2019年2月28日木曜日

バカ売れ商品 25日間で1万個も

今月1日から販売を始めた商品が25日間で1万個も売れたという。それも店舗面積が1m四方の1㎡なんだとか。
その商品とは一体何なのか気になったので調べてみた。

記事抜粋

石川県、輪島朝市のプリン専門店ラ・レーヴ(運営:株式会社柚餅子総本家中浦屋)では、JR金沢駅 駅ナカの「おみやげ処金沢」との共同企画にて、石川、金沢の地元素材を使用した「金澤ぷりん・駅なか」を2019年2月1日(金)より販売を開始したところ、25日間で1万個(バラ換算)を販売する大ヒット商品となった。
商品名は「金澤ぷりん・駅なか」という。


3月1日より、株式会社柚餅子総本家中浦屋のめいてつ・エムザ店でも「金澤ぷりん」を販売開始するという。ボトルデザインは、加賀藩前田家の梅鉢紋とプリンカップを融合させて金沢らしさを演出した。
金澤プリン誕生の背景
輪島市のプリン専門店ラ・レーヴは、洋菓子づくりに携わりたいという女性社員の夢を支援するため、女性だけのプロジェクトとして発足。今では、輪島朝市で行列のできる話題のプリン専門店へとなった。そして今回、北陸新幹線開業で賑わうJR金沢駅の「おみやげ処金沢」の石川、金沢らしいお土産を全国のお客様に提供したいとの思いが重なり、両社の女性スタッフが中心となり「金澤ぷりん」を誕生させた。

なんだか朝ドラの「まれ」を思い出す発想である。
金澤ぷりんは、石川産の素材とフレーバを活かしたプリンだ。ふわふわトロトロのナチュラルプレーンをはじめ、加賀・能登・金沢の地域を感じられる味を金沢駅からお届けされている。 


ルビーロマンや五郎島金時といったネームバリューの高い人気商品を加工しているので、商品アピールがパッと目に入り宣伝効果が抜群なのだろう。


「ラ・レーヴ」は輪島朝市に2018年3月にオープンしたプリンの専門店。プロジェクトチームは全員女性からなり、フランス語で「夢」を意味する“reves”に、本来は女性名詞の定冠詞“la”を組み合わせた造語で、「女性たちの夢」を表現した。和菓子屋で働く女性の夢から、すべての女性の夢へと広がっていくことを期待しているんだって。
このほか、名鉄エムザ限定販売となる、石川県産ゆず(石川県内の2大産地の「金沢ゆず」(金沢市)と「國造ゆず」(能美市)の甘酸っぱく豊かな香りのゼリーとプリンが醸す味わいを楽しむことができるという。 

販売場所が、商品を並べ人1人が目いっぱい、たったの1㎡で25日間という短期間で1万個が売れたという。これは大ヒット商品に間違いなかろう!




2019年2月27日水曜日

育て作物 チチンプイプイ! って何だろう?

「ノマジョ」、何だこれ?
記事の標題が、育て作物 チチンプイプイ! 「金沢農女」地元女性が結成 とあった。
「金沢農女」という聞いたことがない組織の設立総会が開催されたという。

市内で農業に携わる女性らが25日、農業女子グループ「金沢農女」を設立した。泉野出町2丁目の婚礼式場「ディスティーノブルックリンニューヨーク」で設立総会を開き、会員が女性の視点を生かして地域農業の活性化に取り組むことを誓った。
グループには女性農業者57人が集まった。愛称は農業と魔女の語呂合わせで「ノマジョ・カナザワ」とし、商品開発や販路の拡大に取り組む。
総会には約50人が出席し、会長に就いた小林二(に)伊(い)奈(な)さん(八田町)が「農業で金沢を盛り上げたい。意見交換してスキルアップにつなげていく」とあいさつした。基調講演では、同様の活動に取り組む長野県の「NAGANO農業女子」の会員が成果や課題を発表した。交流会も開かれた。 
 
交流会で親睦を深める会員=泉野出町2丁目の婚礼式場
女性ならではの視点や感性を生かし、食べるスープなど新商品の開発や販路の拡大などに取り組む。魔法を掛けるように農業の魅力を広め、担い手確保につなげるという。
研修や意見交換会などで親睦を図りながら、規格外の野菜を使った具だくさんな「食べるスープ」の商品化や、従来より容量の少ない出荷用米袋の製作などを進めていく計画という。

市内で開かれる物販イベントへのブース出店などにも意欲的で、メンバーそれぞれのノウハウや人脈を活用しながら商品のPRや、販路の開拓を目指す。
これまで市とJA金沢市などが2017年6月に「金沢の農業女子力向上委員会」を発足し、農業分野で女性が活躍しやすい環境をつくるため、グループ設立へ準備を進めてきた。 

今日もすっきとした青空ではないが予報は晴れ。昨日は1日中太陽が眩しく輝いていた。
この時節、雪解け水で土砂崩壊が発生する場合があるが、昨日は金沢市が地盤に緩みないか、融雪期を警戒した土砂災害パトロールを実施した。


金沢市の融雪期土砂災害警戒パトロールは26日、市内の丘陵地にある住宅団地で始まり、市職員が地盤の緩みや湧水がないかなどを点検した。
山王町2丁目の山王団地では、職員4人が斜面にポールを当てて土の軟らかさを確認し、表層が崩壊する危険がないか調べた。市によると、午前中のパトロールでは、東長江町の高田団地で傾斜地の下より上が張り出す状態である「オーバーハング」が見つかり、市は近く地元町会に文書で注意喚起する。


パトロールは3月1日までで、過去に雪崩や土砂災害が発生した12地区の市道、県の土砂災害特別警戒区域に指定されている31団地で行う。

昨日は山王団地2丁目地内で実施されたが、実は二十数年前までこの団地の1丁目に居住していた。2丁目ほど高い崖はなかったがリンゴ畑だった山の斜面を開発した団地だったので、山沿いの地域でやはり何回かがけ崩れが発生した。
しかし、春になると雉の鳴き声が聞こえたり、庭先に植えたウメノキにメジロが群れを成して花の蜜を吸いにきたり、のどかな環境の住宅地であった。

2019年2月26日火曜日

金沢でも「カワヅサクラ」が咲いている!

昨日も今朝も青空が広がった。すぐそこまで春がやってきた感じである。気の早い人はタイヤ交換を済ませたという。だが、油断大敵。昔の話(30年ほど前)になるが、3月20日過ぎの晴天の日にもう雪は降らないだろうと雪吊りを外しタイヤ交換をしたことがあった。ところが翌日の朝、何と20cmの積雪。その雪はたっぷり水分を含んでいたので重く、庭木の枝が随分折れたことがあった。
だからタイヤ交換は4月上旬がベター。かつてのスパイクタイヤならいざ知らず、今のタイヤはノーマルと殆ど変わらないから万一のため急ぐ必要はない。

晴天の日が続くせいか、春の足音が聞こえてきた。
昨日の夕刊にフキノトウの写真が掲載された。

北國新聞 2/25夕刊
昨日の県内は4月並みの暖かさだったという。今朝はちょっと寒いがこの晴天、ウオーキングであちこち歩き回りたい。
そして朝刊1面には犀川堤防沿いにカワヅサクラが咲いている写真が掲載された。


カワヅサクラといえば伊豆の河津町の桜が本場。金沢にもカワヅサクラがあるなんて、うかつにも初めて知った。「犀川桜千本の会」が平成17年から植樹をしていると記事に書いてあった。示野中町の堤防とあり、決して遠いところではないので行ってみようかなぁ。


2019年2月25日月曜日

30年前のウスラッとした話は本当だった

北陸新幹線東京・金沢間が開業して4年目、金沢以南の工事も全面的に建設工事が繰り広げられている。敦賀までの開業は4年後の2023年に設定された。
今から遡ること30年、清算事業団に帰属した旧国鉄用地の更地化工事が全国的に施工されていた頃、この調査業務で敦賀駅に何度も足を運んだ。現在、駅前の右手(線路を背にして)に建ち並ぶ住宅の土地は下り貨物線群があった場所である。

そんな関係で北陸新幹線の駅が何処に設置されるか関心が強かったが、敦賀駅に新幹線駅が併設することは新北陸トンネルとの関係でルート的に非常に困難なのだという話が囁かれていた。
それから30年経た今日、新聞で新幹線敦賀駅計画概要を知ることが出来た。30年前の想定どおりである。

30年前の計画ルートが実現
連絡通路イメージ図
この位置だと道路とのアクセスはどうなるのか気になったが、木の芽川と駅舎の間に駅前広場を整備して既設道路と結節する計画となっている。


かつて敦賀港は対岸貿易で隆盛を極めていたが、七尾港も小樽港も往時の活気は失せてしまった感がある。どの港にも引き込み線があり、隆盛を極めていた時代があった。

グーグルの地図で新幹線駅部を表示
敦賀駅から大阪までの新幹線開業は当分先の話となっている。開業までの間、利便性を図るためフリーゲージトレインの導入が検討されていたが、技術的な問題解決に時間がかかる見込みとなって取りやめに決まった。

フリーゲージトレインの実験運転(熊本で)
この新幹線建設で道路と新幹線を併設した橋梁が工事中である。

新九頭竜川橋梁建設工事
敦賀まで開業すれば大阪方面は乗り換えが必然となる。さて、めでたく全線開通する日をこの目で確かめることができるか「びみょう」だなぁ。





2019年2月24日日曜日

限界集落の救世主

昨日のニュースで、酒造りネット募金 目標達成 本年度産 早くも売り切れへ という記事があった。

羽咋市神子原(みこはら)地区の特産「神子原米」が好調だ。今月から同地区の農産物直売所「神子の里」が始めたインターネットを活用した純米大吟醸酒造りの募金は、目標の二百万円を達成し、新たに二倍の目標額を設定した。また、本年度産の米は、例年より四、五カ月早い今月で売り切れる見込みだ。代表取締役の武藤一樹(いちじゅ)さんは「酒造りを含め、神子原米を発信していくことが里を守ることになる。一緒に夢を見てもらえれば」と呼び掛ける。

この記事で神子原米に深く関わった高野誠鮮さんという人を思い出した。「あなた様に召し上がっていただく可能性は1%もないでしょうか」という質問状を書いた宛先はローマ法王だったという。書いた人は高野誠鮮羽咋市役所職員だった。
当時を振り返って高野氏曰く、「日本のローマ法王庁大使館から電話が来たのです。失礼な手紙を送るなと怒られるだろうと覚悟しましたが、大使がお待ちになっているので大使館にすぐ来るようにとの連絡でした。大使室で言われたことはいまだに忘れません。」、「神子原というのは、500人以下の小さな村ですね。バチカンは800人しかいない世界で一番小さい国です。私が小さな村と国の架け橋になりましょう」。お米を法王様に献上してくださるとおっしゃってくださいました。 

スーパー公務員といわれた高野誠鮮さん
 4年ほど前になるが、この人の講演会を聞く機会があった。限界集落といわれた羽咋市神子原地区を見事に蘇らせた功績は高く評価されてやまないのだが講演も非常にわかりやすいのだ。
 「可能性の無視は、最大の悪策」がモットーだという。
限界集落の対策を命じられた高野さんは、「限界集落脱却の予算は60万円。自分を崖っぷちに追い込んで、知恵を絞り尽くそう!」と決意したという。

神子原地区のたんぼ
そして何と何と、
会議はしない……上司にはすべて事後報告……だという。
村人が認めない人は移住させない…… という方針を貫き、
JAのシステムに反旗を翻し、農民が値段をつけるシステムの直営店をオープンさせた。

はたまた、
サッチャーやゴルバチョフ、レーガンに羽咋のPRをお願いしたり、市に残る古文書を強引に解釈して羽咋をUFOの市にしたり、本物のロケットをNASAから格安で買って日本初の宇宙博物館をつくったり……

宇宙博物館
28歳までテレビの構成作家をされていた高野氏は、なぜ公務員に転身されたのだろうか。 という質問に対して
私が、故郷である石川県羽咋市にUターンしたのは28歳の時でした。当時、テレビ番組「11PM」などのUFO特集に構成作家として携わっていましたが、560年続く由緒ある寺の跡継ぎとして帰らざるを得なかったのです。兄が実家に戻る気がないことがわかり、自分が継がなければ故郷がなくなると思っての決断でした。ただその時、父親は健在で、檀家100軒ほどの寺に住職は2人もいらないことに気づき、羽咋市役所で月給わずか6.8万円の臨時職員の募集があったので応募し、1984年に採用されました。翌年には、寺を継ぐために、日蓮宗の40日間の修行を終えて僧侶の資格を取りました

上司と折り合いが悪く、「おまえみたいなヤツは、農林水産課に飛ばしてやる」と言われ、2002年に異動になったのがきっかけだったという。

その時に楯になってくれたのが、農林水産課の上司でした。彼は、「コスモアイル羽咋」での実績を評価してくれ、あいつだったら何とかしてくれると期待してくれていました。何よりも、「俺の定年まであと3年。その間、何をやってもいいぞ。犯罪以外なら、俺が全部責任を取ってやる」と言ってくれたのですと語った。 

今時、このような理解のある上司に巡り合うことは滅多にない。高野さんは幸運だったといえる。そんな人がいて安心して自分の思うがままの采配で限界集落どころか数々の奇跡に近い功績を残された。

退職されて3年、現在ここに勤務されている




2019年2月23日土曜日

120万円で空中散歩ができるドローンが買えるけど

ドラマや旅の番組を見ていると、数年前までは考えられなかったシーンが映し出される。それは「ドローン」に搭載したカメラで撮影されたものである。
カメラの性能がとても高くなって精緻な画面が映し出されている。

そのドローンも進歩が目覚ましい。

人を乗せて空を移動する有人ドローンは、未来の交通手段として研究開発が進んでいる。スウェーデン在住のエンジニアであるAxel Borg氏は、長年の研究開発の結果、72個のプロペラで空を飛ぶというなんとも奇抜な一人乗りドローン「chAIR」を一人で開発し、密かに注目を集めている。

ドローンの操縦席
Borg氏はこれまで、“amazingDIYprojects” というハンドル名で個人で取り組んでいる有人ドローンの開発状況を、7年間にわたりオンラインへ公開してきた。クワッド(4つのプロペラ)スタイルをベースに試行錯誤を重ね、最初の作品から20機目で、人を乗せて飛ばすことに成功している。その時は、縦長のローターを左右に配置するというデザインだったが、そのあとなにかがひらめいたのか、最新作では72個のプロペラを使って安定飛行を実現させるアイデアを思いついたようだ。

自転車並みのスピードで空中散歩ができる

そうして出来上がった試作品は、離着陸も含めて安定して人を乗せて飛ばせるパワーとバランスを備えた機体に仕上がった。1つの輪の中に18個のプロペラを配置した大型のプロペラを4つ取り付け、動力をオンにすると、それが羽のようにふわりと浮き上がり、そのままゆっくり空へと浮かびあがる。そのあとは3〜4mほどの高さを、自転車ぐらいのスピードで飛び回ることができる。試乗の様子を紹介したビデオは、スウェーデンの豊かな森の中で撮影されているのもあってか、まるでジブリアニメに登場する虫をモデルにした飛行機械のようにも見える。

問題は飛行時間の制約である。
8分間の飛行でバッテリーを57%消費するので、理論的には14分間連続飛行が可能ということだ。パーツは取り外しが可能で、全体の製作コストは約1万ドル(120万円)と、軽自動車と同程度に抑えられている。

開発者のAxel Borg氏
ただし、移動手段として使う場合は最低40分から90分の飛行時間が必要で、そのためのバッテリー容量を考えると、現在の自身が持つ技術で開発できることは限界があるとしている。
120万円でこのドローンを購入しても、国内では航空法の規制で地上1m以上を飛ぶ物体は制限されるだろうから残念ながら飛べない。

一方、ヘリと変わらない1人乗りドローンも既に完成している。

この有人ドローンは地上から100mくらいまで上がれるようだ
このドローンもバッテリーの容量で飛行時間が20~30分に限定されるという。いかにして大容量のバッテリーを小型化できるかが焦点である。
あのライト兄弟でも思いつかなかったドローンという代物。どんな製品ができるのか楽しみだ。


2019年2月22日金曜日

小惑星に着陸成功!

つい先ほど、どえらいニュースが入ってきた。ついにやったぞ!と感動した。ニュースのタイトルは

はやぶさ2、着陸成功 小惑星探査で偉業

宇宙航空研究開発機構(JAXA)は22日、探査機「はやぶさ2」が地球から約3億キロメートル離れた小惑星「りゅうぐう」への着陸に成功したと発表した。岩だらけの地表で半径わずか3メートルの場所を狙って着地し、岩石を取って数秒後に離れたとみられる。小惑星への着陸は、世界でも2005年の初代「はやぶさ」以来。極めて高い精度の着陸をなし遂げ、日本の技術力を証明するとともに小惑星探査で世界に存在感を示した。 
 
着陸想像図(JAXA)
地球からの距離3億キロ、小惑星「りゅうぐう」の大きさは何と直径約900メートルに過ぎない。そんな遠い場所へ、かつ極めて小さい惑星にロケットを着陸させる技術は世界中から称賛されている。

はやぶさ2の着陸前に探査ロボットが着陸した

りゅうぐうは重力が極めて小さいのでジャンプしながら移動したという
10年に小惑星「イトカワ」の微粒子を地球に持ち帰った初代はやぶさの後継機なのだが、
太陽系誕生の謎を解き明かすことを目指し、着陸時にりゅうぐうの岩石試料を採取。2005年に小惑星イトカワへ着陸した初号機に続く快挙となった。 
はやぶさは一時通信が途絶え絶望的状況にあったのだが、奇跡的に通信機能が回復し3年後に帰還を果たした。

現在りゅうぐうは地球から3億4千万キロ離れている。大きな岩で機体が傷つくのを避けるため、比較的大きな岩が少ない、半径約3メートルの限られた地域を選定。遠隔地で繊細な制御が求められる難度の高い着陸を克服した。

22日午前6時すぎには、運用チームが着陸への最終判断を下した。地球からの指令は片道20分かかる。そして見事着陸に成功したのだ。

「はやぶさ2」が目指すC型小惑星はS型小惑星のイトカワと比べるとより始原的な天体で、同じ岩石質の小惑星でありながら有機物や含水鉱物をより多く含んでいると考えられている。
地球をつくる鉱物、海の水、生命の原材料物質は、太陽系初期には原始太陽系星雲の中で密接な関係を持っていたと考えられており、始原的な天体であるC型小惑星から採取したサンプルを分析し、太陽系空間にあった有機物や水がどのようなものであったのか、またどのように相互作用し共存してきたかを探ることで、生命の起源にも迫ることができると期待されている。



2019年2月21日木曜日

フードピア金沢2019

この時季、金沢ではフードピア金沢というイベントを開催している。その趣旨は食材の豊富な冬に、石川の食(FOOD)文化とそれを育てた風土(フード)を満喫できるイベントとして、毎年2月を中心に金沢市内各地で開催されている。
フードピア金沢を通じて、奥深いながらも幅広い『金沢の文化』をご堪能くださいというのだが、庶民にとっては「高嶺の花」でありまだ経験したことがない。

フードピア金沢2019のイベントは多種多様に展開しているのだが、l月17日(日)に金沢の老舗料理「つば甚」にて「金澤老舗よもやま話」が行なわれたという。金澤老舗よもやま話は創業100年以上の歴史を持つ企業が集まる「金澤老舗百年會」の会員の料亭等に多彩な講師をお招きし、食談義をお楽しみ頂けるイベントで、フードピア金沢の恒例企画。2/4〜2/28の期間中に各8料亭で11回の開催を行われる。

つば甚は創業宝暦二年(1752年)で2019年で267年目を迎え、金沢市を代表する有名な老舗の料亭である。今回は講師の多田けい子氏(仕覆・茶箱作家)が実演や説明を交えながら、「茶箱の楽しみ」についてお話頂いた。
 

参加者からは「日本文化の素晴らしさを改めて感じた」「究極のおもちゃの世界を見るようで楽しかった」との感想が聞かれ、茶箱の世界を楽しんだ様子が見受けられた。
また食事に関しては「茶箱に合わせて箱弁当が出てきたのが面白く、楽しかった」「箱弁当(野点弁当)をもって遊びに行きたい」「思いがけぬたくさんの料理を美味しく頂きました」とのことで好評であったという。
金澤老舗よもやま話はフードピア金沢のメイン事業の一つとして毎年開催されており、金澤老舗百年會の料亭や飲食店を会場とし、百年會会員企業経営者や当地で活躍する文化人等を講師に招いて、食談義をお楽しみ頂ける事業となっている。 

雪見の宴

■よもやま話を開催&開催予定の料亭(および飲食店)
いしや、宮田・鈴庵、大友楼、松魚亭、北間楼、つば甚、元湯石屋、金城樓

着色した料亭名は行ったことがあるところ。実はそれにはわけがあるだ。
平成10年、転職した職場で職員の意見を聞く会が開かれた。
議題は忘年会の開催についてであった。何でも若手職員から「温泉へ行って忘年会するのはいや」という声が出ているからだという。
吾々の世代は忘年会は温泉でというのが当たり前だった。が、時の移ろいと共に、世代間で価値観の相違が顕著になってきた。

意見集約の結果、温泉で開く忘年会は廃止し、会費徴収は従来どおりとし、今後はその資金を「金沢の老舗料亭を回る」ということに一決した。このため、滅多に行くことがない高級料亭に行くことが出来た。金茶寮や山の尾、それに廃業が決まったつる幸は参加していないのかな?

[今後開催予定]
■日時:2月23日(土) 11:00〜14:00 ■テーマ:「鏡花と金沢の食」 講師 穴倉 玉日
■参加費:8,000円(税込)■定員:25名 ■会場:金城樓 
※会食後に講師の方に泉鏡花記念館をご案内頂きます(入館料は各自負担ねがいます)
■日時:2月28日(木)  19:00〜21:00 ■テーマ 「早春の金沢の食と音楽」 講師 直江 学美・黒瀬 恵
■参加費15,000円(税込)■定員:30名 ■会場:金城樓

老舗料亭が多く残る金沢では、昔から受け継がれている郷土料理をはじめとして様々な食をお楽しみ頂けるのでご堪能下さい。



2019年2月20日水曜日

10年以上も見守りしているが

昨日、Nさんから電話があり、今日の学童下校時の安全パトロールが所用の都合でできなくなった、水曜日で月2回の当番を引き受けてもらっているMさんも所用で都合が悪いという。なので、どうしましょうと相談があった。
特に用事がなければ私がやりますと返答した。明日木曜日が自分の割り当てられた当番の日である。

もう13年前になるが、自分が町会長をやり始めて数カ月たった頃、安全パトロール隊の町内責任者のNさんから、「6人のメンバーで週2回3か所で学童の交通誘導をしているが、町会で隊員を増やす対策を講じて欲しい」と依頼があった。
そこで、学童下校時の他の町内で何人くらいが誘導しているか実態調査をして見た。

小学校までの通学路で数ケ所の横断歩道に1~3人の誘導員が旗を持って学童を誘導していた。疋田の地下道まで調査したのだが、ある細い道の交差点に5人も立っていた。何でも誰から指示されるまでもなく、自発的にやっていると話された。
「それに比べうちの町内は協力者が少ないなぁ」とため息をついた。そして、なんとかせんなんと強く感じた。


町会の役員会で他町会のパト隊員の配置状況を説明して、当町会も隊員を増やす必要性を訴えた。副会長も手を挙げてくれ、一般募集もしたところ総勢28名となって、町内2か所で毎日二人配置の体制でスタートすることが出来た。
それから10年余が経過した現在、高齢のため、体調不調のためと隊員が減り続け、現在10名の要員である時は一人、ある時は二人の配置になってしまった。

2年前、責任者をされていたNさんが急に亡くなられ、平成18年以来当番表を作成していた関係で自分が責任者にならざるを得なく今日に至っている。
10年以上続けられた70代の女性は、「膝の痛みが激しくなって続けられない」と二人も引退された。
1年生と2年生の低学年を対象とした通学路の見守りなので、30分間ほど1週間に1度だけ協力してもらえる方、是非手を挙げて欲しい!と痛切に願っている。

2019年2月19日火曜日

アメリカも韓国も馬鹿げている!

アメリカでトランプ、韓国で文在寅が大統領になってから無茶苦茶なことが平然と実行されている。
アメリカのトランプ大統領は、メキシコとの国境に壁を建設する費用を確保するため、国家非常事態宣言をした。非常事態宣言は戦争や大規模テロ発生時などに、大統領に広い権限を与えるもので、ホワイトハウス側はメキシコ国境の安全保障上、人道上の危機を終わらせるためだと説明しているが、野党民主党のペロシ下院議長は、国家は危機状態にはなく大統領権限の乱用だと猛反発している。

選挙公約の実現のためなら強権発動もいとはない大統領は、歴史上トランプ大統領が初めてその名を刻んだ。


 記者会見でもあのCNNの記者が質問すると、「お前の質問は全てフェイクだ」と軽く一蹴した。日本でこんなことが発生したら大問題となるだろう。

一方の韓国、最近の動きが日々反日にエスカレートしている。
徴用工の補償金の資金とするため、差し押さえた新日鉄の株券を売却するという。
最近では韓国国会議長が暴言を吐き、日本が謝罪を迫ったが「盗人猛々しい」と開き直った。

昨夜は竹島で領海侵入が繰り返された
韓国が不法占拠する竹島(島根県隠岐の島町)周辺の日本の領海内で、韓国の海洋調査船が15日から侵入を繰り返していることが18日、外務省への取材で分かった。日本政府は外交ルートで航行目的などを問い合わせているが明確な回答はなく、状況を注視している。調査船は日韓外相会談が行われた15日に領海に侵入。毎年、22日に竹島返還を目指して式典などが行われる「竹島の日」が迫る中でも退去せず、実効支配を誇示している可能性もある。



産経新聞社とFNNの合同世論調査で、韓国は「信頼できない」との回答が77.2%に達し、韓国への不信感が膨らんでいる実態が浮かび上がった。レーダー照射問題や文喜相国会議長の発言もさることながら、関係改善より悪化を望んでいるかのような韓国・文在寅政権の態度も大きく影響しているとみられる。

「日本は盗人ではないことは誰でも承知している。その程度のことをこちらが真っ赤になって反論する必要はない。無視…」 とはいうものの、腹の虫がおさまらない今日この頃である。
世論調査を実施した結果、韓国「信頼できぬ」77% 虚言、逆ギレ…この3カ月で対韓不信が拡大 

レーダー照射はしていない、日本のいいがかり、低空飛行で威嚇したから逆に謝罪せよと迫っている。
日本を貶めることを楽しんでいる韓国に「痛い注射」をすべきと思う国民は少なくない。 


2019年2月18日月曜日

隠し田の飯?

毎年この時季になると、ご飯をてんこ盛りどころか、お椀に20cmくらい盛り上げた椀を持って食べている輪島の「もっそう祭り」の模様がニュースとなる。

ニュースのタイトルは こんもりご飯に豊作祈る 輪島で「もっそう祭り」 である。
住民が皆で山盛りのご飯を食べる「もっそう祭り」は16日、輪島市久手川(ふてがわ)町本村(ほむら)地区で行われた。住民8人が先人の苦労をしのびながら椀(わん)にこんもりと盛られた約5合のご飯を頬張り、豊作を祈った。


会場の久手川町集会所では、午前4時前から今年の当番の岡本和浩さん(57)らが4升の米を炊き、「もっそう」と呼ばれる円筒状の木枠を使って高さ20センチほどに盛り付けた。

めしを詰め込む木枠
住民はメギスのつみれ汁、ワラビのからしあえなどとともに食べ進めた。全員がご飯を残し、持参した重箱に詰めて持ち帰った。
祭りは藩政期の農家が役人の目を盗み、隠し田で収穫した米を満腹になるまで味わったことが始まりとされる。住民が持ち回りで当番を務めて継承している。

とても食べきれない
戸主代表のお母さん方も挑戦

江戸時代、年貢の取り立てに苦しんだ農民が「隠し田」で収穫した米で、白いご飯を
年に一度、腹一杯食べたことがお祭りの始まりとのこと。
早朝、4時半 久手川町の道端吉治さん宅で 6升のご飯炊きから始まりました。
ご飯は、一人5合のお米を、椀に高く盛りつける。

年貢のもとになるのは、言うまでもなく「検地」なのだ。 調べてみると次のような資料があった。
検地台帳は、耕地の広さはもちろん、土地の質、陽当たりの善し悪しなどまで克明に記録され、一定区画の土地からどれだけの収穫が見込めるかが算出されているという。

「検地」に基づいて年貢(税)が取り立てられる。
当然、この「検地」は、毎年調査されていると思いきや、なんと江戸270年を平均して、ひとつの村につき「2回」しか行われていないとか。
しかも新田開発したところは、開発時点で「検地」が行われているけれど、たとえば幕府直轄地などは、豊臣秀吉の「太閤検地」以来、検地は行われていないんだとか。

これがどういうことかというと、今でいうなら、「会計監査」が270年間、まったく行われなかったということなのだ。
平和だった江戸時代に、農業技術は非常な進歩を遂げ、江戸中期以降の1ヘクタールあたりの米の収穫量は、いまとほとんど変わりがないところまで進歩している。
それだけでなく、養蚕や、小麦、大豆、大根などの他の生産物の収穫も進んだ。


いまでいったら、明治初期の税率で、いまの所得を計るようなもの。
太閤検地の頃に定めた納税額で、いまの税金を納める。
となれば、実際には、脱税のし放題だった。

まじめなお代官は、これではいかんと検地を再施行しようとする。
すると農民は既得権を侵害されることになるから力一杯抵抗する。
まじめなお代官を「悪代官」と呼んでそしる。
お代官は、派遣された官僚ですから、民から不評が出ると、更迭の対象となる。
こうしてまじめなお代官(悪代官)がいなくなると、民ははたまた脱税のし放題となる、というわけとその道に詳しい人の話なのだ。


調べたら、「もっそう祭り」と全くよく似た行事が熊本地方にもあった。

めしの盛り方が輪島より少ないなぁ
わんに高さ20~30センチまで盛られたご飯を食べる「盛り飯祭り」が25日、山都町白小野[しらおの]の座元民家であった。地区に伝わる伝統行事で、かつて生活が苦しかった時代、年1回腹いっぱいのご飯を食べたのが始まりという。

座元には宴席が設けられ、住民ら約30人が集まり、数人の男性がご飯を固めながら盛り付けた。みそ汁や漬物などのおかずが食卓に並ぶと、「いただきます」の掛け声で一斉に食べ始めた。

箸で崩したり、直接かぶりついたりと食べ方はさまざま。多くの人が半分以上を残したが、山都署白小野駐在所の大野正雄さん(47)は4年連続で完食。「一気にかきこむのがコツです」というが、さすがに満腹のようで「晩ご飯は食べられません」。




2019年2月17日日曜日

原因は「能登有料道路が無料になった」から?

昨日の北國「時鐘」の一部だが、こんなことが書いてあった。

若者を都会に連れ去る交通網整備は悪政だったのかと問われれば、近代化の必然だったと言うしかない。それと同じことを七尾の商業施設が行き詰まったとの報道に思うのである。商業衰退の原因は地域経済の環境変化が大きい。だが、その一因に、道路事情の変化を指摘する声があったからだ。旧能登有料道路の無料化で能登から金沢方面に行きやすくなったというのだ。無料化は能登の住民にとってはよろこばしいことだった。交流人口)も増える 。しかし、一商圏の衰退を加速させたこともまた事実だろう。交通網整備の効果は大きくそして諸刃の剣である。 

七尾から金沢まで車で1時間半もあれば到着する。有料だった頃は今浜で360円、内灘で160円を支払った。往復1040円かかった。それが無料になり、家族そろって「金沢に行ってくっか」となって買い物も金沢でとなる。なれば地元の商店での買い物が少なくなる。
そんな理屈で パトリア 破産申請決定 七尾駅前、来月3日閉店 というニュースがあった。

七尾駅前の左側にあるパトリア
JR七尾駅前の複合商業施設「パトリア」を運営する七尾都市開発は十五日、取締役会を開き、経営悪化を理由に破産申請することを決めた。一、二階に入る店舗は三月三日に閉店する。買い物客などが集う駅前施設で、市民からは戸惑いの声が相次いだ。 
七尾都市開発は市や七尾商工会議所、地権者らが出資する第三セクターで、一九九〇年に設立された。

パトリアは九五年にオープン。能登地方一円から客が集まる商業施設だったが、一〜三階に入居していた核テナントの総合スーパー「ピアゴ」が二〇一七年二月、売り上げの伸び悩みを理由に撤退。関係者によると、人口減少や他の商業施設の増加が要因だった。
同年四月には、一階にスーパー「カジマート」、二階にホームセンター「ロッキー」が入り、てこ入れを図ったが、七尾都市開発の村田聡専務が「キーテナントの撤退が大きく響いた」と話すように、経営悪化に歯止めをかけられなかった。

同社は負債総額を明らかにしていないが、東京商工リサーチによると、一七年三月期時点で十八億二千五百万円。売上高は九八年三月期には五億六千万円あったが、近年は二億円台で推移し、一八年三月期には一億六千四百万円まで落ち込んだ。
パトリアには一、二階に現金自動預払機(ATM)を含めて二十二店舗が入るが、三月三日で営業を終了し、同月十五日までに撤退する予定。その後、空きスペースの活用方法は決まっていない。三階以上に入居する市役所健康福祉部のほか、ホールや会議室を提供するフォーラム七尾はサービスを続ける


 この施設の外観は建物全体が商業施設のイメージがあるのだが、店舗は1,2階のみでその上部は公共用のスペースだという。だから騒ぎ立てるほどの問題ではないのかも知れないが、駅前の一等地の商業施設の撤退は七尾市全体のイメージダウンにつながっている。

自分が高校生の頃はまだ能登地方のぴか一の都会だった七尾なのである。
淋しいニュースだった。





2019年2月16日土曜日

卯辰山に「眺望の丘」間もなく完成

卯辰山公園が大正3年(1914 年)に本市初の公園として開園されてから、平成26 年 (2014 年)で100 年を迎えたという。明治に入って一般に解放されたと思っていたのだが、そうではなかったようだ。

金沢市は新たな都市像として、「世界の交 流拠点都市」を掲げ、国内外から人・モノ・情報の集積を図り、その交流を通じた新たな 価値の創造と持続的な発展を続けるまちを目指している。 こうした背景から、卯辰山公園には、「自然」と「歴史文化」という普遍的価値を踏まえた 多様な交流の場としての役割が求められている。 そこで、卯辰山公園開園100 年魅力向上計画を策定した。この計画は、これからも市民に愛され、市民の誇りとして、より一層利活用され るよう、今後10年を見据えた卯辰山公園の魅力向上を図る基本的な考え方とハード・ソ フト両面からの施策の方向性を取りまとめることを目的としていた。 

卯辰山公園には「望湖台」と「見晴らし台」という金沢のまちを眺望できる場所があるが、新たな眺望スポットとして、花菖蒲園のちょっと上あたりに「眺望の丘(仮称)」の整備を進めていた。 

眺望の丘イメージ図
 金沢市が卯辰山公園内に整備を進めている新たな展望スポット「眺望の丘」(同市末広町)が、3月30日に開園する。15日の市議会建設企業常任委員会で報告された。

同公園内では卯辰山山頂付近にある「望湖台」「見張らし台」に次いで、三カ所目の展望スポット。「花菖蒲(しょうぶ)園」の向かいの高台に、約三千株を植栽するアジサイ園や約六百七十平方メートルの芝生広場、休憩舎、トイレなどを設ける。

花菖蒲園の向かいに「眺望の丘」が設置される
観光バス三台、一般車十四台が止められるスペースも確保し、来訪者の駐車場不足の解消につなげる。敷地内にはサクラ、ヤマモミジ、ツツジなども植え、花菖蒲園と合わせて四季の彩りを楽しめるようにする。
2014年の同公園開園百周年を機に策定した「魅力向上計画」の一環で、17年3月から整備を進めてきた。総事業費は約一億九千万円。市緑と花の課の担当者は「山の中腹にあるため、東山からの観光回遊性を高めることにもつながれば」と話している。3月30日午前10時から完成式典を行うという。 

卯辰山には望湖台と見晴台があるのだが、高校時代に眺めた風景は遠くに河北潟が望めた。だが、河北潟は埋め立てられ殆ど無くなったし、眺望は樹木の繁茂で遮られてしまった。


望湖台からの眺め
眺望の丘から見える風景は、設置場所から西の方角の大乗寺山から日本海までの眺めになるだろう。駐車場も整備されるので4月上旬の桜の時期に行ってみよう!


2019年2月15日金曜日

墨絵のような天神橋あたり

昨日も今日も毎朝の冷え込みは氷点下、特に今日はー2度とかで年に1,2度あるかないかの冷え込みだった。
昨日の朝は路上に1,2cmの積雪があり、かつ、路面が凍結していたので、いつもは自転車通学の中2の孫と近所の同級生を車で送った。

今朝は積雪なし。予報も午前中は晴れとなっている。去年の今頃はまだバスが不通だったが、この冬はまだ一度も家の前を除雪したことがないのでありがたい。
さて、今日は昨日の夕刊一面に掲載された写真が実に見事だったので紹介したい。

北國新聞2月14日夕刊
記事では水墨画のようだと評した。雪は数センチ未満だが、低温のため融けずに素晴らしい景色を演出した。浅野川の川面も水の流れが雪で閉ざされ白色になっている。
先だって、卯辰山の上部に立山連峰が現れた写真を紹介したが、この写真もその新聞記者が撮影したに違いない。構図のバランスがとても素晴らしいものがある。

水墨画
上下の写真を見比べれば、両方とも白と黒の世界である。次の写真がどんなものか楽しみである。

話題は一変して酒。
能登恋路海岸のすぐ珠洲よりの道路沿いに宗玄酒造がある。昭和38年、能登線の軌道敷設工事が鋭意施工中だった頃、この酒蔵のすぐ後ろに線路があったのだが、何せ仕込み中の酒の香りが常時漂っていた。作業員たちは昼の休憩時間は酒蔵の後ろで弁当を食べていた。「飲みながら食べている雰囲気がいい」と評判が良いところだった。

この建物の裏側に能登線があった
その宗玄酒造が金沢に進出したという。
創業250年の奥能登「宗玄酒造」、金沢に初の営業所とアンテナショップ

「宗玄酒造」が開設した金沢営業所
創業250年の老舗酒蔵「宗玄酒造」(石川県珠洲市)が2月10日、金沢市に初の営業拠点(金沢市大桑1、TEL 076-280-1314)を開設した。
奥能登と呼ばれる地域の中でも能登半島先端の珠洲市に構える同社は、金沢まで2時間半、能登空港を使えば東京までも2時間半という立地。商圏を広げるため開設した営業拠点の場所は、車での交通の便と地盤の良さを基準に選んだという。

金沢と加賀エリアへの営業強化と取引先の新規開拓の拠点に加え、1階部分をアンテナショップとして約40種の銘柄を扱い一般向けにも販売する。新築木造2階建ての延べ床面積は約290平方メートル、1階は他に事務所と倉庫、2階は従業員用の宿泊施設と倉庫に充てる。
就任から8年目を迎えた徳力暁社長は「3年越しでこの土地を選んだ。これまで卸売業者に任せきりの営業だったが、今後は拠点を生かして自社でこまめな活動を行い販路拡大につなげたい」と話す。すでに実績のある海外での販路拡大や東京への進出も視野に入れる。 

この会社はユニークな戦略を持っている。すぐ後ろに能登線のトンネルがあるのだが、そこを「酒を寝かせて美味さアップ」という場所にしたてて貯蔵庫にした。
なおかつ、恋路駅の跡地までトロッコをこいで走れるような施設にした。
旧能登線をフルに活用される宗玄酒造に乾杯しよう。

2019年2月14日木曜日

女性がSLの機関士に

昭和40年代で鉄道の主役「蒸気機関車」がほとんど姿を消した。石炭から石油に大変換するエネルギー政策の転換期だった。


九州に国鉄直営の「志免炭坑」が長く蒸気機関車用の石炭を供給していたのだが、この転換期に閉山された。昭和39年、小生は中央線複線電化プロジェクトの一角を担うため、岐阜県多治見に転勤となった。

しばらくして志免炭坑の閉鎖に伴う人員の配転で、40代の職員が「技術掛」という自分と同等の職制で転勤してきた。炭坑でそれなりのポストで十分業務をこなしていたであろうその人は、数カ月で新しい仕事は合わない、できないと万歳をしてしまった。
現場の調査測量をし、地形に適合した土木構造物の設計はのんびりやるわけにはいかない。定められた期限内に処理しなければ工事着工が出来ない。そんなストレスもマックスになったのであろう。

結局、本局に転勤となって守衛になった。以後、その人の顔つきが非常に明るくなった。この人のように、石炭から石油の変換で多くの人間が配置転換で悩んだことだろう。
さて、その蒸気機関車だが、今では大井川鉄道まで乗りに行くか観光目的でたまに運行されているSLを見るしかない。そういえば明治村にもSLが運行している。

先だって、「明治村のSLに初の女性機関士 江南出身の永井さん」という記事があった。
女性がSLの機関士という話は初耳である。
犬山市の博物館明治村のスタッフ永井実和さん(25)が一月二十三日、園内を走る蒸気機関車(SL)の初の女性機関士としてデビューした。園内の二つの駅「なごや」「とうきょう」間を約五分で結ぶのが仕事。「緊張しましたが、集中して操作できた」と初日を飾った。

機関車が吐く蒸気の中で笑顔を見せる永井さん=犬山市の博物館明治村で
園内には明治時代の二台の機関車が動く状態で展示されている。これまで三人の男性機関士が運転し、連結した客車で年間約十三万人を運んできた。
永井さんは三年前に入社し、やはり園内を走る京都市電の初の女性運転士に抜てきされ、以後SL車掌、機関助士を兼務してきた。

鉄道マニアではないが、「SL運転に挑戦できる機会は人生にそうはない」と一念発起。園内でSLを動かすのに必要な二級以上のボイラー技士免許を取得し、内規に沿って昨年八月から訓練を受けてきた。
運転を担当する日は片道八百メートルを時速十~十五キロで九~十二往復する。「速度計もなく、自分の感覚だけが頼り。天気やレールの状態で操作の仕方が変わります」

先輩機関士の高木基秀さん(33)は「簡単に動かしているように見えますが、駅で方向転換のためにSLを転車台に載せるには一、二センチの精度が必要。蒸気や線路の音を聞き分けて、耳で運転せよと師匠に習った。目だけだと、それだけの精度は出せない」と話す。

永井さんは江南市出身で高校、大学と吹奏楽に打ち込み、チューバを吹いた。聴覚には自信あり。「まさかそれが役に立つとは。目に見えない音が相手で難しいが、その分やりがいがあります」と話していた。


明治村へ行ったらこの女性機関士の雄姿を見たい。