森本駅から金沢行の電車に乗って踏切を2つ過ぎると、かなりきつい勾配を登って最も高い場所に鉄道橋がある。東金沢Bi(跨線線路橋)という名称なのだが、校区内の疋田地下道の上部にそれはある。
疋田地下道上部の鉄桁(鉄筋コンクリート合成桁)が東金沢Bi |
東金沢Bi(疋田地下道上部から撮影) |
橋梁は川を越すか、線路または道路を跨ぐために設けられる。実はこの橋梁はそのどれにも該当しないのである。これには経緯を説明しなければならない。時は37年前、金沢駅連続立体交差化のため、金沢駅の機能を客貨分離し高柳地内に貨物ヤードを移転し、このために生じる東金沢貨物ヤードから森本駅間上下貨物専用線の建設工事を担当、この橋梁を設けるためにその業務を遂行した。旅客線を跨ぐ上り貨物専用線とする工事だった。地下道が完成したときは市施行の疋田地内区画整理事業の追加工事が未施工だったため、入り口をシートパイルで塞いだりもした。昭和63年1月に東金沢~森本間の貨物通路線が使用開始となった。この橋梁は北陸本線を跨ぐために設置されたのである。
金腐川を境に貨物ヤードと東金沢駅方向に客貨分離された |
そしてもう一つ、乙丸車両基地の山側にあった北陸本線を跨ぐ上り貨物通路線の跨線線路橋も今はその下に線路はない。
橋の下には何もないが、撤去してまで下に戻すことは莫大な工事が必用になる。で、機能を失っても橋梁のままの姿が継続することになる。
0 件のコメント:
コメントを投稿