2024年6月26日水曜日

里山海道7月17日暫定対面開通!

のと里山海道・能越自動車道 7月17日から対面通行可能というニュースが流れた。
地震発生から能登方面の交通網がズタズタになっていたが、7月17日から対面交通となるようだ。被災地の状況は殆ど地震発生時のままとなっているが、これで大きくスピードアップされるだろう。


だが、全面的ではないという。穴水地内の能登大橋の損害規模が大きいため、ここだけは片側交互通行となるようだ。

9月まで我慢 これくらいの我慢は異議なしだろう


ある人に聞いた話だが、これまで能登町まで5,6時間を要したという。これでほぼ正常な状態となるので、復旧が加速すると思われる。

2024年6月25日火曜日

とっさの行動で人命救助

もし、自分が踏切にさしかかって遮断機が下りて停止しようとしたときに、すでに自転車に乗った高齢者が踏切に入った場合に、躊躇することなく直ぐその高齢者を助け出す行動ができるかというと、とてもそんな自信はない。
それが、高校生と40代の男性が連携プレイで男性を助け出した直後、電車が通過したという。そんな二人が表彰されたという。

人命救助した北鉄石川線踏切

躊躇することなく行動した二人

北陸鉄道石川線の遮断機が下りた踏切内に自転車で進入し、立ち往生していた高齢男性を助けたとして、金沢西署は24日、女子高生と会社員の男性の2人に感謝状を贈った。偶然居合わせた伏見高1年の清水梨央さん(15)と会社員の雁行(がんこう)真志さん(47)で、遮断機を上げるなど連携し、男性と自転車を踏切の外に引っ張り出した。救出の1秒後に電車が踏切内を通過しており、間一髪で男性の命を救った。

すばらしい二人の行動力でした。

2024年6月24日月曜日

2週間遅れの梅雨入り

今年は空梅雨かと思わせる天候だったが、おそがけの昨日から梅雨入りとなり、県内は一転して各地で大雨となった。夜遅くにかけて、1時間に30ミリの激しい雨が降るところがあった。気象台は、土砂災害に警戒するよう呼びかけている。
これは梅雨前線や低気圧に向かって暖かく湿った空気が流れ込んでいる影響で、県内は大気の非常に不安定な状態が続いている。

昨日は各地で大雨となり、宝達志水町では、午後1時半すぎまでの1時間に、6月の観測史上最大となる49ミリの激しい雨が降った。

昨日6時までの雨量
午後6時までの24時間に降った雨の量は、白山市白峰で160.5ミリ、宝達志水町で128ミリ、かほく市で123.5ミリ、金沢市で120ミリなどとなっている。
県内は、このあとも雷を伴って1時間に30ミリの激しい雨が降るところがある見込みとなっている。

幸いにして、吾が町内は大水等の災害は想定外となっている。

2024年6月23日日曜日

高岡のある寺の住職が加賀藩主となったそのお寺に行った

県内に国宝の建物は不在だが、富山には2年前に国宝になった勝興寺や平成9年に国宝になった瑞龍寺がある。その勝興寺に老人会が訪れたことがあった。今から遡ること15年前になる。

勝興寺山門
この山門は京都から明治初期に移築された。

読みづらいが凄い山門であることが記述されている

本堂で勝興寺の歴史が語られた

この寺の元住職が回りまわって加賀藩第11代藩主となられたという歴史がある。我々が訪れた時は、まだ修繕工事中でその修築が完了してすぐ国宝に昇格した。
富山の2つの国宝はいずれも加賀藩主が関わったお寺だが、県内にまだ国宝の建物がないのが物足りない。羽咋の妙成寺五重塔が最も期待されているのだが・・・

2024年6月22日土曜日

困難を乗り越え「やると決めた」あばれ祭

宇出津のあばれ祭だが、去年は36の町内会がそれぞれ、キリコを出し住民たちが担いで町なかを練り歩いた。しかし、1月1日の地震で被害を受け、開催をどうするか運営委員会が町内会を対象に参加の意向を尋ねたところ、期限の20日までに36の町内会のうち4つの町内会が「参加しない」と回答したという。

能登高校書道部が運営委員会から依頼され作成した

宇出津地区の町内会のうち、仙人町は、キリコを動かすのに必要な40人ほどの担ぎ手を確保できないなどとして祭りへの参加を断念したという。
例年は、進学や就職で町を出た若者などが祭りにあわせて友人などを連れて帰省し、キリコの担ぎ手になっているが、今年は多くの住宅が被災し、代わりとなる宿泊場所もないことなどから帰省する人は少なくなる見込みだ。

町内会の室谷幸雄会長は「地元にいる以上、祭りに参加したいというのは本当にみんな同じ思いですが、キリコを出したくても出せないからどうしようもありません。苦渋の決断です」と話したという。
一方、新村本町の町内会は「被災地を元気づけたい」という一部の声を受けて祭りへの参加を決めたが、本番に向けて不安を抱えているという。
町内会によると宿泊場所が不足する中、担ぎ手となる若者たちが例年のように戻ってきてくれるかや、でこぼこになった道路を大きく重いキリコを担いで安全に練り歩けるかなど課題があるという。
町内会の寺下幸弘会長は「道も危ないところがあるし、担ぎ手が確保できるのかもまだ読めない。ハードルはいくつもあります。ただ、ここまで来たのでなんとか成功させたいです」と話していた。

宇出津人の気質からして、あばれ祭は盛大に開催されるだろう。頑張りを期待したい。

2024年6月21日金曜日

金沢市の墓地崩壊復旧方針が決まった

金沢市は、地震被害を受けた卯辰山墓地公園の復旧方針を決めたという。
わが家の墓もあるので現地を見てきたが、何せ広大な墓地なので崩壊したという場所には行けなかった。

卯辰山墓地

この写真の左側にはまだまだ広大な墓地が続いている。崩壊したという場所は左側奥と推定される。

大規模崩壊した墓地
以下、記事参照
能登半島地震で墓地の一部が崩落した奥卯辰山墓地公園について、村山卓市長は20日の市議会本会議で、身元の判別や回収が難しい遺骨を合葬するため、現地付近に慰霊碑を建立する方針を示した。来年度中の完成を目指す。
崩落は公園西側の第4区で幅30メートル、長さ100~120メートルにわたり、計71基の墓石が崩落した。村山市長は「今回は自然災害が原因だが、市営墓地での崩落で、当然、市に管理責任がある」と述べた。

墓地の画地総数は数千基前後はあると推定できる。

2024年6月20日木曜日

隠れて咲いていたアジサイと梅の実

 つい先日は卯辰山花菖蒲園へ行って一面に咲き誇る花菖蒲を鑑賞してきたが、今朝の晴天で女房が植えたベゴニアに水やりをしていて、あれっ、何か花が見えると思って傍に近づいてみて見ると、見慣れない花が咲いていた。

門扉の裏に何かが咲いていた

よく見てみると見慣れないアジサイが咲いていた

昨日は裏の何も植えていない畑へ行って見たら、道路に熟れたアンズが数個落下して潰れた状態になっていたので片付けて門扉を閉めようとしたら梅の熟した実が落下していた。今年は梅は不作だと諦めていたのだが、かなり落下していてこんなにまだあったのかと驚いた。まだ何とか食べれるものを選んで数個持ち帰った。南高梅のような大粒の梅でおいしい梅だが、今年は不作だと思い込んでいて収穫しなかった。拾い集めた梅を食べたがおいしかった。来年はじっくり観察したい。

2024年6月19日水曜日

 故郷に錦を飾った男の中の男

故郷に錦を飾るという言葉を覚えたのは小学生の時だったように思う。若い頃は自分もそうありたいと思ったものだが、ついにその思いは果たせなかった。それをいとも簡単に(そう思える)大の里がそれを成し遂げた。

出身地の津幡で錦を飾った

素晴らしい錦の数々
大の里は1場所で3千万円を稼いだという。もうすぐ名古屋場所が始まるが、大の里の活躍はほんの助走段階にすぎない。
これからが楽しみなのだ。1場所ごとに新記録を作り出すだろう。
名古屋場所も応援しよう。大の里頑張れーっ!


2024年6月18日火曜日

花ざんまい

卯辰山の花菖蒲が見ごろというニュースがあったので、昨日は久しぶりに卯辰山の公園に行った。駐車場は狭いのだが、満車で入れないのでUターンして上に登って路肩に駐車した。
公園だから入場は無料で、老人施設の小型バスなどで見物に来る人もあった。

TVのニュースでその気になった

花と広々とした解放感、広くて気持ちがよかった

今週がヤマかという感じ

鮮やかなアジサイも咲いていた
いい目の保養になった。
家に帰ってわが家の庭を見たらナツツバキが咲いていることに気づいた。

ナツツバキの花は1日で下に落ちてしまう

2階から見下ろすとてっぺんにつぼみが沢山あった

ということで、昨日はハナ三昧の1日となった。

2024年6月17日月曜日

羽咋に飛来する野鳥が増えている?

最近になって、羽咋に飛来する野鳥が増えているという。
(以下、
記事参照)
ヘラサギ、クロツラヘラサギ、コウノトリ…。6月に入り、国の特別天然記念物を含む珍しい野鳥が次々に羽咋市内に飛来している。
羽咋写真協会会長の野村恒さん(74)=同市太田町=が、その姿をカメラに収めた。

羽咋市内に飛来する珍しい野鳥が増えているという

クロツラヘラサギ1羽とヘラサギ2羽を撮影したのは7日午後3時半ごろ。邑知潟の水田に降り立ち、3羽でむつまじく餌を探していた。性別は分からないがいずれも成鳥。全長50センチほどとみられる。
2種は名前の通り近縁種。クロツラは首の周りが黄色く、頭の後ろの羽「冠羽」が大きいことでヘラサギと区別される。クロツラは県のレッドデータブックで「絶滅危惧1種」に指定されている。

一方、コウノトリは8日午前11時半ごろ、野村さん宅そばの太田町の水田で確認された。13日には邑知潟で延べ8羽の飛来が確認された。

        餌をついばむコウノトリ=羽咋市太田町で(野村恒さん撮影) 

2種は名前の通り近縁種。クロツラは首の周りが黄色く、頭の後ろの羽「冠羽」が大きいことでヘラサギと区別される。クロツラは県のレッドデータブックで「絶滅危惧1種」に指定されている。
一方、コウノトリは8日午前11時半ごろ、野村さん宅そばの太田町の水田で確認された。13日には邑知潟で延べ8羽の飛来が確認された。

足環の情報では太田町の個体は兵庫県豊岡市で生まれた3歳の雄と判明した。今年は2月に島根県に移り、3月中旬に津幡町の河北潟へ。それ以降の明確な「足取り」は分からなかった。
日本白鳥の会理事の川口雅登さん(70)=羽咋市酒井町=は「クロツラヘラサギとヘラサギが市内の同じ場所で確認されたのは初めて」と驚きつつ「市内の生物多様性が確立しつつあるのでは」とみる。
 
邑知潟干拓地ではコウノトリが巣をつくれるよう高さ12メートルの人工巣塔が設置されるなど、野鳥のための環境づくりが進んでいる。
野村さんは「ゆくゆくは羽咋でトキが放鳥される日が来るかもしれない。ここが野鳥のサンクチュアリ(聖域)となればいい」と目を輝かせる。

足環で色々な情報が分かるという。この情報を得るのには野鳥を捕まえて足環を見なければならないと思うが、これは容易なことではないと思うのだが・・・

2024年6月16日日曜日

波自加彌=ショウガとは知らなかった

波自加彌=ショウガとは知らなかった。そして奈良時代から続けられている大祭も素晴らしい。
昨日15日、自分の住んでいる場所から3km北東にある香辛料の神まつる波自加弥神社で大祭が行われたという。

ショウガを供えた拝殿で祈りをささげる参列者=金沢市花園八幡町の波自加弥神社で

日本で唯一、香辛料の神をまつる金沢市花園八幡町の波自加弥(はじかみ)神社で15日、「はじかみ大祭(生姜(しょうが)まつり)」があり、地元住民や香辛料に関わる県内外の事業者でにぎわった。一年の無病息災を祈るとともに、能登半島地震からの復興を願った。

神社は奈良時代の718年創建。大祭は、干ばつが続く中、神社近くに湧いた霊水の恵みに人々が感謝してショウガをささげた逸話にちなむ。地震では境内の灯籠や玉垣に被害が出た。
ショウガや関連する食品を供えた拝殿で田近章嗣(あきつぐ)宮司(66)が祝詞を奏上し、企業や団体の代表が玉串をささげた。その後、恒例のしょうが湯がふるまわれた。田近宮司は「ぴりっと心を引き締め、元日の災いを断ち切ってほしい」と呼びかけた。

料理人でつくる金沢柏綱(はくつな)社中は平安時代から伝わる「四條流包丁儀式」を披露。包丁と箸でコイを切り分け、並べた身で「長命」を表した。調理研究越路(こしじ)会はショウガの箱ずし150食を配った。 

来年の大祭には参拝しようかと思う。

2024年6月15日土曜日

国道249号線真浦・仁江間のトンネルは海水浴で通った道

 国道249号線は柳田から輪島や角花塩田付近の海水浴でよく通った道である。曽々木海岸につながる仁江トンネルが地震で通行止めとなっており、開通のめどが立っていない。

真浦方入り口
その入り口の山が大崩落し通行不可となった。
大惨事
この復旧工事は難航となることが想定される。
このトンネルを抜けると仁江海岸となり千丈敷が広がっている。しばらく行くと角花家の塩田がある。

ここの塩田の後ろからすぐ海となるのだが、この付近の岩場は家族の海水浴場として随分楽しめた。
娘たちはここで泳ぎを覚えた
塩田の塩汲み場は幼い娘たちにとっては格好の遊び場となった。そのうち潜ってサザエがとれるようにまでなった。
そんな思い出が詰まった場所に行けないのが残念。大回りすれば行けるだろうけど・・・。

トンネル入り口もそうだが、旧道のトンネルも埋まっているようだ。
元気なうちに思い出が詰まったこの道でドライブを楽しめたらいいのだが・・・

2024年6月14日金曜日

不作だと思っていたが

昨日13日は例年通りにアンズの収穫をした。今年も去年に続いて不作だと思っていたのだが、収穫してみたら例年通りではなかったものの、まあまあの収穫だった。

例年の7割程度の出来か
例年はこの3個のバケツにてんこ盛りとなる。
以前、収穫時に町内在住の女性がお金払うから是非分けて欲しいと懇願されたことがあり、その何年後かにまた別の女性から、「私、アンズが好きなので少し譲ってもらいたい」と云われた。その人には今年もあげたら大喜びされた。

今年はこの程度だからジャムとジュース作りをやめ、梅干し風もほんの少しだけにした。僅かしか食べないのだが、熟したアンズはうまいとしかいいようがない。

2024年6月13日木曜日

河北潟干拓地でコウノトリに雄雌二羽の雛が成長中

河北潟干拓地 のコウノトリの愛称が決まったという。
その愛称名は「コウタ」と「コウリ」。 


津幡の
河北潟干拓地に生息する国の特別天然記念物コウノトリのペアの愛称を、雄は「コウタ」、雌は「コウリ」に決めた。11日の町議会全員協議会で発表したという。
町によると、ペアは海外生まれの雄と兵庫県豊岡市生まれの雌。河北潟干拓地には数年前から生息。2年連続でヒナが誕生し、巣塔で子育てをしている。
愛称は町民から募集し、84件の応募の中から決定した。コウタとコウリには特別住民票を発行し、定住促進事業のマスコットキャラクターとして「町定住促進特使」に委嘱した。

海外生まれの雄と豊岡生まれの雌の間に生まれた云々とあるが、それがどうして河北潟干拓地の巣にたどりついて生まれたのか不思議な物語のようだ。

豊岡には絶滅したコウノトリを繁殖させる育成施設があるが、もう10年前くらいになるが、金沢市北部地区公民館の視察旅行会でこの施設を訪れたことがあった。

豊岡市立コウノトリ文化館

コウノトリはこの施設で育成され今では全国に飛来している

河北潟干拓地のこの営巣の近くにメタセコイア並木道がある。この並木道は車の往来も殆どなく静か。巣を見てここにも行って見たい。

2024年6月12日水曜日

エエッ、かなや が?

 湯涌のかなやが昨日閉館したという。何のまえぶれもなく驚いた。ここは5年前に子供たちが金婚式のお祝いをしてくれた場所なので「なんでや?」という思いで記事を読んだ。

新聞の見出しは
湯涌温泉「かなや」閉館 
「金沢の奥座敷」支え、91年で幕・・・となっていた。
昭和初期から営業を続けてきた旅館「かなや」が11日、閉館した。加賀料理と露天風呂を売りに石川県内外の客に親しまれたが、将来的な後継者の不在と建物の老朽化を見越し、91年の歴史にピリオドを打った。今後、土地と建物を購入した大阪の企業が新たな宿泊施設をオープンする予定だが、「かなや」の名称はなくなる見通しで、「金沢の奥座敷」を支えた老舗の看板が消えることを惜しむ声も上がる。

これは全く知らなかったかなやの歴史。
かなやは明治期に「北陸の鹿鳴館」と評され、当時の財界人らが通った金沢市尾山町の社交クラブ「金谷館」が前身。1933(昭和8)年、同町から湯涌にのれんを移し、旅館として開業したという。

たたむ理由は
 近い将来、築50年が経過した本館建物の老朽化対策も必要になるため、喜代子さんは「旅館がつぶれて湯涌の景観を邪魔する事態は避けたいと思い、早めにたたむことにした」という。

いい温泉だった
ま、閉館は惜しまれるが、大阪の業者が後継者となるようだから、全く消滅することはないようなので安心した。

2024年6月11日火曜日

ハナショウブが満開(卯辰山公園)

卯辰山の花菖蒲園では今が見ごろを迎えているという。
昨日は梅雨入りのめやすとされる入梅だった。
梅雨入りは平年で6月11日、去年は6月9日だったが、今年は1週間ほど遅れる見込みだという。 卯辰山公園花菖蒲園ではおよそ50品種、10万本のハナショウブが見頃を迎え、訪れた人が散策したり写真を撮ったりしていたという。 

50品種10万株あるハナショウブが先週から咲き始め、訪れた人を楽しませている。
おととしイノシシによる被害を受けハナショウブは最盛期の半分ほどに減ってしまったと言う。そこでイノシシが侵入しないよう対策を施し、今年の開花にこぎつけた。


イノシシがショウブの花を食い荒らすということを初めて知った。
卯辰山公園は2,3回訪れたことがあるが、かなり広大な敷地である。今年も行って見ようか。

2024年6月10日月曜日

万里の長城と北京市内をとらえた写真は珍しい

万里の長城と北京一の高さを誇る高層ビル「中国尊」の「ツーショット」が最近、中国のソーシャルメディアで話題となっているという。
この写真には、北京市延慶区四海鎮の九眼楼長城(万里の長城)の向こう側に、北京市朝陽区にある超高層ビルの「中国尊」が写っている。


山地にある古代に建設された万里の長城と、平原にある現代に建設された「中国尊」という、時代を超えたコラボレーションにネットユーザーは思わず息をのんでいるだけでなく、かつては煙霧に悩まされていた北京の空気が今は澄み切っていることに感動しているのだという。

21年も前の出来事になってしまったが、北京と万里の長城には旅行したことがあった。その頃は北京でも停電が当たり前だったし、道路もやたら混んでいた。

ここで写真を撮ってからフリー見学となった
写真の6人はたまたま旅行社が企画募集し、名古屋からの夫婦4人と上海で合流して上海・西安・北京を旅行した。
総延長6千kmとこんなものを良く造ったものである

中国の休日と重なったためこの込み様になった

この頃の日中関係は全く問題がなく旅行を楽しめた。

2024年6月9日日曜日

北鉄能登線柴垣駅

中学1年生の頃だからやがて70年前になるのだが、当時汽車遠足というものがあって、金沢駅からかつてあった北鉄能登線の柴垣駅まで汽車に乗って妙成寺に行ったことがあった。北鉄能登線は羽咋駅から三明までの路線だったが、羽咋駅からダイレクトに能登線に入り柴垣駅で下車した。北鉄線はどういうわけかカーブになるとキーンと軋んだ。

鉄道写真家が写した柴垣駅

ここから妙成寺まで徒歩だった。その途中に写真を撮った。

妙成寺五重塔の前で記念写真
モノクロをカラーにしたがカラーになっていない部分が

この写真の中で、私はどこにいるのだろう・・・
ヒントは学生服で帽子を冠っていない。冠っていない理由は分からない。
ついこの間のように思い出した。

2024年6月8日土曜日

金沢城石垣復旧に15年も?

金沢城の石垣は多種多様な積み方があり、専門家は金沢城の石垣は博物館だという。その石垣について、県が調査中だった頃、その調査にほんの少しだけ関わったことがあった。
その石垣が能登半島地震で一部崩落した。その復旧に何と15年も要するというニュースに接した。
この石垣を含め5か所も崩落した
7日、県議会本会議を再開し、馳浩知事は一般質問の答弁で、能登半島地震で被災した金沢城の石垣復旧に15年程度かかるとの認識を示した。石垣の被害は28カ所で、このうち崩落した5カ所は3~5年程度を要する見込み。馳知事は文化庁と協議して復旧作業を進めるとし、「石垣は金沢城の大きな魅力。現場見学会の開催も検討していく」と説いた。
馳知事は、まず崩落した石垣の復旧から進め、今月から作業の支障となる樹木の整理を始めるとした。今夏には崩れた石材を取り除き、文化財調査に使う足場を設置すると説明した。

金沢城の石垣は博物館といわれるだけに学術的にも貴重なものである。
地震前に写した写真が保存されていた。


玉泉院丸改築における石垣調査中
石垣は文化財であることから、4月に設けた専門家会議で価値の保全と強度の確保を両立する復旧工法を検討していくという。

実際にグルっと一周して現場の状況をこの目で確かめてみたい。

2024年6月7日金曜日

安原のスイカ出荷が始まった!

中学生の頃、内灘へ海水浴に行った際に、広大なスイカ畑にスプリンクラーが散水している光景を見て、スイカを育てる大規模なシステムに驚いたことがあった。
昨日のニュースで、市場に出荷されたスイカの仕分け作業がオートメ化されているのを見て、時代は変わったなぁと実感した。

JA金沢砂丘スイカ出荷場
昨日から「金沢すいか」の出荷が始まったという。
1玉8キロほどと大玉で、みずみずしい甘みが特徴の「金沢すいか」。
JAの集出荷場には、安原地区にある20軒の農家から6000玉の金沢すいかが持ち込まれ、生産者が画像診断で形や空洞がないかを調べたあと糖度を測るなどして4つの等級に分けていった。
一度、安原のスイカを食べると病みつきになる
能登半島地震の影響で一部の農家では、水を供給するパイプが破損する被害もあったが、修復が終わり昨年と同じ作付面積となった。
西瓜部会 清水大志部会長:
「夏場ってどうしても食欲が減退すると思うんですけどすいかは水分も栄養もあるので食事として食べて頂きたいと思います」と。

金沢すいかは、今日の朝競りにかけられ早ければ昼頃に店頭に並ぶという。食べたいなぁ。

2024年6月6日木曜日

超はや!昨日一日で121棟公費解体進捗

 いつまでもほったらかしだった朝市通りの無残な姿だったが、昨日から開始された公費解体で何と121棟が終了したという。すごく早いというイメージだが、ダンプ横づけで重機で解体積み込みだと何ということもないスピードなのかもしれない。

ようやく鎮火が終わった状況

これまでほったらかしのように思われたのだが、実は登記の問題で関係者のはんこが全て整わないと滅却登記はできなかった。それが代表者のハンコで取り壊しができるようになったという。輪島市の涙ぐましい努力が続いていたのだった。

更地になれば建物再建の機運が高まる

公費による解体や撤去の対象となるのは、能登半島地震で被害を受けた市内の「朝市通り」周辺にある約280棟のうち、申請のあった100棟余りです。
5日の作業は午前8時半すぎから始まり、市から委託を受けた業者が建物の解体に向け、辺りに散乱したがれきを重機で撤去する作業を行っていました。
輪島市朝市組合の冨水長毅組合長は、「地震後の景色がなかなか変わらず私も含めて組合の皆さんも見るたびにつらい思いをしていました。1日でも早く復活することに期待を寄せています」と話していました。

輪島市当局の事務処理に努力された皆さんにねぎらいの言葉を贈りたい。
「ご苦労様でした。これからも頑張ってください」と。