2024年5月9日木曜日

大型連休と1万人の災害ボランティア

能登の震災ボランティアが結果的にどうなったのかについて県が発表した。相当、遠方からかけつけたボランティアもいたらしい。
被災地で活動したボランティアの数は、のべ1万人を超えたという
県は、住民からボランティアの要請を受けた分にはすべて対応できたとして、引き続き協力を呼びかけていくことにしている。


大型連休の期間中に被災地で活動したボランティアの数をまとめた結果
によると、4月27日から5月6日までの10日間に、輪島市や珠洲市など6つの市と町でのべ1万429人が活動したという。これだけ多くの人が協力してくれたことに驚きである。
県は、市と町のボランティアセンターに住民から寄せられた要請にはすべて対応できたとしている。

打ち上げ!

一方で、自宅を離れて2次避難しているため片づけにとりかかることができないケースや、避難所から仮設住宅に引っ越す際に手伝いが必要になるケースなど、今後もボランティアのニーズは高いとして、引き続き協力を呼びかけることにしている。

高校生は建物修復が終わるまで県外施設に

また、輪島市にある日本航空高校石川のキャンパス内に、新たに約100人分のボランティアの宿泊拠点を設置したという。
馳知事は「今後も被災した人たちから膨大なニーズが出てくると考えられるので、県としても被災した人たちとボランティアのマッチングをサポートしていく」と述べた。

年中日曜日の身としては、1週間程度のボランティアをしたいという気持ちはあるのだが、頻繁に病院通いの身にとってはそれができない。悔しい限りだ。

2024年5月8日水曜日

柳田植物公園内のレストラン再開

柳田植物公園のレストランが地震のため閉店していたが、仮設の配管を整備したり、天井を修復したりして、地震から4か月がたった5月1日から営業を再開したという。
大型連休の最終日となった6日も家族連れなどが訪れ、地元特産の「能登牛」を使ったステーキやハンバーグなどを注文していた。

NHKニュースより抜粋

こんなニュースで、思い出が蘇ってきた。18年前(H16)、能登線廃止1年前だったが、3組の友人夫妻6人で能登線乗り納め会をして、ついでにこのレストランに寄って食事したことがあった。
18年前このレストランで会食した

ちょっと小さかったが、このレストランの一押し料理だという能登牛のステーキを食した。
このグループでは、これまでシンガポールや上海旅行を楽しんでいる。

桂林シェラトンホテルに1泊し漓江下りを楽しんだ

何年か後に、植物公園レストランの傍にある星の観察館「満天星」で1泊する予定でこのメンバーで宿泊予約したことがあったが、急用ができたため取りやめたことがあった。
色々と思い出が蘇った。

2024年5月7日火曜日

驚いた!金沢最大の観光地とは

大型連休が終わった。金沢は大勢の観光客で大賑わいだった。新聞によると、金沢市内で最も人出が多かったところは、今までの感覚と違う場所。兼六園?金沢城?茶屋街?すべてNOだという。正解は何と近江町市場なんだとか。
フーン、なぜそこになったのか?


なんでか!というと日本海でとれた新鮮な魚が食べられる店に来る人が溢れている。何時間も店の前で並んで待っているのだ。SNSの評判が評判を呼ぶという連鎖反応が、集客につながっている。
スマホの写真を見て「うまそうだなぁ、よし、次の休みは俺も近江町へ行こう」と。

3日、県内は観光客や帰省客の入り込みがピークとなり観光地も大勢の人でにぎわった。
JR金沢駅では、北陸新幹線が到着すると大きな荷物を持った帰省客や観光客が続々とホームに降り立った。
新聞記事参照
東京からの帰省客:人が多いなって新幹線もいっぱいでした」
観光客:
「Qにぎわいはどう感じていますか?」
「やっぱりゴールデンウイークだなって」
「びっくりですね。人が多くて驚いています」

JR西日本によると3日午後4時時点で、北陸新幹線のはくたかは4本で乗車率が100パーセントを超えた。
観光客:「こんな人がすごいと思いませんでした」
観光名所の一つとなった近江町市場では北陸の海の幸を求め多くの客でごった返しました
子供:「蒸しガキです。イカ焼きです。めっちゃおいしいです」
観光客:「ここまですごく盛り上がっているのでなんかもう大丈夫なのかなって活気があふれていてすごいと思います」
「いっぱい食べていっぱい貢献しようと思います」

2024年5月6日月曜日

偽情報にハマっていた

つい先日、あるニュースを見て驚いた。
それはある人物がモンゴル観光大使に任命されたというニュースだった。その人はこれまで流れていたネットのニュースでは、認知症が相当進んで廃人になっているというものだった。てっきりそうなっているものとばかり信じていた。それが、次のようなニュースを見た。小林旭(85)が4日、都内で行われたモンゴルのPRイベント「GO MONGOLIA」に出席し、モンゴル国観光大使に任命された・・・・というではないか。

まだまだ元気な姿ではないか

同国を訪れたことはないが、角界に小林から名を借りた「旭」を含むしこ名のモンゴル出身力士が多く「『ありがとう、ありがとう』って言われて、こっちが面食らう」とつながりを説明。元横綱の白鵬(現・宮城野親方)の断髪式に参加するなど親交があり「モンゴルの人とは肌が合う。どこかでモンゴルの血が入っているのかもしれない」と思いをはせた。

年内にモンゴルを訪問予定。海外の思い出として、昭和30年代にパスポートなしで台湾に入国したエピソードを披露し「(すごい人気で)空港が壊れちゃうって通してくれた。『“渡り鳥”の小林旭』って神様扱いだったから」と笑った。

このニュースに接して、如何にでたらめでかつ本当らしく流されているニュースというものが多いと気づいた。これからはガサニュースに踊ろされることのないよう気を付けたい。

2024年5月5日日曜日

大型連休

長いなぁと思っていた大型連休も残すところ明日1日となった。それにしても金沢の観光客の多さには驚きである。

関東圏が2時間半となり観光客激増

ついこの間までは、新潟まで行って新幹線に乗っていたことを考えれば、嘘のような話になってしまった。その新幹線のできるまでは、夜行列車に乗って6時過ぎに到着だった。

16年前の高架橋歩こう会 孫は1年生だった

16年前

64歳で退職して2年目だった。このころから集会所の新築計画にのめりこんでしまった。
その集会所も完成して12年が経過した。時の流れはどんどん早くなるように感じる。

2024年5月4日土曜日

さすが宇出津人気質!地震?そんなもんに負けとられん!

地震の影響で開催が危ぶまれていた宇出津伝統の「あばれ祭」は、ことしも継続されることに決まったという。祭りにかける意気込みが伝わってきた。
宇出津地区で、江戸時代から続くとされる「あばれ祭」は、「キリコ」がまちを練り歩き、燃えさかる大たいまつの周りを乱舞する。
ところが、地震の影響で、道路やみこしの出発点となる鳥居などが壊れ、安全管理や費用面の問題から開催が危ぶまれていた。
こうした中、地元住民でつくる祭の協議会が議論した結果、「祭の開催が町の復興につながる」という意見が多く、ことしも開催することを決めたという。
地震なんかで中止するわけにはいかん!という意気込みが伝わってきた。

もう祭りの準備が始まった!
先ずは大松明のあての木集めから

住民の費用負担を抑えるため、たいまつの材料となる木の枝を山から運び出す作業はボランティアが担うことになり、3日朝は120人あまりが旧柳田村の山に入り、県の木に指定されている「能登ヒバ」のアテの枝を順番に手渡しで運んだ。

松明の材料を乾燥させる作業(お祭り広場)

運んだ枝の束は、燃えやすくなるよう1か月ほど乾燥させたあと、高さ7メートルにもなる大たいまつなどを作るのに使う。
祭の準備を指揮する時長大和さん(41)は「自分たちの町、祭りなので、できることはやろうと思いました。開催には賛否あると思いますが、あばれ祭が地元の活力になってくれれば」と話していた。宇出津出身者はお盆に帰らなくても祭りには帰るという。
ことしの「あばれ祭」は、7月5日と6日に開かれる。悲嘆にくれる地震を乗り越えるに違
いない。

2024年5月3日金曜日

隆起海岸に国道う回路設置

千枚田付近の国道249号が昨日、通行可能になったという。南志見や名舟の住民は輪島まで行くのに柳田を経由しなければ行けなかった。これでようやく千枚田の観光もできるようになった。

う回路は隆起した海岸に設置された

大規模迂回を余儀なくされていた同市東部の住民からは「やっと輪島中心部の市役所やスーパーに通える」と安堵の声が聞かれた。
土砂崩れで通行できなくなった約800メートルの区間のうち、430メートルは土砂の除去の見通しが立たず、隆起した岩盤に盛り土するなどして、北側に湾曲する1車線道路(幅5メートル)を造成した。


緊急車両や地元車両向けの造成で、途中にすれ違いのための待避スペースがある。波の高い日などは通行止めになる恐れもある。
輪島中心部まで車で20分程度だった同市南志見(なじみ)地区は、南方の能登町をぐるりと迂回(うかい)して、渋滞がなくても輪島中心部まで1時間以上かかる道のりを強いられていた。
1車線だが中間付近に待避所が設置された

南志見地区の区長会長、古酒谷政幸さん(76)は「復旧に4~5年かかるという話もあり、心配していた。仮設住宅の住民が病院にも行きやすくなる」と笑顔を見せた。

これで輪島市内から曽々木までは走行可能となった。それにしても建物復旧の着手は中々めどが立たないようではがゆい思いが募るばかりだ。