ネットで急行能登路号を記録した動画があったので、それを見ていた時、金沢駅を出発し浅野川を通過して間もなく、立体交差する構造物が見えてきた。その橋りょうは思い出がいっぱい詰まった構造物だったので釘付けとなった。
昭和56年、岐阜市にあった国鉄岐阜工事局で金沢駅付近連続立体交差事業計画を担当していた。先ず最初は貨物ヤードの新設だが、金沢駅から新設される金沢貨物ヤードを結ぶ下り貨物通路線の立体交差となる橋梁の鉄骨製作が千葉県の取手工場で行われていて、その工場検査に立ち会った。それは、工場製作の鉄骨と現場打ちコンクリートの合成桁で、曲線となる複雑な形状をしていた。
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この立体交差橋梁の鉄桁設計を担当した |
そして重大な錯誤が発見された。何と、鉄桁の右カーブが逆方向に製作となっていたのだ。当然、その鉄桁は廃棄となり正規の設計で再製作された。その半年後、金沢勤務となりこの橋梁の現場施工を見届けた。
そんな思い出が蘇ってきた動画だった。
大の里の見事な土俵入り |
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