2024年10月5日土曜日

地震でやられ再建中に豪雨でやられたが負けんぞと

いやはや凄い人がおられるものだ。今朝のニュースによると、町野の歯科医が地震で自宅も診療所も半壊したが、同業者に励まされ医院を建設中だったところに、豪雨で再び工事中の建物が激流に浸かったという。町野町にある広江歯科の院長、廣江雄幸さん(72)だ。

引退よぎるも「患者さんのため」・・・と再び決意して再建に取り掛かったという。

再建中に豪雨に襲われ泥水に浸かった

元日の地震で医院が半壊し、一時は引退を考えたものの、患者の声に奮起して再出発を決意された。別の場所で医院を再建し、診療を始めるめどがたった矢先に、完成間近の建物が浸水した。それでも「患者さんのため、ここまで来たら負けられん」と廣江さん。不屈の意志で苦境を乗り越えるという。

患者さんの声に励まされたというが、再建実行された精神力に脱帽

背中を押してくれたのが地元の患者だった。「先生いつ診てくれるんや」「やめんといて」。1日に3件、同じような電話がかかってきた。「ありがたいですよね」。廣江さんは3月、住めなくなった自宅を解体し、跡地に医院を新築しようと決めた。

7月に自宅の公費解体が終わり、8月22日、医院の新築工事が始まった。10月中の完成に向けて順調に工事が進んでいたが、9月21日、奥能登を襲った豪雨で暗転した。近くを流れる鈴屋川が氾濫し、建築途中の医院が濁流にのまれた。
もうこれまでだ・・・と再建断念するのが一般的なのだが、廣江さんの元には石川県外からボランティアが駆け付け、泥の撤去を手伝っている。4日に作業を行った長野市の歯科医、原山周一郎さん(69)は「患者さんのためとはいえ、ここまではできない。僕だったら再建を諦めますよ」と話し、廣江さんの熱意をたたえた。

近くだったら何かの役にたちたいと思うが、今の体力では邪魔者になるに違いない。
今朝はいいニュースに接することができてうれしく思う。 

2024年10月4日金曜日

金属窃盗とうとう電線をターゲット

側溝やマンホールの蓋が盗まれたという話はよく耳にするが、何と電柱に登って電線を切断して持っていかれたという。味をしめた犯人は今後同様な悪行をどんどんやると考えられる。漁師が仕事を終わって深夜の犯行と考えられる。

被害にあった港付近

電柱から電線1600m盗まれる 電気が使えず…街は「真っ暗です」・・・・
千葉県鴨川市の漁港で電柱に架かる電線が盗まれた。 

切断された

今後、多発するかも

漁師 「なんで真っ暗なのかなって、電線知らない間に盗まれちゃって、船も全然見えないぐらい真っ暗になっちゃって」 1日、船に給油する装置に電源が入らないことに漁協の関係者が気付いた。 電気が使えないことで漁に影響も。 漁師 「燃料も電気使うから入れられない。困っちゃいますよね」 盗まれた電線は合わせておよそ1600メートルで、被害額は400万円相当に。 漁師 「使われている電線を切って持っていくなんて普通の人では考えられない」 
東京電力は、感電の恐れがあるため絶対に触れないよう注意を呼び掛けている。

一刻も早く犯人をとっ捕まえないと俺もやってみようと全国に広がるかも・・・

2024年10月3日木曜日

あのイカキングが名誉会長に任命された

九十九湾のほとりにある道の駅のイカキングが少年補導員名誉会長になったという。
2500万円の支出はムダ使いということで、能登町でもめにもめたイカキングは、その後人気が高くなって道の駅の売り上げに貢献しているということで、一転、能登町の名所名物なった。

イカキング

このイカキングが「少年補導員名誉会長」に奉られたという。
イカなる時も子どもたちを見守ります-。珠洲署と珠洲能登少年補導員連絡協議会は1日、能登町の巨大スルメイカ像「イカキング」に「少年補導員名誉会長」を委嘱した。イカキングの公式Xを活用して、知名度の高さにあやかり、児童の犯罪被害を防ぐための情報を広く発信する。
全国地域安全運動(11~20日)を前に、委嘱式が同町越坂の観光交流施設「イカの駅つくモール」のイカキング前であった。イカキング設置を担当した町ふるさと振興課の青木秀勝課長補佐が代わりに、協議会の桜井重祝会長から委嘱状を受け取った。名誉会長の任期は12月末まで。

少年補導員名誉会長の前で記念写真

式後、署員が地元の小木小の1~3年生の計18人に防犯教室を実施した。不審者から身を守るための標語「イカのおすし」を基に新たに考案した「イカのキング」を披露。「知らない人に着いてイカない」「知らない車に乗(の)らない」「近(きん)所の人に知らせる」「すグ逃げる」と呼びかけた。
 桜井会長は「全国的に有名になったイカキングに、児童の被害防止に大いに協力してもらい、安全安心のシンボルになってほしい」と期待を寄せた。 

この道の駅に2年前に行ったことがあるが、子供を連れた大勢の人たちでイカキングは大賑わいだった。道の駅の売り上げも好調に推移しているようだ。

2024年10月2日水曜日

開業60周年を迎えた新幹線

昨日(10月1日)は、吾が人生にとって忘れられない記念日だった。
東海道新幹線は1日、開業60周年の節目を迎えた。日本の大動脈を担い、高度経済成長を支えた同新幹線の累計乗客数は70億人にのぼる。JR東海の丹羽俊介社長は東京駅で開いた出発式で「きょうから始まる未来に向けて、一層愛される東海道新幹線をつくるべく努力を続ける」とあいさつした。
1964年の開業当初は「夢の超特急」と呼ばれ、東京と大阪を従来より2時間半短い4時間で結んだ。同年の東京オリンピックなどとともに、日本の経済力の向上を象徴する存在になった。

    開業当初の東海道新幹線の出発式(1964年10月1日、東京駅)

車両は団子鼻で有名な初代「0系」から最新車両「N700S」まで7世代が導入された。最高時速は開業当初の210キロから285キロまで上がり、東京―新大阪間の所要時間は最短2時間21分と開業時から4割近く短縮した。一方で、白い車体に青いラインという基本形は変わらず、どの時代にもそのカラーリングで愛されてきた。

昨日のセレモニー

近年は新型コロナウイルス禍で落ち込んだビジネス客が回復途上にある。JR東海は沿線地域などと連携して新たな客層の発掘を進める。1日あたりの列車本数は8月に過去最高の480本超を記録するなど、輸送力の強化にも取り組んでいる。

昭和39年8月、この新幹線名古屋駅から豊橋間の試運転列車に乗った。吾々国鉄工事関係者に試乗の機会を設けてもらった。車内速度表示版が時速200km、この表示を見た時は感動したものだった。よし、俺も新幹線を建設するぞと誓った。

試乗する列車が入線した

そして1969年(昭和44年9月)、山陽新幹線建設のため広島に転勤した。
2025年3月には新大阪―博多駅間を結ぶ山陽新幹線の全線開通から50周年となる。

そんな記憶を呼び覚ませたニュースだった。

2024年10月1日火曜日

漁師と海女さん100人が捜索に協力!

陸の災害で異例協力という見出しに釘付けになった。何と漁師や海女さんたち27隻100人が海上から不明の輪島中3年の喜三翼音さんを見つけようと協力されたという。
記事を見て目頭が熱くなった。

奥能登豪雨で安否不明となっている輪島中3年の喜三翼音さん(14)を見つけようと、輪島市内の漁師や海女約100人が29日、漁船に乗り込んで海上から手掛かりを捜した。捜索範囲が塚田川河口まで広がったことを受け、有志が「船を持つ自分たちにできることをしたい」と協力を志願し、27隻が参加した。地元の海士町船主会によると、陸上で発生した災害の捜索に漁船が出動するのは異例で、一日も早い発見を目指す。

海上から喜三さんの捜索に当たる漁船(奥)
29日午前8時半、輪島市の塚田川河口付近

各船に数人ずつが乗り込み、翼音さんが流されたとみられる塚田川河口付近に向かった。
漁師や海女は現場に到着すると、潮の流れを見ながら2時間超にわたって海上に目を凝らした。ただ、周辺は元日の地震で海底が隆起しており、参加した漁師の1人は「風の影響で座礁する恐れがあり、海岸にはあまり近づけなかった」と話した。
30日も有志がボランティアで船を出す。海女漁保存振興会長を務める門木奈津希さん(43)は翼音さんと同世代の娘がいるとし、「想像するだけで胸が苦しくなる。早く風がないで(弱まって)ほしい」と話した。

海士町船主会の細道龍一会長(48)によると、この日の捜索には仮設住宅が床上浸水の被害を受けた漁師も参加した。細道さんは「災害が多く発生しており、人ごとではない。漁師として一日も早く見つかるよう、海上から手伝いたい」と力を込めた。

何としても一日も早く見つかってくれるよう祈りたい。