日本高野連は昨日(20日)、新型コロナウイルスの影響が各地に広がる中、オンラインで第百二回全国高校野球選手権大会の運営委員会と理事会を開き、兵庫県西宮市の甲子園球場で八月十日から予定していた夏の甲子園大会と出場権を懸けた地方大会の中止を決めた。夏の大会の中止は三度目で戦後初、選抜大会と春夏連続での中止は戦争での中断を除き史上初めてだという。
監督から中止になった旨の話を選手たちは涙を浮かべて聞きながら悔しい思いをしていた。4月からズーッと練習も見合わせだったので、そんな予感を抱いていた選手は多かったと思うが、正式に中止の発表となって涙が溢れたのだろう。
中止となった今回は第102回なのだそうだ。自分が高校3年生だった時は第42回だったから、あれから60年も経っているということだ。いきなり時代は60年遡るが、3年生になってすぐだったが、担任の先生から呼び出しがあって職員室に行った。何も悪いことはしなかったが・・・と、何事なんだろうとどきどきしながら職員室に入った。
担任曰く、「土木のクラスから応援リーダーを一人出すことになったが、君は部活をやっていないので応援リーダーを引き受けてくれ」ということだった。断る理由は無かったので引き受けることにした。校歌や応援歌の旗の振り方や、腕のモーションを10通りくらい練習して、最初の出番に臨んだのは全国高校相撲金沢大会だった。場所は護国神社に隣接した県立球場で鉢巻きをしめ応援旗を振った。
次の出番となったのは北信越高校野球県大会だった。2年生の中島投手が好投して優勝してしまったのだ。北信越大会は長野市営球場で開催された。ここでも勝ち進み決勝戦となったが僅少差で準優勝だった。
北信越長野大会 |
8人の応援団を結成して大会に臨んだ |
帰りの急行白山はブラスが鳴り響いた準優勝の喜び |
そして夏の高校野球大会が始まろうとしていた。夏休みに入って直ぐ応援リーダー十名が早稲田大応援リーダーを招いて腕の振り方の特訓を受けた。発声練習も過酷に行なわれ
声が枯れてきた。その結果、県代表に上り詰め北陸代表決定戦のため福井球場に3日程通った。そして優勝。
決勝戦は対敦賀 逆転優勝! |
全国大会はもちろん甲子園。相手はプロに転向した大崎投手を擁した平安、結果は1:0。
朝日新聞がでかでかと写真を掲載した。右端が「自分」なのだ。 |
60年前の吾が姿が甲子園に |
アルプスではない3塁側応援席だった
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こんな思い出が今の高校生にはなくなるという。せめて地方大会は開催して欲しいと切に願うものである。
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