My memoirs「あんなことこんなこと」
2026年6月10日水曜日
金沢6位・最も魅力的な市町村・・・という記事を見て
2026年6月9日火曜日
自分が関わった風景の記憶
38豪雪といえば我々の年代では忘れがたい記憶がある。当時20歳だった自分は、能登線宇出津・蛸島間の建設工事に従事していた。そして、1月15日の成人式は間もなくだった。38豪雪は年末から降り出した雪が降り続き、北陸線等の列車が10日間ほど運休した。
| 38豪雪・20歳宇出津駅ホーム |
列車が不通になる豪雪のため、宇出津駅から開始となった線路敷設工事は中止となっていた。成人式は柳田村の柳田中学校で執り行われた。成人式が終わって、久しぶりに会った旧友たちと一杯やることになった。ところが、宴会が終わった8時すぎ、飲み屋の玄関を出たとたん、どっさりと雪が積もっていた。
時は流れ、その42年後、同級生3人と奥さん3人の6人で能登線見納め会を開催した。発起人はもちろん自分である。
| 平成16年5月62歳宇出津駅ホーム |
2026年6月8日月曜日
世にも不思議な半島
2026年6月7日日曜日
42万人の見物人で大賑わい
昨日は恒例の百万石まつりだった。天候は晴れの持ってこいの日になった。TVを見ながらあることが頭に浮かんだ。娘が夕日寺小6だった頃、百万石まつりで6年生の先頭に立ってタクトを振ることになったというので、犀川の河原で練習するのを見に行った。桜橋あたりの河原で練習していたが、鮮やかな衣装に帽子をかぶって笛で合図しながら行進している模様を眺めた。
そして百万石まつりの当日、時々小雨模様だったが、尾張町あたりでやってくるであろう小学校音楽隊を待った。予定時間を1時間以上過ぎても、2時間以上過ぎても小学校の音楽隊は来ることはなかった。家で娘にどうしたのか聞いたところ、歌劇座舞台で行進発表したというではないか。そんなことで、娘の晴れ姿は残念ながら見ることが出来なかった。
| 昨日の行列最先頭の行進 |
昔の百万石行列といえば、企業各社の車に装飾を施して2,3人が手を振るという装飾した車の行列だった。
今のような形になったのは何時からなのか、単身赴任が長かった身としてはさっぱりわからない。最近では孫を連れて駅前付近で見物したことがあるが、なにせ人々々で周辺は埋め尽くされており、早々に引き上げたことが思い出される。やはりTV見物が最もいい。
2026年6月6日土曜日
孫と遊んだ日々も遠い日の思い出となった
| カニに興味津々 |
| かっこつけて、はいパチリ |
こんな写真を写してもう21年もたったとは!と驚いた。正に光陰矢の如し。
退職してからは、幼稚園から帰ってきた孫と遊ぶのが日課となった。その孫たちもこの春就職、もう一人は大学4年生。この孫も院を目指すという。もう「じいじ、あそぼ」とは言わなくなってしまった。
2026年6月5日金曜日
今年のパレードにはミス百万石はいない
今日のニュース記事で目を引いたのは「百万石まつりのパレードにいた“ミス百万石”はもういない 」という見出しだった。
47年連続で続いたミスコンテストが廃止されるという。
ジェンダーめぐる視点に加えSNS時代で「プライバシーがさらされる」心配からか応募が激減したという。もう「ミス」という考えが今の時代に合わないのでは・・・
1978年と1979年はミス1人に準ミス2人、1980年以降はミスが3人選ばれ、46代続いてきたミス百万石ですが、2025年を最後に廃止されることになったという。
金沢百万石まつり実行委員会・新保博之実行委員長(金沢市副市長)「年々応募者というのは少なくなってきていた。その中で、やはり時代の流れの中で、ジェンダーの問題でありますとか、そういうことが大きくクローズアップされる中で、多様性の時代ですので、“ミス”という考え方が今の時代に合わないのではないかということもあり、廃止とさせていただいた」
百万石まつりのパレードには「ミス百万石」3人が乗って手を振る車があるのは普通だと思っていたが、応募者が減り続けたりミスというのは今の時代にそぐわなくなったということで廃止されるという。時代の流れということでもあるので、やむをえないこととわりきって考えよう。
2026年6月4日木曜日
商店街の面影はあれど・・・
今月に出産を控える女性が3日、能登町役場を訪れ、安心して出産できる体制を整備するよう申し入れた。横浜市から能登町に移住した久手堅真登香さんは、6月に第5子の出産を控えている。
能登半島地震のあと、奥能登では分娩機能が備わった病院が無くなり、久手堅さんは自宅で出産することを選んだ。5月に行われた奥能登4つの公立病院の統合を話し合う検討会でも、新たな病院に分娩機能を設けない案が持ち上がり、奥能登の周産期医療の課題が改めて浮き彫りとなった。久手堅さんは妊婦の立場から、次の世代も安心して出産できる体制を構築するよう求め、新病院に分娩機能を整備するよう、提言書をまとめ、3日、能登町の吉田義法町長に手渡した。
それにしても最近は余りにも人口減が激しい。地震がそれに追い打ちをかけた。子供の頃に通った柳田村商店街はそれなりに賑わっていた。年末年始の大売り出しも大忙しだった。商店街の「くじ引き」は大いに賑わった景色が思い出される。地震直前に現地に行ったのだが、殆どの店舗の戸は固く閉ざされて、往時の見る影もなかった。そこに地震、気の毒になるくらい賑わいは消えていた。悔しいが昔の繁盛した景色はもう見られそうもない。