2020年5月24日日曜日

職場風土の違い

自分の関わった公共事業の一つに金沢駅鉄道高架化事業がある。現在のANAクラウンプラザホテルがオープンする以前は、日通の建物があって黄色のトラックが頻繁に出入りしていた。そしてその付近は貨車が何条もの線路に連なっていた。昭和54年に高架化事業が着手され、その一角に県の鉄道高架事務所が開設された。

事業費負担比率が県9、国鉄1の割合で進められた。このため、「銭の大半はワシらが出すので国鉄の言い分は聞くことはない」というスタンスで、「国鉄の云うことを信用するな」と上司の指示があったのだろうと推定するのだが、上から目線はそれはそれは酷いものであった。協議相手の県職員も土木屋なのだが、中身の薄い知識をひけらかして、お前ら文句いうなという役所風土的態度に馴染めなかった。

だが、高架事務所に金沢市から出向していた職員が数名おられた。その中に学校の先輩や後輩の方たちが何人かおられ、県職員とは雲泥の差で対応されたのである。
そんなことで、金沢~森本間貨物通路線が開通する際に実施する電気機関車による試運転に金沢市の職員だけ招待して試乗してもらった。
高架化から30年、新幹線開業から5年、もう元の姿が到底思いつかないくらい変貌をとげた。

金沢フォーラスの裏手の風景
この風景の往事の写真があった。

上り貨物通路仮線完成(s60.2)
お寺は新幹線関係で移転した放生寺だが、細い通路は唯一の北安江に抜けるガードがあった。

ガード下を潜って駅西側
この付近は小高く盛り土した路盤に下り貨物仕訳線があった場所である。現在の満天ホテルのある場所は吾々の事務所の新金沢工事区の建物があった。
語れば長くなりそうだ。

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