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枯れた枝を切ったのでバランスが良くない しかし、新たな芽が出て今年は花が咲きそう |
まだ2年9カ月しか経たないというのに来館者数が300万人を超えたという。この数字の中に町内のサロンで1回行った分が含まれているだろう。それにしても凄い数字である。全県民が3回という計算になるが、殆ど毎日行っている人もあるだろう。
アニメとのコラボ企画が好評だったことや、さまざまなメディアで取り上げられ、石川県内だけでなく、全国各地や海外からも多くの人が訪れているという。県立図書館は3年前の2022年7月に金沢市小立野にオープンした。地上4階、地下1階の大規模な施設で、およそ30万冊の蔵書に加えて「子どもエリア」なども備え、昨年度は日本図書館協会の建築賞を受賞した。
昨年度の来館者数は前の年度より16万人余り増え、119万2832人で、オープンから2年9か月で累計の来館者数は、300万196人になったという。
さて、自分としては次回は何時に?
利尻島の旅行で、バスガイドが「ちょっと集まって」と言って明日の予定について話し始めた。早朝に旅行予定にない場所に行くので希望者は6時までに集合してくださいと指示があった。行先は「姫沼」という場所らしい。この日の夕食後にこれも希望者を募って夜空の星の観察に出かけた。翌朝、6時にバスに乗り込み姫沼に向かった。10分前後で到着したが、降りてから10分ほど歩いた。視界が開け素晴らしい景色が見えた。
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ここから左側の歩道からスタート 遠く利尻岳が見える |
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心地よい散歩道を歩き始めた |
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右手に湖面を見ながら |
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あっという間の15分 素晴らしい散歩道だった |
幼い頃、母から聞いた言葉がある。それはタイトルに示した言葉だが、これは、海軍々人だった父が結婚して間もない頃に中国ハルビンに駐留していた ことから、奥能登宇出津から中国ハルビンへ遭いにいったという。幼い頃の話だからただフーンと云ったことを思い出した。
そんなことを思い出してハルビンは何処にあるか調べることにした。広大な中国の北部に位置していた。なぜ日本海軍がこんな遠い奥地に拠点を設けていたのか不思議に思う。幼い頃に親父のアルバムにスケートをしている写真があった。そこは極寒なので黒竜江という川が凍結するからスケートが盛んだったと語っていた。
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現在のハルビン市街地 |
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新聞掲載の写真 |
今朝の新聞で、オウッ!と思わず声が出そうになった。航空石川が校舎や寮が地震で壊れ、修復まで東京に移転中だった。帰れるのは4,5年後と報道があったが、今朝の記事で嬉しくなった。
14日以降、寮の一部利用可能 東京・青梅へ避難中、まず野球部など240人というタイトルの記事で嬉しくなった。![]() |
航空高校校舎 |
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駅舎右側の空き地に植わっていたが、今は伐採されたようだ |