2019年2月24日日曜日

限界集落の救世主

昨日のニュースで、酒造りネット募金 目標達成 本年度産 早くも売り切れへ という記事があった。

羽咋市神子原(みこはら)地区の特産「神子原米」が好調だ。今月から同地区の農産物直売所「神子の里」が始めたインターネットを活用した純米大吟醸酒造りの募金は、目標の二百万円を達成し、新たに二倍の目標額を設定した。また、本年度産の米は、例年より四、五カ月早い今月で売り切れる見込みだ。代表取締役の武藤一樹(いちじゅ)さんは「酒造りを含め、神子原米を発信していくことが里を守ることになる。一緒に夢を見てもらえれば」と呼び掛ける。

この記事で神子原米に深く関わった高野誠鮮さんという人を思い出した。「あなた様に召し上がっていただく可能性は1%もないでしょうか」という質問状を書いた宛先はローマ法王だったという。書いた人は高野誠鮮羽咋市役所職員だった。
当時を振り返って高野氏曰く、「日本のローマ法王庁大使館から電話が来たのです。失礼な手紙を送るなと怒られるだろうと覚悟しましたが、大使がお待ちになっているので大使館にすぐ来るようにとの連絡でした。大使室で言われたことはいまだに忘れません。」、「神子原というのは、500人以下の小さな村ですね。バチカンは800人しかいない世界で一番小さい国です。私が小さな村と国の架け橋になりましょう」。お米を法王様に献上してくださるとおっしゃってくださいました。 

スーパー公務員といわれた高野誠鮮さん
 4年ほど前になるが、この人の講演会を聞く機会があった。限界集落といわれた羽咋市神子原地区を見事に蘇らせた功績は高く評価されてやまないのだが講演も非常にわかりやすいのだ。
 「可能性の無視は、最大の悪策」がモットーだという。
限界集落の対策を命じられた高野さんは、「限界集落脱却の予算は60万円。自分を崖っぷちに追い込んで、知恵を絞り尽くそう!」と決意したという。

神子原地区のたんぼ
そして何と何と、
会議はしない……上司にはすべて事後報告……だという。
村人が認めない人は移住させない…… という方針を貫き、
JAのシステムに反旗を翻し、農民が値段をつけるシステムの直営店をオープンさせた。

はたまた、
サッチャーやゴルバチョフ、レーガンに羽咋のPRをお願いしたり、市に残る古文書を強引に解釈して羽咋をUFOの市にしたり、本物のロケットをNASAから格安で買って日本初の宇宙博物館をつくったり……

宇宙博物館
28歳までテレビの構成作家をされていた高野氏は、なぜ公務員に転身されたのだろうか。 という質問に対して
私が、故郷である石川県羽咋市にUターンしたのは28歳の時でした。当時、テレビ番組「11PM」などのUFO特集に構成作家として携わっていましたが、560年続く由緒ある寺の跡継ぎとして帰らざるを得なかったのです。兄が実家に戻る気がないことがわかり、自分が継がなければ故郷がなくなると思っての決断でした。ただその時、父親は健在で、檀家100軒ほどの寺に住職は2人もいらないことに気づき、羽咋市役所で月給わずか6.8万円の臨時職員の募集があったので応募し、1984年に採用されました。翌年には、寺を継ぐために、日蓮宗の40日間の修行を終えて僧侶の資格を取りました

上司と折り合いが悪く、「おまえみたいなヤツは、農林水産課に飛ばしてやる」と言われ、2002年に異動になったのがきっかけだったという。

その時に楯になってくれたのが、農林水産課の上司でした。彼は、「コスモアイル羽咋」での実績を評価してくれ、あいつだったら何とかしてくれると期待してくれていました。何よりも、「俺の定年まであと3年。その間、何をやってもいいぞ。犯罪以外なら、俺が全部責任を取ってやる」と言ってくれたのですと語った。 

今時、このような理解のある上司に巡り合うことは滅多にない。高野さんは幸運だったといえる。そんな人がいて安心して自分の思うがままの采配で限界集落どころか数々の奇跡に近い功績を残された。

退職されて3年、現在ここに勤務されている




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