郷土に尽くすという仕事は偶然の巡り合わせで2回ほどあった。初回は能登線宇出津~蛸島間の建設工事であった。期間は昭和36年7月から昭和38年10月までの2年ちょっとだった。
2回目はそれから38年後の平成13年だった。仕事の内容は能登清翔高校のグラウンド整備だった。現地調査のため清翔高校に行って教頭に現地案内をして貰った。
そこは荒れた土捨て場という状態だった。柳田村教育委員会担当者の話では、柳田中学校建設予定地の造成現場から自衛隊委託事業として土砂を削って清翔高校の土捨て場へ運搬したという。
教頭と現場立ち会い |
排水不良 |
校舎側状況 |
ずっと向こうに集落がある |
現場立ち会いを終え、設計コンサルに詳細設計を委託した。その設計図を元に工事を発注し完成した。
取り付け道路も完成 |
北側に設けた道路 |
西側端部の道路と駐車場 |
自分が若い技術者だった頃はコンサルタントはまだ無かったので、測量から設計、現場管理まで全て一人でやったものである。ソロバンと機械式計算機の時代だった。時間がかかっただけに完成した構造物に愛着があったものである。
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