2020年5月17日日曜日

中橋陸橋の取り壊し費を算定せよ

今から遡ること41年前になるが、岐阜駅から東海道線に沿った道を10分ほど歩いたところの岐阜工事局という場所で、金沢駅鉄道高架化事業の計画担当係で仕事をしていた。この年(昭和54年)に石川県と国鉄が共同で金沢駅付近鉄道連続立体 化事業をスタートさせた。そして今、「金沢風便り」というHPのある写真を見て懐かしさがこみ上げてきたのである。

金沢駅から300m米原方にあった中橋陸橋
写真は鉄道高架化工事が完了して列車が走行して間もない頃を写したものなので、「1990年6月(平成2年6月)撮影と記載してあった。鉄道の高架橋は完成しているが、もともとここにあった中橋陸橋の取り壊しが交差部を除いてまだ残っているのである。
話は昭和54年に飛ぶが、実はこの陸橋の取り壊し費の算定を担当したのが自分であった。

陸橋の下は線路、その下に歩道があった。階段やら地下道やら本体やらで結構手間暇かかった覚えがある。
現況は鉄道高架下が県道
次の写真はこれもついこの間新聞に掲載されたもので、
「ふるさと列車おくのと」号の金沢始発式に臨むC58形蒸気機関車(SL)を、1971(昭和46)年4月29日、国鉄金沢駅で撮影したものである。ホームでは吹奏楽部の生徒が演奏し、祝賀ムードが高まった。


当時はSLブーム。「おくのと」号はその前年10月、穴水-珠洲の快速列車(4両編成)で運行を始めていた。金沢始発となってからは、穴水駅までは急行、以降は快速扱いだった。C58形からC11形へと七尾でバトンタッチし、4時間以上をかけて人々を運んだが73年9月、3年弱でラストランを迎えた。
そして今は穴水以遠は廃止されてしまってから15年も経過した。
そーか、俺はいよいよ昭和の化石になってしまったか・・・・・

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