事業費負担比率が県9、国鉄1の割合で進められた。このため、「銭の大半はワシらが出すので国鉄の言い分は聞くことはない」というスタンスで、「国鉄の云うことを信用するな」と上司の指示があったのだろうと推定するのだが、上から目線はそれはそれは酷いものであった。協議相手の県職員も土木屋なのだが、中身の薄い知識をひけらかして、お前ら文句いうなという役所風土的態度に馴染めなかった。
だが、高架事務所に金沢市から出向していた職員が数名おられた。その中に学校の先輩や後輩の方たちが何人かおられ、県職員とは雲泥の差で対応されたのである。
そんなことで、金沢~森本間貨物通路線が開通する際に実施する電気機関車による試運転に金沢市の職員だけ招待して試乗してもらった。
高架化から30年、新幹線開業から5年、もう元の姿が到底思いつかないくらい変貌をとげた。
金沢フォーラスの裏手の風景 |
上り貨物通路仮線完成(s60.2) |
ガード下を潜って駅西側 |
語れば長くなりそうだ。
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