2020年2月29日土曜日

町内にも「余波」あり

一昨日(27日)、TVを見ていたら臨時ニュースが入った。首相が来月2日から小中高の一斉臨時休業を要請したのだ。
首相は「患者クラスター(集団)が次のクラスターを生み出すことを防止することが極めて重要で、徹底した対策を講じるべきだ」と一斉休校の狙いを強調。入学試験や卒業式などをまだ行っていない場合は実施を認め、その際は感染防止措置を取ったり、必要最小限の人数に限ったりするなどの対応を呼びかけた。 
文科省の調査では2019年5月1日現在、全国の国公私立の小学校は約2万校(約636万人)、中学校約1万校(約321万人)、高校約4800校(約316万人)、特別支援学校約1100校(約14万人)だという。
いつも月末になると学童見守り隊の当番表を作成しているのだが、来月は1日が日曜日なので金曜日(昨日)までに作成すればいいかなと考えていたところだった。
で、そのニュースを聞き、なら、当番表の作成は省略できると思っていた。ところが昨日、山野市長が2日からといわれても準備期間ゼロでは対応できないとして「不明」とする意思を表明したのだ。

ありゃ、明日すぐに当番表を作成せんなんなぁ・・・と今日を迎えた。で、現在鋭意作成中で、午後にはプリントして隊員10人に配布しなければならない。
一応、24日修了式までの予定表を作成している。

この一斉休業措置に対しては各界から意見百出だが、韓国のような悲惨な状況になるとパニックとなること必定。打てる手は打たねばなるまい。コンサート、ライブ、野球等々のイベントも中止の方向を示している。競馬は観客なしレース、大相撲は目下どうするか思案中。選抜野球はどうするんかなぁ。

北海道鈴木知事は全道民外出禁止の英断を下した。「あんたは偉い」、それくらいしないと収束しない!
初期に万全を期すべきは当たり前だが、何せ未経験のアクシデント。後手後手はしようがない!思い切った政策こそ必要であろう。

この横断歩道で学童の安全を図っている
当番表に、「24日修了式まで記入しましたが、TV新聞報道で休業開始日をご確認ください」と記した。


2020年2月28日金曜日

間もなく開催される木下サーカス

昨日の夕刊に西部緑地公園で開催されるサーカスの祈願祭が行なわれた記事が掲載された。金沢開催は5年ぶりだという。
サーカスと聞くと子どもの頃に母に連れられてサーカスを見に行ったことが思い出される。高くぶら下がったブランコに、反対側のブランコとタイミングを見計らって飛び移る様に手に汗を握った。
哀調を帯びたアコーディオンのメロディー(美しき天然)が雰囲気を盛り上げていた。
写真のような大規模なサーカスではなかったが、会場は超満員だった。
宇出津商店街の大市が毎年9月に開催されていた時期に合わせて、1年おきくらいにお寺の境内で開催された。小学2年生までに2回ほど連れて行ってもらった。その場所が今どうなっているのか探ってみた。
宇出津新町通り この両側に大売り出しのテントが並んだ
子供の頃はこの交差点はまだ無かった。右側の道路が開通したのは昭和35年鵜川・宇出津間の鉄道開通の少し前だった。左側港へ繋がる道路は40年くらいたったかどうかだ。
そしてサーカスの場所は道路奥右側の長楽寺境内であった。
長楽寺
写真を見て驚いた。境内といえどもこんな狭い所だったとは!
で、昭和36年の話になるのだが、軽二輪免許取り立ての頃だが、メグロ125ccに跨がり坂の上部のトンネル出口から千間書店までの舗装したての道路が出来ていたので坂を下った。爽快な気分を味わっていると、このお寺の横から警察官が「止まれ」といきなり出てきたのだ。

制限速度40km、走行速度55km。15kmオーバー。
寺の境内に入れられ調書を取られた。罰金覚悟だったが、親父がある方面に頼んどいたといっていたからか、お咎めがなかった。
サーカスの話題がそれてしまった。ま、いいか!

2020年2月27日木曜日

もし、熱が出て下がらなかったら

新型コロナウイルスに感染し養生した後に陰性になれば「もう完治した」と誰でもそう思う。だが、再び陽性になった患者が発生したという。大阪のバスガイドがそういうケースだと云うではないか。
で、今朝のワイドショーでは大阪の住民が指定された相談窓口に電話したら「たらい回し」で厚労省の窓口に相談するよう求められ電話したところ、結局最初の大阪の相談窓口に相談しろと指示されたというケースが放映された。聞いていると、これが行政か?「まるででたらめ」だ。

相談者は父親が京都観光した際に中国人の団体が沢山いたという。で、帰宅後に高熱が続いており、相談者も高熱が続くので相談したいと電話したようだ。どうも大阪は検査態勢が全く整っていないようだ。否、全国どこでも整っている場所はないだろう。


現在のPCR検査には約6時間かかるが、新しい検査機器では検査前に検体を処理する時間を含めて30分ほどで結果がわかるという。
現在、新型コロナウイルスへの感染の有無については、「PCR検査」というのどの粘液やたんからウイルスの遺伝物質を検出する方法で調べている。ただ、機械にかけて遺伝物質の量を増やさなければならず、結果が出るまでに6時間程度が必要だった。
PCR検査に使われる機器の一つ=タカラバイオ提供
新しい検査機器は、産業技術総合研究所が開発した遺伝物質の増幅を早める技術を使い、検体の処理を含めて約30分で結果が出せるという。持ち運べる大きさで、最大4人分を同時に検査できる。価格は1台数百万円という。
新検査機器 6時間が30分に短縮
やはりたらい回しは本当なのだ。
保健所の新型コロナ検査拒否、全国調査へ 医師会、不適切なら是正へ
日本医師会は26日、会員の医師が患者の新型コロナウイルス感染の検査が必要と判断したのに保健所に断られた事例の全国調査をすると発表した。都道府県医師会を通じて情報収集し、保健所の対応が不適切だった事例があれば是正を求めるという。

厚生労働省は検査対象に、渡航歴や感染者との濃厚接触など一定の要件を挙げつつ、自治体の柔軟な判断を認めている。しかし釜萢敏常任理事によると、2月に東京都内の医師が診察した患者の検査を保健所に求めたところ、応じてもらえなかったという。釜萢氏は「医師も検査態勢に制約があることを分かった上で、必要と思うものを出している」と指摘する。

一方で、今は原則的に各保健所などに設けた相談センターが紹介する専門外来で実施している検査の検体採取を、一般医療機関でもできるようにすることについては「ウイルスが周囲に飛び散るリスクがあり、十分な感染予防対策が必要」と慎重な姿勢を示した。


ダイヤモンド・プリンセスの乗客は3600人だったという。この検査態勢といえば1日数人程度だったのだろう。そのうちどんどん感染者が多くなり入院や隔離という措置を執ったのだろうけど後手後手だったに違いない。

武漢で10日間で病院が建設されたというが、聞くところによると手当なし、ただ収容するだけの施設に過ぎないというではないか。
韓国の医師が日本の検査態勢をあざ笑ったという。もっともっと国を挙げて蔓延防止に尽力すべき時なのだ。


2020年2月26日水曜日

あれから15年、悔しいなぁ!

先日、珍しい動画を見ることが出来た。
それはこれ、のと鉄道の列車が見附島を背に走行するシーンが目に焼き付き、20分ほどの動画を最後まで見た。


この写真の左側へ2kmほど進むと、能登線建設当時に勤務した国鉄岐阜工事局鵜飼工事区がある。ちょうど見附島が真正面に見える位置にあった。昭和36年夏、それは就職して4ヶ月目のことだった。上司が「君は能登出身だそうだな。能登線をやってくれ。現場はすぐ来てくれと云っている」と指示された。かれこれ59年前のできごとである。

動画は蛸島から穴水までの模様を撮影していた。

この写真は鵜島から恋路間の宗玄酒造の建物である。建設当時、作業員の一服は酒の香りが漂う倉庫の前であった。なにせ至近距離なのだ。現在、その立地を生かしてトンネンル内に酒を寝かせる場所に利用したり、恋路駅までトロッコ運転ができるように営業している。宗玄酒造は中々の商売人だ。

そんな動画を見て、のと鉄道廃止直前に「湯浅啓」という人が写真撮影して、「能登線日和」という写真集を世に送り出した。その1冊が手元にあることを思い出した。何度眺めても素晴らしい写真が沢山ある。
九十九湾小木駅がお寺右上にある
写真右端付近に小木工事区があった
小浦~羽根間 立山連峰が見える時もある
白丸駅

白丸駅付近の軌道敷設工事状況
開業前日の白丸駅
写真集より車内の模様
部活が終わったのかな?
丁度これらの写真撮影が行なわれた前後に、能登線乗りおさめ会をした。同級生夫婦二組と6人の旅を満喫した。
のと線乗りおさめ会 宇出津駅で
 もうこんな風景は跡形もない。
宇出津駅で(38豪雪時)
そんなわけで能登線建設当時の思い出が蘇った。そしてまたまた「悔しーい」思いが強くなった。


2020年2月25日火曜日

術後1年9ヶ月目の検診結果

今日は腎がん術後3ヶ月毎の検診日だったので午前8時過ぎに医科大に向かった。
今月は1年9ヶ月目となった。受診票を自動受付機に挿入したら、「受付不能」と標示された。やっぱりなぁと思った。予約票に時間が記入されていなかったのだ。総合受付で事情を話すと外来受付窓口に行くよう指示があった。


次はいつもと同じパターンで血液検査と検尿である。受付すると148番のカードを渡された。現在の受付番号は90番台だった。相変わらず100人前後の検査待ち。30分ほど待たされたが、今回はいつもと違う様子が見られた。それは「マスク」である。だいたい9割の患者がマスクを付けていた。当然、自分も着用した。

今回の血液採取は3本だった。少しの痛みも感じさせない看護師の採血だった。次に採尿。

腎臓が正常に機能しているか重要な検査である。

これを終えて泌尿器科の受付へ。受付箱に受診票を入れ呼び出されるまで10分ほど待つことになる。そして担当医と受診室ナンバーが知らされるので待合室のイスに腰掛けて待つのだが、常に火曜日は超満員となっている。この日は宮澤主任教授の診察が行なわれているのだ。

この教授は泌尿器科のトップである。遠方からの患者も多い。泌尿器科の患者は高齢者が多い。そして、だいたい同伴者が付いておられる。重要な話がある場合が多いので、教授から、「今日は奥さんどうされましたか」と質問される。癌の告知はやはり家族にも同時にする必要があるのだろう。
診察イメージ
先日、新聞で今頃の医師は顔を見ず画面ばかりみているだけという記事があったが、ここはベッドで横臥した体を触診される。
血液と尿の検査データを示され、「腎臓機能は全く正常です」と嬉しい診断が続いている。
3ヶ月後は2年目なので、CT検査が加わる。

精算して家に帰ったら午後1時40分だった。所要時間5時間+アルファ、ま、長くてもしょうがないのである。



2020年2月24日月曜日

1年ぶりに研修会のため公民館へ

昨日は午前10時から千坂公民館において、まちぐるみ見守り活動研修会が開催された。
公民館は1年ぶり、外では千坂地区福祉協議会箕輪会長が、玄関では校下町会連合会西田会長が来場者に「おはようございます」と声をかけられていた。何でだろう、今までこんなことは無かったが・・・。

参集者はまちぐるみ福祉活動推進員、民生委員、地域サロンスタッフ等関係者で、当方は地域サロンスタッフという立場で参加要請があったので出席した。
参加者総数は80名前後で当町内から6名が参加しました。

研修内容は、第一部:金沢市介護保険課職員による自立した生活を続けるための介護予防
      第二部:ふじはかま落語会(出演 月亭 方気 県内に住む芸人)

金沢市包括支援センターふくひさの職員あいさつ
市によると、介護予防に関する各種教室が紹介があり65歳以上の「介護予防に関する各種教室」の申し込み方法や会費の説明があった。金沢市にこんなに沢山の各種教室があることを初めて知ったのだが、市民に行き渡っていない状況から宣伝方法が足りないと感じた。
別様のチェック項目の点数合計をこの票で判定される
そういえばこの検査は、地域包括センターふくひさの職員により町内の地域サロンでチェックしたことがあった。
第二部のふじはかま落語会は七尾市出身の月亭 方気氏による落語を聞き、会場全体が何回も笑いの渦が湧き起こりました。
月亭方気氏による落語
終わったのが12時をちょっと回ったが、最後に西田町連会長が挨拶され、13年間務めた町連会長を辞任する旨の発言があった。この時はうわさのまだら・・的様子は見られなかった。
帰り際に出席者全員にお菓子の詰め合わせの配布があった。数種類のお菓子が入っており、家族全員で賞味することができた。

2020年2月23日日曜日

マイカー遍歴(その1)

ウインダムからアクアに乗り換えて7年が過ぎた。国の予算枠内の措置だった10万円還付期限切れぎりぎりの登録で滑り込みセーフからもう7年。
だが、新車にしろ10万円にしろ、マイカー1号から現在の6号車を買った中で昭和48年にマイカー第1号のいすゞベレットが一番嬉しかった。このベレットは6台の買い換えのうちベレットだけが中古車だったのだが、この俺もオーナーになったという感激が大きかったのである。

ベレットは、いすゞ自動車が1963年(昭和38年)から1973年(昭和48年)まで製造、1974年(昭和49年)まで販売していたという。 技術者主導で設計製作が行われ、当時としては数々の新機軸を盛り込んだ、1960年代の日本車を代表する車種の1つ。外観は卵の殻をモチーフにスタイリングされた、丸みの強いコンパクトなものとなっている。1 tを切る軽い車体重量を生かしてモータースポーツでも活躍し、スカイライン台頭以前はサーキットを席巻した。
 
マイカー第1号車(写真はネット検索による)
サスペンスが柔らかいので走行性は快適だった。子供を連れて瀬戸内海の海に海水浴に行った時、子供が海に入っている写真を撮ったのだが、カメラをボンネットの上に乗せたまま置き忘れた。免許取り立てだから前方ばかり注意してボンネット上のカメラに視線が行かなかった。で、帰って車からから降りて初めて気づいた。それだけクッションが柔らかかったということだろう。

昭和49年はオイルショックがまだ冷めない時期だった。この年の夏、同僚2人を乗せて能登に向かった。鳥取砂丘あたりで仮眠、敦賀経由で実家に到着した。片道1000km。途中のスタンドではガソリン不売のため、灯油缶2つにガソリンを広島の行きつけのスタンドで購入しトランクに入れて走行した。トランクを開けるとガソリンの匂いが充満していた。これは一つ間違えれば「爆発」もんだった。

当時、ガソリンは55円/ℓから急激に上昇し90円台になっていた。
で、この車の燃費は現在までの6台のうち最も走行距離が短かった。何と、ℓあたり5km程度。だけどバンパーは鉄製メッキ塗装で、極めて頑丈にできていた。交差点直進中に前方の車が渋滞でブレーキをかけたので自分もブレーキを踏んだ。そうしたら、対向車が右折したので自分は停車。そこに対向の右折車が「ドカーン」と衝突した。

怒り心頭、方向変換して相手の車の後ろに付けてクレームを云った。が、当方の車はバンパーにほんの少しのかすり傷。相手の車をみると運転席側のドアが大きく凹んで見るに堪えない損傷だった。
1年半ほど乗っていたら、運転中エンストを起こした。原因はイグニッションコイルのショートだった。どうもいすゞ車は同僚が乗っていた117クーペもコイル焼けを起こしているので、部品メーカに難点があるのだろう。
そのうち塗装にヒビが入って買い換えを検討することにした。(つづく)

2020年2月22日土曜日

金沢市に感染者が

恐れていたコロナウイルス肺炎感染者がついに金沢市に出たというニュースが流れた。
県職員が東京出張から帰ってきてから熱が出て、医療機関に行ったが治まらず次々と医療機関を変え、3度目の医療機関で陽性反応があったという。
谷本知事がTV会見していた。
 記者会見で、県職員の新型肺炎感染について説明する谷本知事=石川県庁
石川県は21日、県内に住む50代の県職員男性が新型コロナウイルス(COVID19)に感染していたと発表した。県内の感染者は初めて。県は、個人の特定につながるとして、年齢や住所などの詳細は公表していない
関係者によると、男性は金沢市在住の50歳で、県産業創出支援機構に出向中という。現在は同市内の病院に入院しており、容体は安定している。県は感染拡大を防ぐため、男性の濃厚接触者を調べている。

男性は16日に38・3度の発熱やせきなどの症状を訴え、県内の医療機関を受診した。熱が続き、翌17日に県内の別の医療機関で診察を受けた。解熱剤で一時熱は下がったが、再度発熱し、19日にさらに別の医療機関を訪ねた。
20日にも倦怠(けんたい)感があり、県内の別の病院を受診したところ、肺炎と診断された。医師がコロナウイルス感染の可能性があると判断し、感染症の専用外来の診断を受けて入院。21日に金沢市の県保健環境センターで遺伝子検査したところ、同日午後に陽性と判明した。県は男性がどこの医療機関を受診したか明らかにしていない。

男性は2月12~14日に県主催のセミナーのため、東京に出張していた。セミナーには30~40人が参加していたとみられる。
男性の所属や家族構成については、個人を特定するとして公表しなかった
県は同日、新型コロナウイルス感染症対策本部会議を開いた。感染症の入院治療ができる病床を確保するため、5カ所ある感染症の指定医療機関だけでなく、近隣の医療機関に依頼することを確認した。


今月5日、同窓会の幹事4人がある喫茶店に集まりクラス会について協議し、駅前周辺の飲み屋で3月中にクラス会開催を決めた。場所を調べほぼ特定して開催日時を連絡しようとしていた先週末、クルーズ船の感染者が一気に増加したり、全国に感染者が広がっていることもあり、また、新幹線で関東地区からの往来、上海・小松便による往来等を考え、不急の集まりは暫く見合わせようと決断した。そして昨日のこの発表である。
取りやめて本当に良かった!


2020年2月21日金曜日

犀川大橋から桜橋までの芝生の通勤路

平成10年3月末で37年間務めた国鉄(このうち12年間は清算事業団)を退職した翌日4月1日、転職先となった県出資の社団法人に出勤した。場所は幸町にある県幸町庁舎である。それ以降、平成19年3月までの9年間勤め64歳で退職した。職名は終始一貫して「土木技術専門員」だった。

9年間通勤したが、自宅前のバス停から乗車し香林坊で下車してそこから徒歩。竪町を経由して幸町までのルートと、金劇前で下車して犀川大橋袂を左折、しばらく川沿いの道を歩いて河川敷に降り、芝生を踏んで桜橋袂までの区間は誠に快適だった。
 
金劇前で下車

犀川大橋を左折
川沿いに暫く歩く
ここから河川敷へ降りる
桜橋から犀川大橋方向 右岸が通勤ルートの芝生
桜橋を潜って右側にある階段を登り、幸町に向かって暫く歩くと幸町庁舎に至る。

県幸町庁舎
幸町庁舎の1階は県税事務所となっている。この庁舎の2階に9年間勤めた職場があった。9年間転勤なし。単身赴任や転勤を繰り返した旧職場と全く異なった職場環境であった。
天気の優れない日は竪町へ経由して幸町へ
竪町商店街 最近は人通りが少なくなったようだ
帰りは竪町経由で香林坊、せせらぎ通り、中央小学校、玉川公園、玉川町、ホテル日航、金沢駅まで徒歩。そこから森本駅まで電車、森本駅から自宅まで徒歩・・・と往きと帰りが違う通勤だった。
せせらぎ通り
せせらぎ通りはおもしろい景観を楽しませてくれた。雪の日は金沢駅まで歩いた方が早く着くことが多くあった。平成19年3月31日、頂いた花束を持って駅まで歩き、電車にも乗ったのだが、何だか照れくい思いをしたことを思い出した。


2020年2月20日木曜日

健康寿命を5年無事経過したが

男の健康寿命は72歳だという。この平均値は毎年0.1歳くらい伸びている。で、平均寿命はというと81歳である。この差は9年、この期間は何と寝たきり期間だという。

この統計で今の自分はどの位置?と考えてみると、72歳から寝たきりが始まる平均値からすると、健康寿命を5年延ばしていることになる。
ま、3年前に肺球菌、2年前腎臓癌でそれぞれ13日間入院した。肺球菌の場合は10日間ほど高熱や咳が酷かったが、腎臓癌は術前自覚症状ゼロ、退院後も全く普通通りの生活をしている。

寝たきりにならなかったので、健康寿命が延びていることにしている。
だが、高齢者の4人に1人が認知症になり、2人に1人が癌になるという。
いつまでも自分の健康寿命が延びるわけがないが、伸ばす努力はしなければならないと自覚している。

もう4年前になるが、ある病院の高齢医学科で脳のMRIをかけた。その画像を見て医師がこう告げた。「あなたの海馬体とほかの大脳の部位との、平均的な隙間より大きいですね」と。認知症になると海馬体が縮小するのだという。それを告げられて不安を覚えた。
が、1年後、「あなたは認知症ではありません」と太鼓判を貰った。

しかしだ。最近は人の名前が中々出てこなくなったと自覚している。70歳になったばかりの女性も最近になってそうだという。
でも、物忘れと認知症は違うという。そう言われても何だか心細い思いだ。

海馬体はPCのハードディスク的役割をしている部位。そのハードディスクをフルに使わないと記憶や認知機能が衰える。よって、昔の出来事を細かく思い出す方策を実行しなければならない。これに最も効果があるのがブログ作成だと思うので、明日からもっと掘り下げて書くことを心がけよう。そうしないと海馬体の隙間がだんだん大きくなるのだ。

2020年2月19日水曜日

エエッ、3月末で長崎駅廃止?

昨日のことだが、You tubeの見出しに思わず「エェッ」と驚いてしまった。
記事には「3月末で現在の長崎駅廃止」という見出しがあったのだ。この駅には深い思い出が詰まっている。一つは、昭和35年春の修学旅行である。で、そこに何があったかというと・・・・。
長崎駅は終点。列車から降りて駅から駅前広場に出た直後に大編成によるブラスバンド演奏による校歌が流れてきたのである。ブラスバンド演奏はバス会社のガイドさんたちによるものだった。

これにはジーンとしびれた。金沢から1000km遠方の長崎でまさか校歌が演奏されるとは・・・・。
その50年後、二度目となる長崎は公務出張だった。このとき、駅舎は改築されて素晴らしい雰囲気が漂っていた。ここでも何とブラスバンド!これにも大感激。
H15.10.15 長崎駅で二度目のブラスバンドで大感激!
この時には、2日間の講習が終わり、翌日、長崎港から佐世保まで乗船したのだが、出港して間もなく、これも今コロナウイルス騒動の渦中にあるダイヤモンド・プリンセスが長崎造船所において建造中だった。

ダイヤモンドプリンセスの直ぐ傍を航行した
そんな思い出がある長崎駅だが、新幹線工事の進捗に伴い現在の駅舎が3月末に廃止されるのだという。

ブラスバンドの写真と同一場所から撮影した現駅舎改札口方向
120年の歴史がある駅が廃止されるという
無くなる前にもう一度行きたいなぁ
吾々が修学旅行で行った駅はこんなふうだったかなぁ
新幹線の下部に設けられるのか?
これが新長崎駅なのだ
佐賀県が「新幹線はいらん、在来線があればそれでいい」と負担金に応じないという話は聞いたことがあったので、新幹線工事はストップしていると思い込んでいた。
いやはや、3月末廃止は本当に驚いた。