今朝の新聞の、狭い路地を走るバスの写真が気になった。何だか自分が高校生の頃の雰囲気があった。記事は、次のように綴ってあった。
(昭和37)年1月17日、金沢市川上新町2丁目(現菊川1丁目)の住宅密集地を走る北陸鉄道小立野線のバスだ。当時の北國新聞は「サーカス運転」と例えた。人家すれすれ、側溝や左右の障害物を巧みにかわす運転手のハンドルさばきは、まさしく曲芸に近い。
そして、うそのような記事が掲載されていた。「屋根によくバスが引っ掛かって、瓦が落ちとった。すぐ向かいにあった瓦屋が、いつも直しに行ってたね」。菊川1丁目で「平木屋旗店」を営む平木勲さん(85)の証言である。 バスが他の車と行き違う時には、女性の車掌がかばんを提げたまま降車し、「オーライ、バック」と笛を鳴らして誘導していたそうだ。初心者の運転手が訓練のためにこの路線に送り込まれた…といったうわさもあったとか。昭和30年代の金沢の裏通りは写真の通り、薬局や食堂、理髪店など小さな店舗がずらりと並び、住民でにぎわっていた。人通りも多い。朝には県庁や市役所に勤める人が、列を作ってバスを待っていた。屋根にぶつからず、人も避ける「サーカス」の重圧たるや相当なものだっただろう。よくもまぁこんな狭い道を
対向車が来たらどうしたんだろう
この記事で高校の頃、徒歩で通ていた大学病院前~笠舞~寺町~泉野の登下校した思い出が次々と蘇った。そういえば、S37小木在勤していた頃、宇出津~小木間のバスも小木港付近の国道で庇にぶつかる箇所があった。しかし運転手の皆さんはアクロバット運転で難を凌いでいた。
