2026年3月9日月曜日

機関車運転の秘かな思い出

 平成17年3月31日の出来事は断腸の思いそのものだった。その日、何があったかというと能登線穴水~蛸島間が永遠に廃止される日だった。
吾が青春時代に精魂こめて築いた能登線が廃止されたのである。そのショックは大きかった。この歳になっても、まだその悔しさは消えていない。
平成16年6月、あと10か月の運命である能登線の「乗り納め会」を友人夫婦6名でやった。

その日撮影の能登小木駅手前の市ノ瀬付近

なぜこの写真を写したか、それはこの場所で建設中の写真を撮影したからに他ならない。
それが次の写真である。

上の位置より少し前進している場所で道床砂利取りおろし中

この写真撮影は昭和37年9月頃である。この機関車を日曜日に宇出津第二トンネルから田ノ浦まで無断運転したこともあった。途中、踏切も何か所かあったので、考えてみればめちゃくちゃなことをしたものだと自責の念にかられる。しかし、田ノ浦は素晴しい景色だった。秘かな思い出として大切にしまっておこう。

2026年3月8日日曜日

大谷川河口付近に万博大屋根リングが復興公営住宅の建設に寄与

大阪万博の大屋根リングの一部が、珠洲大谷に建設予定の復興公営住宅の建築資材として利用されるという。
そんな記事が朝刊にあった。
 ●珠洲・大谷に40戸 28年1月完成予定
能登半島地震や奥能登豪雨の被災者向けに建設される珠洲市大谷町の復興公営住宅について、世界的建築家の坂茂氏が大阪・関西万博のシンボル・大屋根リングの木材を活用して設計することが7日までに決まったという。世界から注目を集めた祭典のレガシー(遺産)を著名建築家の手で住まいに再生し、復興の象徴とする。坂氏は北國新聞社の取材に「シンプルで力強く、住み心地のよい住宅にしたい」と意欲を語った。

大屋根リングは「世界最大の木造建築物」としてギネス世界記録に認定され、閉幕後に解体が始まった。約2万7千立方メートルの木材のうち、珠洲市には約1200立方メートル(約1500本)が譲渡される。

大屋根リングの木材を利用して建設する復興公営住宅のイメージ図

計画では、2階建て2棟と平屋建て3棟の計40戸を建設する。木材は加工せず、そのまま梁(はり)や柱に用いる。お年寄りが多いことから平屋建てを増やすとともに、海岸付近の立地を生かし、2階部分からは海の眺めも楽しめるようにする。
2028年1月の完成を予定する。

写真を見ると右手の端の方に学校の建物らしきものが見える。大谷へは何度も行ったことがあるが学校が海岸べりにあるとは知らなかった。左下に大谷川の護岸が見えた。ここは空き地だったところだということに気づいた。

万博の大屋根リングが復興住宅に利用されるということを知り、大阪万博に行って大屋根リングの上を歩いたり、リングの階段を上ってリング下を楽しんだりした思い出が蘇った。それだけに、その材料が大谷で利用されることが自分のことのようにうれしく思う。

2026年3月7日土曜日

昭和30年代のぎりぎり道路バス運行

今朝の新聞の、狭い路地を走るバスの写真が気になった。何だか自分が高校生の頃の雰囲気があった。記事は、次のように綴ってあった。

(昭和37)年1月17日、金沢市川上新町2丁目(現菊川1丁目)の住宅密集地を走る北陸鉄道小立野線のバスだ。当時の北國新聞は「サーカス運転」と例えた。人家すれすれ、側溝や左右の障害物を巧みにかわす運転手のハンドルさばきは、まさしく曲芸に近い。

よくもまぁこんな狭い道を
対向車が来たらどうしたんだろう
そして、うそのような記事が掲載されていた。「屋根によくバスが引っ掛かって、瓦が落ちとった。すぐ向かいにあった瓦屋が、いつも直しに行ってたね」。菊川1丁目で「平木屋旗店」を営む平木勲さん(85)の証言である。 バスが他の車と行き違う時には、女性の車掌がかばんを提げたまま降車し、「オーライ、バック」と笛を鳴らして誘導していたそうだ。初心者の運転手が訓練のためにこの路線に送り込まれた…といったうわさもあったとか。昭和30年代の金沢の裏通りは写真の通り、薬局や食堂、理髪店など小さな店舗がずらりと並び、住民でにぎわっていた。人通りも多い。朝には県庁や市役所に勤める人が、列を作ってバスを待っていた。屋根にぶつからず、人も避ける「サーカス」の重圧たるや相当なものだっただろう。

この記事で高校の頃、徒歩で通ていた大学病院前~笠舞~寺町~泉野の登下校した思い出が次々と蘇った。そういえば、S37小木在勤していた頃、宇出津~小木間のバスも小木港付近の国道で庇にぶつかる箇所があった。しかし運転手の皆さんはアクロバット運転で難を凌いでいた。

2026年3月6日金曜日

東京、大阪に次ぐ勢力になれ!

明後日から春場所が始まるが、幕下上位の可貴と炎鵬が十両昇進の可能性がある位置にあるので、県出身者5人の関取が実現する。これは楽しみだ。今朝の記事にこんなことが掲載された。最多の関取5人なるか 春場所8日初日 炎鵬、可貴勝ち星次第で十両 東京、大阪に次ぐ勢力に・・・と。

 大相撲春場所は8日、大阪市のエディオンアリーナ大阪で始まる。石川県出身の関取では、いずれも津幡町出身の横綱大の里と西前頭11枚目欧勝海、東十両5枚目の輝が最終調整に励む。幕下は炎鵬が4枚目、可貴が11枚目と十両昇進の可能性がある番付で、5月場所で戦後最多となる5人同時関取へ期待が膨らむ。

可貴 秀太   西幕下十一枚目
 (かき しゅうた)
所属部屋追手風
本名可貴 秀太
しこ名履歴可貴
生年月日平成14年5月16日(23歳)
出身地石川県小松市
身長191.0cm
体重142.0kg
得意技右四つ・寄り
初土俵令和七年五月場所
最高位幕下十一枚目

日本相撲協会によると、都道府県別の関取数は、東京と大阪が6人でトップ、次いで千葉と熊本が4人、石川、福島、神奈川、鹿児島が3人となっている。幕下2人が十両に昇進すれば、石川は5人となり、東京、大阪に次ぐ一大勢力となる。国別ではモンゴルが11人。
大の里は初場所は横綱になってワーストの5敗を喫したが、懸賞は498本(2988万円)でトップだった。

初場所10勝5敗と優勝争いに絡んだ欧勝海は、西前頭11枚目に番付を上げて春場所に臨む。6勝9敗と負け越した輝は東十両5枚目で再入幕を目指す。

 炎鵬は、7勝全勝なら再十両だった初場所は最後の一番に敗れて6勝1敗となり、あと一歩届かなかった。左足首を痛めたが、今場所は十両の見える位置に付けており、序ノ口まで転落した幕内経験者として史上初となる十両返り咲きを狙う。

先場所5勝2敗だった西幕下11枚目の可貴は全勝優勝すれば新十両が確実だ。
県出身者の力士の活躍が楽しみだなぁ。

2026年3月5日木曜日

神社の屋根剥がし盗賊

地震で被災した神社の屋根を剥がして、奥能登地域において銅板を盗む事件が多発したという記事は既にこのブログで記したことがあったが、最近また同様の被害が発生したという。

七尾市と志賀町、氷見市の5神社で昨年12月下旬から今月にかけ、屋根から銅板が盗まれる被害が確認されていたことが4日までに分かったという。住民は、神聖な場での罰当たりな行為に憤っている。石川、富山の両県警は、価格が高騰する銅を狙った換金目的での窃盗事件とみており、同一犯による広域的な犯行の可能性も視野に調べている。

銅板が剝がされた手水舎の屋根
=七尾市吉田町の吉田気比古神社

七尾市の中山間地にある吉田気比古神社では昨年12月22日、近隣住民が手水舎の屋根から縦1メートル、横3メートルほどの銅板が剝がされているのに気付き、七尾署に通報した。銅板は4分の1ほどが持ち去られ、一部は垂れ下がった状態だった。また、志賀町川尻の川尻阿多護神社では、ほこらの屋根の銅板約6平方メートルが盗まれた。今月1日に境内を掃除していた住民が見つけて、羽咋署に被害を届けた。

屋根の銅板が盗まれたほこら
=志賀町川尻の川尻阿多護神社

被害状況の写真を見ると、2社とも住居地域から若干距離がある場所に位置している。
このような罰当たりの行為をする輩には必ず天罰が下るだろう。
現場を精査すれば必ず手がかりがつかめると期待したい。

2026年3月4日水曜日

70年前と変わらない風景

 子供の頃といえば昭和20年代の記憶となるが、その記憶の中で現在と変わらない風景が今も見ることが出来る。その代表的な風景が金沢城石川門である。昭和29年5月、小学6年生だったが修学旅行で2泊3日の修学旅行に行った。早朝に柳田村からバスで1時間半で輪島へ、輪島から人生初めての汽車に乗り、汽車はバスと違って揺れないのに驚いたものだった。典型的な田舎者だった。

石川門付近

城という建築物を初めて目にした。鼠色の瓦の美しさに驚いたものだった。
当時、尾山神社付近で臨時の動物園が開設していたのだが、その時に初めて象というものを見てその大きさに驚いた。

今も当時と全く変わらない風景

柳田村の6小学校全体が修学旅行だった。今では小学校は1校に集約されたが、毎年数人が入学するようになったという。地震後はさらに少なくなったと推定される。
残念ながら人口減少の対応策は簡単には見いだせない。妙薬はないものか。

2026年3月3日火曜日

癒されるウオーキングコース

 今日は3か月ぶりに医科大へ行ってきた。背中や腹まわりに足、それに頭がかゆい、爪の水虫等で2年ほど通院中となっている。診察が終わって町内の薬局で薬をもらおうと処方箋を探したが見当たらない。仕方なく家に帰ったのだが医科大から電話で処方箋が忘れられてあったから取りに来いと連絡があったので、しぶしぶ再び医科大へ。守衛室で受け取り町内の薬局で薬をもらった。こんなことはやはり歳くったせいなのだろう。

で、今日はウオーキングは中止なのだが、ウオーキングの途中に立ち止まって景色のいい場所で写真を撮っている。

柳瀬川と医王山

ここを通るとき医王山を見ると、中学の遠足や高校生の時の登山をした時の思い出が蘇る。中学生の時は大通りをあつばを履いて下校したのだが、正面に医王山が見えたものだった。

この川を下流に向かってしばらく歩くと牛殺し川という川が合流するのだが、牛殺し川を上流に向かって歩くと鴨の群れが浮かんでいるのが見える。のどかな風景なので癒される思いがする。

20羽くらい群れをなして泳いでいる

明日、晴れたらこのコースを歩きたい。