2024年5月9日木曜日

大型連休と1万人の災害ボランティア

能登の震災ボランティアが結果的にどうなったのかについて県が発表した。相当、遠方からかけつけたボランティアもいたらしい。
被災地で活動したボランティアの数は、のべ1万人を超えたという
県は、住民からボランティアの要請を受けた分にはすべて対応できたとして、引き続き協力を呼びかけていくことにしている。


大型連休の期間中に被災地で活動したボランティアの数をまとめた結果
によると、4月27日から5月6日までの10日間に、輪島市や珠洲市など6つの市と町でのべ1万429人が活動したという。これだけ多くの人が協力してくれたことに驚きである。
県は、市と町のボランティアセンターに住民から寄せられた要請にはすべて対応できたとしている。

打ち上げ!

一方で、自宅を離れて2次避難しているため片づけにとりかかることができないケースや、避難所から仮設住宅に引っ越す際に手伝いが必要になるケースなど、今後もボランティアのニーズは高いとして、引き続き協力を呼びかけることにしている。

高校生は建物修復が終わるまで県外施設に

また、輪島市にある日本航空高校石川のキャンパス内に、新たに約100人分のボランティアの宿泊拠点を設置したという。
馳知事は「今後も被災した人たちから膨大なニーズが出てくると考えられるので、県としても被災した人たちとボランティアのマッチングをサポートしていく」と述べた。

年中日曜日の身としては、1週間程度のボランティアをしたいという気持ちはあるのだが、頻繁に病院通いの身にとってはそれができない。悔しい限りだ。

2024年5月8日水曜日

柳田植物公園内のレストラン再開

柳田植物公園のレストランが地震のため閉店していたが、仮設の配管を整備したり、天井を修復したりして、地震から4か月がたった5月1日から営業を再開したという。
大型連休の最終日となった6日も家族連れなどが訪れ、地元特産の「能登牛」を使ったステーキやハンバーグなどを注文していた。

NHKニュースより抜粋

こんなニュースで、思い出が蘇ってきた。18年前(H16)、能登線廃止1年前だったが、3組の友人夫妻6人で能登線乗り納め会をして、ついでにこのレストランに寄って食事したことがあった。
18年前このレストランで会食した

ちょっと小さかったが、このレストランの一押し料理だという能登牛のステーキを食した。
このグループでは、これまでシンガポールや上海旅行を楽しんでいる。

桂林シェラトンホテルに1泊し漓江下りを楽しんだ

何年か後に、植物公園レストランの傍にある星の観察館「満天星」で1泊する予定でこのメンバーで宿泊予約したことがあったが、急用ができたため取りやめたことがあった。
色々と思い出が蘇った。

2024年5月7日火曜日

驚いた!金沢最大の観光地とは

大型連休が終わった。金沢は大勢の観光客で大賑わいだった。新聞によると、金沢市内で最も人出が多かったところは、今までの感覚と違う場所。兼六園?金沢城?茶屋街?すべてNOだという。正解は何と近江町市場なんだとか。
フーン、なぜそこになったのか?


なんでか!というと日本海でとれた新鮮な魚が食べられる店に来る人が溢れている。何時間も店の前で並んで待っているのだ。SNSの評判が評判を呼ぶという連鎖反応が、集客につながっている。
スマホの写真を見て「うまそうだなぁ、よし、次の休みは俺も近江町へ行こう」と。

3日、県内は観光客や帰省客の入り込みがピークとなり観光地も大勢の人でにぎわった。
JR金沢駅では、北陸新幹線が到着すると大きな荷物を持った帰省客や観光客が続々とホームに降り立った。
新聞記事参照
東京からの帰省客:人が多いなって新幹線もいっぱいでした」
観光客:
「Qにぎわいはどう感じていますか?」
「やっぱりゴールデンウイークだなって」
「びっくりですね。人が多くて驚いています」

JR西日本によると3日午後4時時点で、北陸新幹線のはくたかは4本で乗車率が100パーセントを超えた。
観光客:「こんな人がすごいと思いませんでした」
観光名所の一つとなった近江町市場では北陸の海の幸を求め多くの客でごった返しました
子供:「蒸しガキです。イカ焼きです。めっちゃおいしいです」
観光客:「ここまですごく盛り上がっているのでなんかもう大丈夫なのかなって活気があふれていてすごいと思います」
「いっぱい食べていっぱい貢献しようと思います」

2024年5月6日月曜日

偽情報にハマっていた

つい先日、あるニュースを見て驚いた。
それはある人物がモンゴル観光大使に任命されたというニュースだった。その人はこれまで流れていたネットのニュースでは、認知症が相当進んで廃人になっているというものだった。てっきりそうなっているものとばかり信じていた。それが、次のようなニュースを見た。小林旭(85)が4日、都内で行われたモンゴルのPRイベント「GO MONGOLIA」に出席し、モンゴル国観光大使に任命された・・・・というではないか。

まだまだ元気な姿ではないか

同国を訪れたことはないが、角界に小林から名を借りた「旭」を含むしこ名のモンゴル出身力士が多く「『ありがとう、ありがとう』って言われて、こっちが面食らう」とつながりを説明。元横綱の白鵬(現・宮城野親方)の断髪式に参加するなど親交があり「モンゴルの人とは肌が合う。どこかでモンゴルの血が入っているのかもしれない」と思いをはせた。

年内にモンゴルを訪問予定。海外の思い出として、昭和30年代にパスポートなしで台湾に入国したエピソードを披露し「(すごい人気で)空港が壊れちゃうって通してくれた。『“渡り鳥”の小林旭』って神様扱いだったから」と笑った。

このニュースに接して、如何にでたらめでかつ本当らしく流されているニュースというものが多いと気づいた。これからはガサニュースに踊ろされることのないよう気を付けたい。

2024年5月5日日曜日

大型連休

長いなぁと思っていた大型連休も残すところ明日1日となった。それにしても金沢の観光客の多さには驚きである。

関東圏が2時間半となり観光客激増

ついこの間までは、新潟まで行って新幹線に乗っていたことを考えれば、嘘のような話になってしまった。その新幹線のできるまでは、夜行列車に乗って6時過ぎに到着だった。

16年前の高架橋歩こう会 孫は1年生だった

16年前

64歳で退職して2年目だった。このころから集会所の新築計画にのめりこんでしまった。
その集会所も完成して12年が経過した。時の流れはどんどん早くなるように感じる。

2024年5月4日土曜日

さすが宇出津人気質!地震?そんなもんに負けとられん!

地震の影響で開催が危ぶまれていた宇出津伝統の「あばれ祭」は、ことしも継続されることに決まったという。祭りにかける意気込みが伝わってきた。
宇出津地区で、江戸時代から続くとされる「あばれ祭」は、「キリコ」がまちを練り歩き、燃えさかる大たいまつの周りを乱舞する。
ところが、地震の影響で、道路やみこしの出発点となる鳥居などが壊れ、安全管理や費用面の問題から開催が危ぶまれていた。
こうした中、地元住民でつくる祭の協議会が議論した結果、「祭の開催が町の復興につながる」という意見が多く、ことしも開催することを決めたという。
地震なんかで中止するわけにはいかん!という意気込みが伝わってきた。

もう祭りの準備が始まった!
先ずは大松明のあての木集めから

住民の費用負担を抑えるため、たいまつの材料となる木の枝を山から運び出す作業はボランティアが担うことになり、3日朝は120人あまりが旧柳田村の山に入り、県の木に指定されている「能登ヒバ」のアテの枝を順番に手渡しで運んだ。

松明の材料を乾燥させる作業(お祭り広場)

運んだ枝の束は、燃えやすくなるよう1か月ほど乾燥させたあと、高さ7メートルにもなる大たいまつなどを作るのに使う。
祭の準備を指揮する時長大和さん(41)は「自分たちの町、祭りなので、できることはやろうと思いました。開催には賛否あると思いますが、あばれ祭が地元の活力になってくれれば」と話していた。宇出津出身者はお盆に帰らなくても祭りには帰るという。
ことしの「あばれ祭」は、7月5日と6日に開かれる。悲嘆にくれる地震を乗り越えるに違
いない。

2024年5月3日金曜日

隆起海岸に国道う回路設置

千枚田付近の国道249号が昨日、通行可能になったという。南志見や名舟の住民は輪島まで行くのに柳田を経由しなければ行けなかった。これでようやく千枚田の観光もできるようになった。

う回路は隆起した海岸に設置された

大規模迂回を余儀なくされていた同市東部の住民からは「やっと輪島中心部の市役所やスーパーに通える」と安堵の声が聞かれた。
土砂崩れで通行できなくなった約800メートルの区間のうち、430メートルは土砂の除去の見通しが立たず、隆起した岩盤に盛り土するなどして、北側に湾曲する1車線道路(幅5メートル)を造成した。


緊急車両や地元車両向けの造成で、途中にすれ違いのための待避スペースがある。波の高い日などは通行止めになる恐れもある。
輪島中心部まで車で20分程度だった同市南志見(なじみ)地区は、南方の能登町をぐるりと迂回(うかい)して、渋滞がなくても輪島中心部まで1時間以上かかる道のりを強いられていた。
1車線だが中間付近に待避所が設置された

南志見地区の区長会長、古酒谷政幸さん(76)は「復旧に4~5年かかるという話もあり、心配していた。仮設住宅の住民が病院にも行きやすくなる」と笑顔を見せた。

これで輪島市内から曽々木までは走行可能となった。それにしても建物復旧の着手は中々めどが立たないようではがゆい思いが募るばかりだ。

2024年5月2日木曜日

なんのこっちゃ 雪形「猿たばこ」?

雪形「猿たばこ」・・・?
という見出しだが、聞いたことがない。なんでも白山に雪が被った白い状態から暖かい季節に移行する際に山肌に現れ得る模様をいうらしい。

さて、どこに?

この絵がなければわからんかった

出現 農作業開始の目安 「桜同様 風物詩に」白山に確認、宣言
春の雪解けとともに、白山の山肌に現れる雪形「猿たばこ」の出現判定委員会が設立され、4月30日に初の出現宣言を発表した。加賀市の一部地域で農作業開始の目安として受け継がれる雪形の伝承を残そうと、来年以降も宣言を出す予定。神田健三代表(75)は「桜の開花宣言のように、雪形も風物詩となれば」と話している。 

この宣言は今年初めて出したという。  だろうなぁ・・・と思った。

猿たばこは、田おこしの時期の目安として同市打越町の住民に伝わる雪形。2004年に雪形の専門家と、神田代表が当時館長を務めていた同市中谷宇吉郎雪の科学館が、地域住民から伝承を発掘した。それまで白山の雪形は長い間詳しく知られてこなかったが、猿たばこが認知されたことを機に、南加賀地方に10個ほどの雪形があることが分かった。

金沢市内からでも一部を見ることができるというからじっくり見てみたい。が、気温が上昇すれば見えなくなるが・・・


2024年5月1日水曜日

史上2番目6場所で新小結

郷土の誇りとするあの大の里が新三役・小結と番付発表された。
大の里 初のまげ姿披露「ようやくお相撲さんになれた」所要6場所で新三役昇進、新番付で「実感湧いた」と大きなタイトルで記事が掲載された。


付け出しデビューから所要6場所で新三役に昇進した大の里は茨城県阿見町の二所ノ関部屋で会見し「(番付の)名前が大きくなっているのを見て、三役に上がった実感が湧いた」と目を細めたという。

ちょん髷も結えました!

この日は初のまげ姿も披露し「これからだという気持ち。ようやくお相撲さんになれた」。初日から横綱、大関陣との対戦が確実で「序盤戦の5日間が勝負になる」と闘志を燃やした。
会見の冒頭では飲酒問題に関して師匠の二所ノ関親方(元横綱・稀勢の里)とともに謝罪した。

飲酒は未成年者と一緒に飲んだということで咎められ、暴力事件と同等に記事で叩かれたが、そんなことは気にせず出世街道をまっしぐらに突き進んでほしいものである。

2024年4月30日火曜日

最長距離新幹線試乗の記憶

開業前の建設関係者が試運転列車に乗車することを試乗という。最初に体験したのは昭和39年8月の東海道新幹線名古屋・豊橋間だった。新幹線という列車に初めて乗車し、200km/hを初めて体験して感激した。そして次が11年後の昭和50年1月、広島・博多間だった。建設は広島県内で山口県境にある小瀬川までが担当区間で、高架橋やトンネル工事を担当した。

業務はトンネルと高架橋の担当だったが、オイルショック等で多忙を極めた。毎日午前0時を回った。何度も転職を真剣に考えたほどだった。資材や労務賃金の上昇が著しく、契約単価の訂正作業が続いた。

このペアで労苦を共にした
広島から博多まで試乗し往復した

自分の担当した区間を走行した時は感動した。

苦労した高架橋を走行した時は大感激
試乗は最後尾の運転席が指定された

昭和50年3月10日岡山・博多間営業開始の日、広島新幹線工事局全職員は広島駅新幹線ホームに集合し、出発式セレモニーに臨んだ。

広島駅でも出発式が行われた

かくして全線開業となったが、3月末に岐阜工事局に転勤予定だったので、毎晩遅くまで業務が続いた。

2024年4月29日月曜日

ひと昔前の思い出

パソコンには1年ごとにフォルダーを作って写真を整理している。こんなことができるのも、何年か前にアルバムに貼ってある写真を全てスキャンしPCに取り込んだので、容易にいつでもその年の出来事を見ることができるようになった。最近では、カメラに記録したデータは印刷することなくデータを見れば十分である。             

先日、十年ひと昔という言葉を思い出して10年前のデータを見たのだが、最年長の孫が中1、次が小4、続いて小1、最も下が3歳と、とても懐かしく往時のことが思い出された。

もうすぐこどもの日

こどもの日には必ず掛け軸、兜、武者人形を飾って、その前に4人が並んで写真を撮った。
それが今年からは人形は出さないという。しかし、源為朝を描いた掛け軸は掲げることにした。

最も年少の孫が幼稚園から帰ってくると
二人を連れて遊びに連れて行った。

一族10人が自分の誕生を祝う会をやってくれた

早く大きくならんかなぁ・・・と子供たちの遊ぶ姿を見ていたものだが、過ぎ去ってしまえば正にアッという間だった。二人の内孫は院1、大学2年となり名古屋、京都に行ってしまった。大型連休にもかかわらず、帰郷はしないという。ま、そうだろうなぁ。

2024年4月28日日曜日

クンシランという花

わが家にある鉢植えの花だが金のなる木という 花が11月ごろから満開だったが、4月に入ってシーズンが終わったのではさみで切り落とした。かなり長く楽しめた。金のなる木は山王町に住んでいる頃、スーパーで購入した。なので、30年以上も家にある鉢植えだが、花が咲き出したのは数年前から。すでに何十鉢にも株分けして近所の方に分けてあげた。

その花は白い小さな花だが、それを一鉢あげた方からランの一種であるクンシランという鉢を貰った。それが見事な花を咲かせている。

クンシランという花

一鉢だが中々ボリュームのある花できれいである。そのほかデンマークカクタスという鉢は数鉢ありこれが咲くとなかなかきれいなものである。ヒメコブシもすでに散ってしまった。
そのうちヤマボウシの白い花が咲き、ナツツバキでだいたい花のシーズンが終わりとなる。

クジャクシャボテン

このクジャクシャボテンは花の寿命があまりにも短いのでもうわが家にはなくなった。

2024年4月27日土曜日

昨日から中宮温泉に行けるようになった

白山ホワイトロードの一部が昨日開通した。これにより冬季閉鎖していた中宮温泉がオープンとなった。
冬季閉鎖されていた白山白川郷ホワイトロードの無料区間4.5キロ(白山市尾添―中宮料金所)が26日、開通し、来訪者がドライブや釣り、ハイキングなどを楽しんだという。開通に合わせ、冬季休業していた中宮温泉では営業が始まった。

通行止め解除!

これにより閉鎖となっていた中宮温泉がオープンした。

町内シニアクラブで中宮温泉のホテルで昼食や入浴を楽しんだ

もう十年ほども前の話になったが、町内の老人会で紅葉シーズンにバスツアーした。

紅葉真っ盛りの三方岩駐車場

中宮温泉

なお、有料区間(24.5キロ)の全線開通は6月中旬を見込むとなっている。全線開通したら行って見たい。

2024年4月26日金曜日

あれっ、こころ旅が中断した?何でだろう

熊本の週が終わって今週は長崎の予定だった「こころ旅」だが、何だか様子がへんである。去年の北海道編が再放送になっている。おかしいなぁ・・・と思っていたら、やはり異変が生じていたことが分かった。
BSでは15日から放送がスタートしていたが、それぞれ1週間分の放送を終えた翌週から「予定を変更してお送りします」との断りが表示され、過去の再放送となっている。

13年目の初めてのリタイヤ

火野氏の所属事務所によると、火野氏は同番組の撮影が始まってから、持病の腰痛が悪化。医師と相談の上、現在は療養しているという。
火野正平氏の年齢が現在74才であること、痛めている箇所が腰であることを考えると無理は禁物である。今は「2024年春の旅」で巡る予定であった9つの県のことを考えるよりも、自身の体に治すことに専念されることが良いだろう。
74歳でも登坂をはぁはぁしながらペダルをこぐ様子を見て、達者なもんだなぁ・・・と感心してみていたのだが・・・
それにしても番組がないのは淋しい限りである。

2024年4月25日木曜日

千枚田最後の耕作者引退!

千枚田唯一の農家引退 
82歳田中さん「ここらが潮時や」 
農機具壊れ、体力も衰え
〈1.1大震災〉

という新聞の見出しがあった。とうとう千枚田の耕作者がいなくなった。自分より1歳年上の田中さんである。
「白米千枚田」の田んぼの所有者で唯一の耕作農家、田中喜義さん(82)が米作りを断念したという。地震で農機具が壊れ、体力も衰えたため、守ってきた農地に足を入れることをやめる決断をした。大型連休が近づき、本来はあぜを塗って田植えの準備を始める頃だが、田中さんは無残にひび割れた棚田を見詰め「ここらが潮時や、寂しいが仕方ない」と語った。

これ以上耕作は無理・・・と断念した田中さん

日本海を望む急勾配の斜面に大小1004枚の棚田が広がる。約30年前に白米町で17、18軒あった耕作農家は年々減少。2014年からは田中さんのみとなった。
地震で千枚田近くの田中さんの自宅は損壊。敷地内の農機具の倉庫はつぶれ、愛用のコンバインやトラクターが下敷きとなった。3月下旬に妻の君子さん(86)と避難先の金沢から自宅に戻ったが「寄る年波には勝てん」と田中さん。修理には多額の費用がかかることもあり、耕作意欲が再び湧くことはなかった。
他の農家の田んぼも引き受けて米を作ってきたが、近年は十数枚を維持するのが精いっぱいだったという。


引退を決め、自宅から道の駅「千枚田ポケットパーク」までの散歩が日課になった。苗を植えなくなった田んぼをどうするかは決まっていない。それでも田中さんは「千枚田の価値は変わらんよ」と長年守ってきた景色をいとおしそうに眺めた。
 ●オーナー制215組が継続 地震で辞退は1組だけ
千枚田で会費を払い、米作りを体験できる「オーナー制度」で、昨年からの継続会員は215組で、新規会員は62組。輪島市などでつくる景勝保存協議会によると、地震の影響でオーナーを辞退したのは1組にとどまった。

 オーナー制度は市が借り上げた約500枚が対象で、田んぼ1枚を借りられる「オーナー会員」、田植えなどの作業のみ参加できる「トラスト会員」を毎年募集。地震の影響で今年は規模を縮小して作付けを行うため、返礼品などの特典は原則なしとする。

1004枚ある田んぼの500枚のほかの耕作者はどうなっているのか気がかりだ。

2024年4月24日水曜日

遠くに行ってしまった孫

上の孫は今年で23歳、下の孫が20歳になる。二人とも一つ屋根で暮らしていたが、県外の大学に進学したので去年から誰もいなくなってしまった。大学を卒業してもUターンはまず考えられないだろう。孫の両親は仕事の関係で帰宅する時間が遅かったため、孫の面倒見はじじばばの役目だった。二人が常に家にいるのが普通だった。それだけに、二人目の孫がいなくなった去年から特に淋しい思いが募った。

H1412孫(長男)1歳

H1705孫(次男)

H20孫(次男)

H18年3月に退職して17年も経過した。孫と暮らしていたのが去年で最後となった。孫の手を引いて方々に出かけた思い出は多い。
それだけに二人の孫がわが家からいなくなって淋しさがつのるばかりである。

2024年4月23日火曜日

医者通い

最近になって医者通いが増えた。今日はかゆみが治らないので医科大の皮膚科へ行って、帰りに町内の薬局で薬をもらい先ほど帰宅した。かゆみ止めは従来の薬と新たに寝る前に飲む薬が増えた。やっかいなかゆみ症状である。
痛風の藥は毎回55日分貰っている。この整形外科医は高齢のため5月末で閉院になるという。次はどこにしようか迷う。

5月末閉院予定の整形外科医

また、血液サラサラ、高血圧の治療に内科医院に通っているが、ここは1カ月ごとである。医科大は皮膚科のほか、泌尿器科へは半年ごと。こんな状況なので、とても免許返納は考えられない。お陰様で肺炎2週間、腎がん2週間以外は長期の入院はない。男の平均寿命は81.05歳だという。これだと今年で寿命が尽きることになるが、適当に医者に通いながら余命を過ごしたいと思っている、

2024年4月22日月曜日

ちょんこ山

 能登の方言で「ちょんこい」という言葉がある。ちょんこい犬やなというように小さいという意味だ。宇出津の曳山祭で子供用の山をちょんこ山という存在を初めて知った。おふくろが宇出津の実家へ帰るときには必ず連れていかれたから、あばれ祭り等に何度か行ったことを覚えている。この曳山祭も千間の橋付近で見た記憶が残っている。そういえばダシの綱も引いた覚えが残っている。

曳山祭のダシ

このダシは震災で道路復旧されていない場所もあるようで曳山は中止となった。その代わりに子供のダシであるちょんこ山を引き回した。

ちょんこ山を引く子供たち

下水道マンホールが浮き上がっているが、これではダシの引き回しはとても無理。
祭の承継は子供たちが楽しさを体験する必要があるが、ちょんこ山はその役目を十分に果たすことだろう。来年はきっと本山車が引けることだろう。

2024年4月21日日曜日

ゴキブリだんご

昨日は町内の組織である「悠々サロン」でゴキブリだんごを作った。毎年1回、この時期に行われるが、参加者から好評を得ている。
キッチンなどに現れる嫌われ者といえば、ゴキブリ。暗くてジメジメしたところを好むゴキブリにとって、キッチンは理想の居場所の一つ。冷蔵庫の裏やシンク下の隙間などは暗くてジメジメしており、ゴキブリにとって好条件のそろった場所となっている。


このゴキブリという厄介ものをやっつける団子は、人間にとっても有害物なので取り扱いには十分気を付けなければならない。それだけあって、この団子を置くとその効果は驚くべきものがある。

有毒物のホウ酸を使う

ゴキブリ退治の方法には殺虫剤や業者による駆除があるものの、頻繁に殺虫剤を使用したり駆除を依頼したりしていては、多くの手間やお金がかかってしまうことも考えられる。
ホウ酸団子は、悠々サロンで簡単に作ることができるので重宝している。

サロンの終わりに「金沢健康体操」をしているのだが、町会のノートパソコン2台とも情報の流出防止のためか、特殊な保存方法が導入され一般的な方法ではCDも利用できなくしてある。これは行き過ぎの防護だと感じる。事前の説明もなく余りにも独断だと憤りが湧いて
きた。

きた。

2024年4月20日土曜日

眼底浮腫が快方に

 右眼を閉じると薄黒い模様のようなものが現れ、眼を開けるとその模様が浮かび上がり、しばらくすると消えたりした。原因は白内障治療のため行った検査で判明した。その手術が18日実施されたが、手術といっても眼球に注射するだけだった。支払い時に請求額を見て驚いたのだが、左眼の白内障手術とほぼ同額。院内の掲示物にこの治療のことが記されていた。解説によれば、注射液開発は活気的なものだと記されていた。

図に浮腫ができた箇所を赤丸で表示した。

この位置の網膜の外側に水が溜まって腫れた状態になっていた。手術は一昨日だったが、昨日から薄黒い模様のようなものは消えた。
この注射液が最近開発されたもので、高額だということが分かった。

来月中旬に右眼の白内障手術が予定されている。左眼の手術を終えたが、眼科の医療技術の飛躍的進歩に驚きを禁じ得ない。

2024年4月19日金曜日

輪島港復活の第一歩

輪島から門前にかけて、海岸が2mから4m前後隆起したため、漁港として利用できなくなった。輪島港では200隻前後の漁船が動けなくなったという。輪島港は2.5m前後隆起したようだ。
漁船の底が海底と接触して故障する可能性があるため、約200隻ある船が漁に出られない状態が続いているという。
漁の再開に向けては、漁船を沖側にいったん移動させたあと、港内の海底を掘り下げる必要があるが、一部の船の移動先となる岸壁に仮設桟橋を設置する作業がこのほど終わったという。


仮設桟橋は、1基あたり、長さ34メートル、幅が4.2メートルのものを3つつなげたもので、高さは1.5メートルあり、岸壁と海面の高低差を縮めて船に乗り降りできるようにしている。







地元の漁協によると、20隻から30隻ほど泊めることができ、来週から移動を始める予定だという。
残りの船は港内の別の場所に移動させる予定で、すべてを移動させたのちに隆起した海底を掘り下げる作業を行って漁の再開を目指すことにしている。また、地震で壊れた荷さばき所や製氷施設も復旧させていくことにしている。石川県漁業協同組合輪島支所の上濱敏彦統括参事は「桟橋を設置することで作業が進み始めるので、復旧にむけた第一歩を踏み出せたと思う。仮の措置ではあるが早く港を復旧して部分的にでも漁を再開できるようにしたい」と話していた。
だが、港湾全体が浅くなっており、船舶の航行に支障ない深さを確保する浚渫作業は難工事を避けられない。漁船が動かせないということは、漁師にとって死活問題なので一刻も早く航行可能な港湾にしてもらいたいものである。




















掘り下げる作業を行って漁の再開を目指すことにしています。

2024年4月18日木曜日

白内障のほかに眼底異常が発見された

昨日は右目の手術をした。眼底の一部が腫れている状態が見つかって、その治療のための注射だった。注射をする前には検査室で十種類前後の検査をして、手術室に入った。

検査室は3部屋に分かれており
こんな機器類が十数台並んでいる

この眼科医の以前に通ったところは検査室に数台の機器類があったが検査室は一部屋のみだった。

支払いの際に4万3千円といわれ、聞き違いかと思い聞き直したら間違いなかった。注射液が最近つくられたもので、料金が高いのだと分かった。

右目にはガーゼがあてられ、粘着テープで貼り付けられた。左目の点眼液が3種類あって、今日から右目にも点眼するよう指示があった。来月中旬に右目の手術が予定されている。治療の終わった左目と右目を交互に開けると、左目に写る景色はバッチリ明るくてくっきり見える。いかに進んでいたか、もう少し早く手術すればよかったのかも。


2024年4月17日水曜日

この時期必ずやるべき仕事

4月に入ると垣根のレッドロビンが急成長する。隣の家との境界にそれがあるので、放置するわけにはいかない。フェンス越しに枝があちこちに伸び、迷惑を及ぼすことになる。今週初めに目の手術が予定されていたが、午後からの予定だったので午前中に実行した。実はその前日に天端を切りそろえ、わが家 に面する側面もカットしてあった。

この作業は天端の切りそろえが最も難しい。あらかじめガイドラインを設けてから、脚立に登っての作業となる。

プロのような仕上がりではないが・・・

作業は枝切ばさみと脚立をかづいて隣の敷地に入らせてもらって作業開始となる。こちらの面の天端切りそろえはわが家からの作業は困難なので、先ず天端きり揃えから開始となる。作業時間は2時間前後、そのあと散らばった枝を掃いて終了となる。

かくして一仕事が終了となる。アーしんど。年は取りたくないもんだ。