2019年2月14日木曜日

女性がSLの機関士に

昭和40年代で鉄道の主役「蒸気機関車」がほとんど姿を消した。石炭から石油に大変換するエネルギー政策の転換期だった。


九州に国鉄直営の「志免炭坑」が長く蒸気機関車用の石炭を供給していたのだが、この転換期に閉山された。昭和39年、小生は中央線複線電化プロジェクトの一角を担うため、岐阜県多治見に転勤となった。

しばらくして志免炭坑の閉鎖に伴う人員の配転で、40代の職員が「技術掛」という自分と同等の職制で転勤してきた。炭坑でそれなりのポストで十分業務をこなしていたであろうその人は、数カ月で新しい仕事は合わない、できないと万歳をしてしまった。
現場の調査測量をし、地形に適合した土木構造物の設計はのんびりやるわけにはいかない。定められた期限内に処理しなければ工事着工が出来ない。そんなストレスもマックスになったのであろう。

結局、本局に転勤となって守衛になった。以後、その人の顔つきが非常に明るくなった。この人のように、石炭から石油の変換で多くの人間が配置転換で悩んだことだろう。
さて、その蒸気機関車だが、今では大井川鉄道まで乗りに行くか観光目的でたまに運行されているSLを見るしかない。そういえば明治村にもSLが運行している。

先だって、「明治村のSLに初の女性機関士 江南出身の永井さん」という記事があった。
女性がSLの機関士という話は初耳である。
犬山市の博物館明治村のスタッフ永井実和さん(25)が一月二十三日、園内を走る蒸気機関車(SL)の初の女性機関士としてデビューした。園内の二つの駅「なごや」「とうきょう」間を約五分で結ぶのが仕事。「緊張しましたが、集中して操作できた」と初日を飾った。

機関車が吐く蒸気の中で笑顔を見せる永井さん=犬山市の博物館明治村で
園内には明治時代の二台の機関車が動く状態で展示されている。これまで三人の男性機関士が運転し、連結した客車で年間約十三万人を運んできた。
永井さんは三年前に入社し、やはり園内を走る京都市電の初の女性運転士に抜てきされ、以後SL車掌、機関助士を兼務してきた。

鉄道マニアではないが、「SL運転に挑戦できる機会は人生にそうはない」と一念発起。園内でSLを動かすのに必要な二級以上のボイラー技士免許を取得し、内規に沿って昨年八月から訓練を受けてきた。
運転を担当する日は片道八百メートルを時速十~十五キロで九~十二往復する。「速度計もなく、自分の感覚だけが頼り。天気やレールの状態で操作の仕方が変わります」

先輩機関士の高木基秀さん(33)は「簡単に動かしているように見えますが、駅で方向転換のためにSLを転車台に載せるには一、二センチの精度が必要。蒸気や線路の音を聞き分けて、耳で運転せよと師匠に習った。目だけだと、それだけの精度は出せない」と話す。

永井さんは江南市出身で高校、大学と吹奏楽に打ち込み、チューバを吹いた。聴覚には自信あり。「まさかそれが役に立つとは。目に見えない音が相手で難しいが、その分やりがいがあります」と話していた。


明治村へ行ったらこの女性機関士の雄姿を見たい。

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