2018年12月31日月曜日

年の瀬あれこれ

平成30年も今日1日だけとなった。天気予報で年末年始は大荒れ&大雪だったが、今朝、新聞を取りに郵便受けを見に行ったが、玄関ドアを開けて殆ど積雪のない周りや路面を眺めてホッとした。
朝刊を広げると???と思える記事が。
ブリ豊漁宇出津港大にぎわいというブログを10日ほど前にアップしたが、今日の朝刊で宇出津豊漁、七尾、氷見例年の1/4とあった。

活況の宇出津漁港市場
 「まんで少ない」。宇出津の豊漁を横目に、ため息が聞こえてくるのは七尾市公設地方卸売市場だ。11、12月の取引量は約17トンで、豊漁だった5季前と比べて4分の1以下となった。止め市に集まった競り人も一列分しか並ばないブリに残念そうで、岸端定置網組合(同市)の一瀬保夫組合長は「収入の多くを占めるブリの不漁が続くと、経営が傾きかねない」と頭を抱える。
富山県の主要産地である氷見でも今季、千本以上とれた日が1日もなく、水揚げ量が伸び悩んでいる。原因は水温が低いためだとか。

10年ほど前になるが、年末の買い出しに近江町に行った。その時もブリ不良で、養殖したものが殆どだった。あきらめかけた時、佐渡産ブリと表示したブリがあった。値段も氷見産より格段に安い。魚屋のオヤジ曰く、「佐渡産だが、ブリは半日あれば氷見に行く。みんな一緒や、どや、買わんか」と。それもそーだなと納得してそのブリを買った。

人をかき分けながら進むしかない
昨日は近江町市場に人どっと 正月用食材求め
今年も残りわずかとなった30日、金沢市の近江町市場は正月用の食材を買い求める市民や観光客でにぎわった。通路は歩くのがままならないほどの人で埋め尽くされ、平成最後の年の瀬も慌ただしい光景が繰り広げられた。

鮮魚店の大口水産によると、マグロや能登の寒ブリをはじめ、酢だこ、数の子、昆布締めのヒラメなどが売れた。1匹1万~1万5千円のズワイガニを買い求める人も多く見られた。荒木優専務は「雪や寒さの落ち着く31日は、さらに多くのお客さんが訪れると期待している」と話した。
近江町市場の年内の営業は31日までで、新年は1日から一部店舗で営業を始める。


一方、アメ横では50万人が買い物に訪れたという。
年の瀬を迎えた30日、東京・上野の「アメ横商店街」では、おせち料理や鍋の食材などを買い求める多くの買い物客でごった返した。
約400店舗の店頭には、カニやマグロ、エビなどの海産物のほか、カズノコや黒豆、鶏肉などの具材がずらりと並んだ。店員が「全部1000円だよ」「まだまだおまけするよ」と威勢良く声を張り上げると、買い物客らは次々に商品に手を伸ばしていた。 


同商店街連合会によると、30日は昨年同日の約45万人を超える約50万人が訪れたという。31日も40万~50万人が訪れる見込みだ。
東京都足立区の主婦の女性(38)は「正月は家族で鍋を囲んでゆっくり過ごしたい」と話していた。

東京では帰省客で混雑する新幹線が「ブレーキが緩まなくなった」という原因で3時間前後も全ての新幹線が不通になったという。ニュースでそんな光景を見て、広島から2歳の娘の手を引いて長い長い帰省の旅をした辛さが思い出された。宇出津まで18時間!それも金沢から超満員の輪島・蛸島行に3時間も揺られた。
過ぎ去れば夢のごとしである。





2018年12月30日日曜日

サッカーとサクソフォーン

中学2年の孫は幼稚園時代からサッカーをやっている。その上の孫も幼稚園から中学卒業までサッカーをやっていたのだが、高校に入って部活を何にするか迷っていた。当然サッカーだろうと思っていたのだが、高校のサッカー部に入部する生徒はレベルが高く自分の居場所がないのだという。結局、弓道部に入部した。

小学生には当然部活がない。二人の孫はどうしたかというと、森本少年サッカークラブに入団した。少年サッカークラブの指導者は全てボランティアで、隣町の町会長もそのうちの一人だった。中2の孫は部員が足りなくてよその中学と合同で試合に出場している。1年生が部員ゼロだという。何故そんなことになるのかというと、高度な練習ができるサッカークラブに入団するからだという。


さて、このほど、高円宮杯全日本ユース(U-15)サッカー選手権大会の決勝が二十八日、東京都の味の素フィールド西が丘であり、ツエーゲン金沢U-15(北信越第一代表)はFC東京U-15深川(関東第三代表、東京都)に0-2で敗れた。県勢初優勝はならなかったが、準優勝は県勢過去最高。


金沢は19分に先制を許すと、試合終了六分前の74分にも失点した。14本のシュートを放った相手に対し、金沢は4本にとどまり、ゴールネットを揺らすことができなかった。
このツエーゲン金沢U-15というチームがサッカークラブの一つである。市内には5,6チームはあるのだという。
これらのチームに登録した選手は、中学の公式試合には出場できないという決まりがあるのだとか。おそらく親の意思も強く作用しているのだろうけど、入部ゼロのクラブがある中学生が可哀そうに思う。

もう一つ素晴らしいニュースがあった。
猛練習結実「将来はプロに」
白山市明光三の金沢錦丘高校二年の南貴也さん(16)が、二十六日に東京都で開かれた十九歳未満のサックスの全国大会「ジュニア・サクソフォーンコンクール」(日本サクソフォーン協会主催)で優勝した。プロのサックス奏者を目指していて「高校入学当初からの目標をかなえることができてうれしい」と喜んでいる。

コンクールはテープによる第一次審査があり、通過者が本選に出場して十五分以内で演奏する。南さんは本選でスウェーデンの作曲家ラーションの曲を演奏した。「緊張したが、やりたいことを出し切ることができた。楽しく演奏することができた」と振り返る。 


コンクールに出場するのは今年で三回目になる。二〇一六年は特別賞を受賞し、昨年は三位だった。今回は練習量を平日は四時間、休日は九時間とこれまでの倍に増やし「絶対に優勝すると強い気持ちで臨んだ」という。

正に毎日がサックス漬けである。地元の人間が多方面にわたり大活躍していることは心が踊る。。将来に向かって益々の発展を心から祈念したい。
 

2018年12月29日土曜日

遠山の金さんにお出ましを願うか

昨日は防衛省が公開した13分間のビデオを見た。映像からは問題があった日は日本海は穏やかだったように感じた。クルーと機長のやり取りから緊張感が漲っていた。
このビデオから、日本になんら落ち度はなく、一方的にレーダーを照射されていることが分かった。それも断続的に執拗に照射し続けていた。
このビデオを見ると、韓国は日本を敵と看做していることが明らかである。ふざけてこんなことが出来るわけがない。


 これに対して韓国報道官はレーダー照射を裏付けるものは一切なかったとうそぶいた。

報道官に罪はないのだが表情は憎々しげに見えた

韓国国防省「事実関係ごまかし」 映像公開に反発
韓国国防省は28日、防衛省が海上自衛隊の哨戒機が撮影した映像を公開したことを巡り「日本側が映像資料を公開したことに深い憂慮と遺憾を表明する。一方的な内容を盛り込んだ映像を公開し、事実関係をごまかしている」と反発する声明を発表した。

韓国海軍の駆逐艦の行動について「日本の哨戒機に追跡レーダーを運用していない事実には変わりがない」と重ねて主張。映像について「一般常識的な側面で、日本側の主張に対する客観的な証拠だと見るのは難しい」と指摘した。
哨戒機の飛行について「人道主義的な救助活動に集中していた韓国艦艇に対して日本の哨戒機が低空飛行をしたことに、友邦国として大変失望する」と強調。「日本側は韓国と軍事友好協力関係を維持する精神を持続的に堅持しなければならない」と注文をつけた。

これは「やくざ」の言い分ではないか!
開いた口がふさがらない!

こうなれば名奉行の遠山の金さんにお出まし願い、啖呵を切ってもらうしかない。
「あくまでもしらを切るか。なればこの遠山ざくらに見覚えがないとでも・・・」と。

防衛省が韓国主催の国際観艦式への海上自衛隊派遣を見送ったのは、韓国側が求める自衛艦旗「旭日旗」の掲揚自粛という無理筋の要求を、到底受け入れることができないからだった。
その時、各国に軍艦旗ではなく国旗掲揚を指示したが、数か国がそれに従わなかったといい、韓国自身も軍艦旗を掲揚していたという。「あほか」である。日本国民としてこんな歯がゆいことはない。しかし、参加した軍艦で韓国旗を半旗掲揚したところがあったという。


理不尽な韓国の要求を不当とする意思表示だろう。

そんなことで、韓国報道官のビデオを見てより一層嫌韓感情が強くなってしまった。

2018年12月28日金曜日

年末の大雪予報

近くの雑貨屋へ年賀はがきを買いに行った。店主が、200枚となれば取り寄せになるので午後に来てくださいというので、今日は24日で祭日だけど取り寄せできますかと念を押した。「あっ、そうか」ということで25日に買いに行って午後からプリントの下準備となった。

パソコンが動かなくなって修理に出したので、アプリが消失したのが何点かあって、筆王も消えた。で、筆王のソフトを買って古いデータにアクセスしてみた。何回かトライアルした結果、かなり古い住所録が読み取れた。ところが、10年前のデータなので住所が合併で変わったところが多数あることがわかった。仕方なく、今年の年賀状を1枚1枚確認しながら訂正して行った。前の古いソフトの方が使い勝手がよかったなぁという気持ちになった。

裏はワードで作成しているのだが、今年のデータを読み取って写真だけ入れ替えることにした。宛名のプリントが終って裏のプリントに移った。全てプリントが終って一筆啓上を始めた。あれっ、なんじゃこりゃというのが出てきた。3枚続けて斜めに印刷されているではないか。しかたなく裏表3枚をプリントやり直しとなった。

一筆啓上は30分ほどやっていると目が二重に見え、しょぼしょぼになる。だから作業は頻繁に中断するので3日かかった。そして先ほどポストに投函してきた。
昨日、一昨日と雨の晴れ間を見て玄関フードやシャッター等の外回りを水洗いした。
正月用品も買ってきたので今日あたり玄関に飾りつけよう。

年末年始の天気予報では「大雪」となっている。先ほどポストまで往復したが、歩道に4,5cm積雪していた。夕方までに20cmくらい降ると予報がある。

今朝の雪雲
昨日の函館市内

年末の大雪といえば昭和35年、28日から降りやまない大雪で帰省客を詰め込んだ列車が新潟や今庄で立ち往生した。そんな列車に乗っていた人から大変な目に遭った状況を聞かされたものである。

今年はどうかというと、日本付近は強い冬型の気圧配置が続き、30日ごろにかけ、この冬一番の寒気が流れ込む見通し。
気象庁によると、30日ごろにかけて、日本付近の上空約1500メートルに北日本で氷点下12度以下、東日本と西日本で氷点下9度以下の寒気が流れ込む見通しだという。
列車不通にならないよう祈るばかりだ。
雪はねが壊れているので買い替えた方がよさそうだなぁ。


2018年12月27日木曜日

そんなに鯨肉食べたい?

小学生の頃、家族の食事は折り畳み足のついた丸テーブル(卓袱台)を囲んだ。食卓にはまれだが年に数回ほどだったか、コンロに乗せたすき焼き鍋を取り囲んだ。
すき焼き鍋に入れる肉は決まって鯨肉だった。牛肉なんていうもんは食べたことがなかった。肉と云えば鯨肉だったのである。上に黒い線のようなものが入っていて、真っ白いぶよぶよとしたものも鯨肉で、酢味噌にあえて食べたが決して美味しいと思えるしろものではなかった。

そんな思い出が残る鯨肉であるが、朝刊では日本がIWC脱退とでかでかと記事が掲載された。


 日本は、商業捕鯨の再開に向けて国際捕鯨委員会(IWC)を脱退すると発表した。
これをうけて、反捕鯨国のオーストラリアとニュージーランド、「失望した」と批判して、日本のIWC復帰をもとめているという。


日本は調査捕鯨の結果、クジラの資源が回復しているとして、IWCで商業捕鯨の再開を20回以上、提案したが反捕鯨国の強い反対で、今も認められていない。
オーストラリアなどが「いかなる形でもクジラを殺傷すべきでない」と言って、商業捕鯨の再開に強硬に反対している。
日本は、このままIWCにとどまっていても、再開への見通しは暗いと判断したためだという。


日本がなぜ捕鯨をするのか?その理由は?
日本はクジラを食べなくてはならないほど、食糧難の国ではない。
ではなせ、捕鯨を続けているのか?
●捕鯨は日本の伝統文化に基づくもので、日本の漁師は何百年にもわたってクジラを捕獲してきたし、何を食べていいか悪いかを外国人に指図されるいわれはない(ちょっと言い過ぎのようにも思うが)
●沿岸捕鯨は日本文化の一部
●調査するには毎年何百ものクジラを殺さなくてはならない
●捕鯨計画はICJ(国際司法裁判所)の要求を満たしている
●クジラ肉を食べて育った年代には懐かしい味である(そうかな?)
●高級肉として販売できる(こじつけでは?)
●重要な政治的理由がある



日本人の食料としてのクジラの消費量は極僅かで、クジラ肉を販売している関係者でも、クジラをたべることに、必要性は感じていないようなのだ。

子供の頃は20万トン!現在はゼロに近い数字
全年代の大多数の人間が食べたことがあるという
また、他国の捕鯨は沿岸で行われているのに対し、日本は調査として南極まで行って捕鯨し、母船まで持っている。そしてこの調査費用は、国民の税金から支払われている。
市場では残念なことに、ワシントン条約で取引が禁止されている絶滅危惧種のナガスクジラの肉が並んでいることもあるという。
結局、捕鯨を続ける大きな問題は、政治的なことのようなのだ。
今まで何も不自由していなかった鯨肉、何で脱退なんてするのだろう?

しかし、ペリーが開港を迫った理由の一つが捕鯨船に燃料・食料を供給するということだった。アメリカは世界一の捕鯨国として2世紀に亘り世界に君臨してきた。その国が捕鯨するなと声高に叫んでいる。自分が獲り過ぎていたくせにだ。


2018年12月26日水曜日

卯辰山越しに立山が見えたという新聞記事

朝刊を見て、「エエッ、本当に?」と驚いた。
何と、卯辰山の頂部から白く輝いた立山がくっきりと写し出されているではないか。
今まで見たことがない写真に暫く釘付けになった。
写真角度から推定すると、カメラの位置は兼六園の見晴らし台付近かも知れない。
そんな位置から立山が眺められるとは考えもしなかった。
先だって、内灘から見える立山の姿を紹介したばかりである。金沢付近から立山が眺めらえるのはそこしかないと思っていたので、朝刊記事の写真はインパクトが大きかった。

H301226北國新聞朝刊から
右手前の住宅地は鈴見団地である。卯辰山の後方の紺色をした山並の上部に、立山連峰が横たわっている。
良く晴れていてもこのような写真が撮れるとは限らない。
撮影したカメラマンはこの位置から立山が見えることを知っていたのに違いない。そして今日は見える確率が高いと考えカメラを構えたのだろう。
カメラは広角超望遠の高性能であろう。

ただやみくもにカメラのシャッターを切るだけでは優れた写真は撮れないと自分に言い聞かせ、題材を決めて計画をたてて写すべきと今の自分の姿を反省した。
北國新聞のカメラマンに脱帽でした。

2018年12月25日火曜日

「ああ云えばこう云う」が世にはばかる

先だって取り上げた韓国駆逐艦の火器管制レーダーについて、 韓国側は一転、「照射していない」と反論したという。
昨日の24日付の韓国紙は社説で「韓国軍が攻撃行為をしたかのように主張するのは行き過ぎだ」(京郷新聞)などと日本を批判した。
また、日本の哨戒機が韓国軍の駆逐艦の上空を飛行するという「通常的ではない」活動もあったとし、「非友好的なにらみ合い状況も起きかねない」とした。 

かの国は動かざる証拠を示しても素直に謝ることはないのだろう。何もいまさら始まったことではない。駆逐艦の名称が千年以上も前の昔々の日本軍を懲らしめたという将軍の名前が付けられているという。だから、それが何だというんだ!
ただ、東亜日報は「韓国側の説明に至らない部分があるのなら、外交安保のラインを通じて(日本側が)追加で説明を聞けばいい」と主張し、「韓国国防省は当時の経緯をきちんと把握し、日本側に十分に説明しなくてはならない」と論じたらしい。 一応、良心のかけらに見える。

国内にあってはゴーン容疑者の再逮捕で検察側の意気込みが窺い知ることができた。
自分が一儲けしようと企てた投資が失敗し、その損失補償金を日産の経費で充当させたという。その額はとてつもない巨額なのだ。サウジアラビアのロビー活動費だと否認しているようだ。しかし、毎年20億もの給料を支払う日産、15億もの損失補償金をポンと出す日産。経営がゆるぎなく運営して行けるのが不思議に思う。経営の神様とまで崇められたゴーンであるが、絶対権力者となれば誰も同じことをするようである。

話はアメリカに飛ぶが、トランプ米大統領は23日、来年2月末の辞任を表明したマティス国防長官を年内に退任させ、シャナハン副長官を1月1日から国防長官代行に任命するとツイッターで発表した。シリアからの米軍撤収などトランプ氏の方針に抗議したマティス氏の辞表内容に怒りを募らせての行動だが、トランプ氏は今月に入り、こうした専制的な振る舞いを連発。ロシア疑惑の追及圧力が高まり続ける中、求心力回復のため「自らが決定権者」であることを見せつけようとしているようだ。 

就任して間もない頃から、側近が次々と辞めている。あのおとっつぁんがアメリカの過半数の支持を得ているというから、アメリカという国も地に落ちたものだ。TPPを離脱、温暖化対策の会議からも離脱、米中貿易摩擦のエスカレート、政府機関の閉鎖等々、まるで無茶苦茶だが「アメリカファースト」信奉者の熱烈な支持があるのだとか。アメリカ人よ目覚めよ!と叫びたい。

また米株価下落を受け、連邦準備制度理事会(FRB)の利上げ判断への不満表明を連発。独立機関であるFRBのパウエル議長解任を画策しているとも伝えられた。
こうした傾向は、ロシア疑惑の追及に焦燥感を募らせるトランプ氏が、「強い大統領像」を一段と前面に出し、局面突破を図ろうとしている表れとみられる。11月末に元顧問弁護士で腹心だったコーエン被告がロシアとの取引に関する虚偽証言の罪を連邦地裁で認めて以降、外交日程のキャンセルやツイッターによる早朝・深夜の政敵批判など、不安定ぶりが目立つのだそうだ。


2018年12月24日月曜日

孫からの誕生日プレゼント

昨日(23日)は天皇誕生日だが、自分の誕生日でもあった。
夕方、二女が二人の孫と一緒に来宅した。孫は小5の女の子と小2の男の子なのだが、プレゼントだといって厚紙を二つ折りにしたものを3枚差し出した。

3枚のプレゼント
1枚は写真を張り合わせて作成し、「またいっしょにえきにいこうね」とか、「じじたん生日おめでとう」とセルフ入り。
もう一つは、happyBirthdayと書いてメッセージが。「じじへ」「おたんじょう日おめでとう」、「これからもよろしくおねがいします」と記してあった。これは小5の孫が作成。なぜかカメが3匹、それにポストが作り込まれていて封書が差し込んであった。

小5の孫からのプレゼント
小さな封筒を明けて中を見たらメッセージが。

これからも元気に病気にならずにいてね!と
さらにもう一つを開いてみると虫が4匹切り抜いて貼ってあった。小2の孫からのプレゼントである。

大きくなったら昆虫博物館の世話係になりたいのだと
何せ幼稚園時代から大の昆虫好き。絵はクワガタ、カマキリ、ムカデなのだとか。
「じじたんじょうびおめでとう。これからもずっと元気でいてね」とメッセージが。
二人とも近くの幼稚園を卒園したのだが、同居の孫二人も同じ幼稚園を卒園した。
上が高2、続いて中2、そして小5と小2。一番上から下まで卒園するまで13年。女房が迎えに行って連れ帰ってきた。そんなことがなくなって早いものでもう2年も経つ。

同居している長女がプレゼントだといって包装された箱を差し出した。中を開けてみると金沢焙煎のコーヒーセット。


嗜好品を良くわきまえたプレゼントであった。
夜、中2の孫が協力して作ってくれたケーキに7と6の形をしたロウソクに点灯し、6人家族でハッピーバースディを合唱。


かくして喜寿の誕生日のお祝いが終った。みんな、ありがとさん。 

2018年12月23日日曜日

日本敵視がエスカレート

韓国駆逐艦がEEZ海域において、海自哨戒機に火器管制レーダーを5分間照射したという。これが海自哨戒機でなくアメリカの航空機であるなら、即時ミサイル発射で韓国駆逐艦を攻撃するという極めて危険な行為、愚行なのだ。
要するに、日本がコケにされているのだ。海自なんて、赤子の手をひねるくらいにしか考えていないのだろう。




 それにしても最近の韓国は日本が憎くて憎くて居ても立ってもおれないようだ。
日本にあてつけるように国会議員が竹島に上陸したり、つい最近この島で軍事演習したり、徴用工の判決で日本企業の賠償を命じたり、元慰安婦支援のため設立する財団に日本政府が10億円を拠出した財団を解散したり、日章旗を揚げた自衛艦の寄港は認めないとか、ソウルの日本大使館前に慰安婦像を据え付けたりと数えればきりがないのである。何せ朴大統領は恨みは1000年続くとのたもうた。かの国は100年前までは何千年も中国の属国、その恨みはすっかり忘れたのだろうか。

韓国レーダー照射は意図的か←当然だ!
海上自衛隊哨戒機が韓国駆逐艦から火器管制レーダーの照射を受けた問題で、海自機は数分間にわたり複数回、照射を受けていたことが分かった。日本政府関係者が22日、明らかにした。防衛省は韓国側の意図的な行動だったことを示す事実として捉えており、23日から訪韓する外務省の金杉憲治アジア大洋州局長が韓国側に直接抗議する。


防衛省は22日、韓国側の「哨戒機を追跡する目的でレーダーを運用した事実はない」との主張に反論する文書を発表。「火器管制レーダーは、攻撃目標の精密な方位・距離を測定するために使用するもの」と指摘。

日本が騒ぎすぎ?そんな馬鹿な!
北朝鮮の遭難漁船を捜索するためだったとの韓国メディアの報道を念頭に、「(火器管制レーダーは)広範囲の捜索に適するものではなく、遭難船舶を捜索するためには水上捜索レーダーの使用が適当だ」と強調した

防衛省内では「故意だと疑わざるを得ない」「かなり苦しい言い訳だ」との声も出ている。

金杉氏は外務省の在韓公館長会議に合わせてソウルを訪れ、24日に韓国外務省の金容吉東北アジア局長と会談する予定だ。政府は韓国軍の今回の行動を「不測の事態を招きかねない極めて危険な行為」(岩屋毅防衛相)と強く非難。既に複数のルートを通じて抗議の意を伝えており、金杉氏も事実関係の説明と再発防止を強く迫る見通しだ。

慰安婦問題で、「日韓間の慰安婦問題が最終的かつ不可逆的に解決されることを確認する」と表明した事実を平気でないがしろにする韓国なのだ。反日を唱えさえすれば支持率向上になってはいたが、文在寅の支持率は不支持率を下回ったのだ。もう宝刀は錆びついた。
次はミサイルを発射しかねないのだ。

2018年12月22日土曜日

能登の限界集落は今

限界集落の苦悩が続き、とうとう住民がゼロになった輪島市門前町大釜地区がある。



大釜集落
輪島市の市街地から車で1時間。同市門前町の山あいにある大釜地区には住民がいない。古里を捨てる集団移転と引き換えに、大型の産業廃棄物最終処分場の誘致を決めてから10年余りたつが、住民の決断の裏には、能登半島地震の影響があった。
「よく考えたいと言っていた人の決断を促したのが震災だった」。2014年6月まで同地区の区長を務め、現在は金沢市に住む谷口新一さん(63)は振り返った。


地震発生時、同地区は60~80歳代の6世帯11人が暮らす限界集落で、ほとんどの家屋が損壊。住民は隣接する剱地地区の避難所に1週間身を寄せたが、谷口さんは「助けは来ず、道路の復旧も遅れた。移転するかどうか悩んでいた人たちは『こんなに不便ならば仕方ない』とあきらめの声を上げ始めた」と言う。

大釜集落の春日神社
この時、家屋の倒壊などにより大量の震災ごみが生じ、廃棄物処理施設を設置する機運が徐々に高まった。市環境対策課によると、その量は約17万6786トン。年間1万立方メートルを処理していた同市美谷町の輪島クリーンセンターでは07年、想定の13年分の約13万立方メートルのごみが埋め立てられ、市内の処理施設の容量を圧迫。復興に向けてごみ問題が大きな課題となり、震災で疲弊した限界集落に新施設建設の矛先が向かうこととなった。

処分場の誘致を前に大釜地区の住民は一人また一人と去り、16年9月に集落は消滅した。「古里はなくなるが、せめて市民の役に立てたら」というのが住民らの総意だったという。
処分場建設計画はその後、一時反対の姿勢を示していた議会が容認する流れで昨年2月に住民投票が行われ、建設に向けて計画が再び動き出した。


一般的に、限界集落が消滅するケースは、人口の自然減や災害による住民の分散移住などがあるが、震災が人口減に拍車をかけるケースは東日本大震災でも各地で見られた。体力のない限界集落にとっては、いつ起きるか分からない震災もリスク要因の一つと言える。

去年のことになるが、2017年2月19日、輪島市門前町大釜地区で計画されている産業廃棄物処分場の建設問題をめぐる住民投票が行われた。
そして、1万人を超える有権者が投票。
しかし、投票箱が開けられることはなかった。
投票率が42・02%と、条例に定められた50%を超えず、住民投票が不成立となったためだ。

今回の住民投票で、クローズアップされたのが、投票率50%の壁。
この壁を乗り越えないと、重要な問題ではなかったとして開票されない仕組みになっている。産廃施設の建設賛成派は、この投票率50%の壁を使った戦術をとる。
輪島市長は、「建設に賛成の人は投票に行かないのも選択肢の一つ」と発言。さらに、建設推進の立場をとる市議会の最大会派は、投票率が50%を切るような作戦を展開した。住民投票という土俵に乗らずに不戦勝を狙うため、チラシを配って広く棄権を呼びかけたのだ。



産業廃棄物最終処分場建設を巡る19日の輪島市の住民投票が不成立となったことを受け、梶文秋市長は「(許認可権を持つ)県に方向性を出してもらう」と述べ、引き続き計画を進める考えを示した。一方、建設反対派の住民グループは「力不足だった」と不成立を残念がる一方、推進派の市議らによる棄権の呼びかけを「投票の自由の妨害だ」と厳しく批判した。




このような経過を辿った産廃処分場は、今月10日に着工 輪島・門前町大釜 計画公表から12年
輪島市門前町大釜の産業廃棄物最終処分場計画で、事業者の門前クリーンパークは、10日にも工事に着手することになった。計画公表から12年を経て建設へ動きだす。着工前の環境調査が終了したためで、年内は現地事務所建設などの準備工事となり、来年1月半ばから樹木の伐採を進め、来春には本工事に入る見通しだ。2021年度の運用開始を目指す。

産業廃棄物最終処分場の建設地付近に設けられたゲート。10日以降に着工する=輪島市門前町大釜
国土交通省の「過疎地域等条件不利地域における集落の現況把握調査」(16年)によると、15年4月時点で北陸3県では672集落が限界集落とされ、今後10年以内に消滅する可能性のある集落は35に上る

災害支援に詳しい金沢星稜大学の池田幸応教授(57)(野外教育学)は「少子高齢化に歯止めがかからない中で、今後も限界集落が増えることは避けられない」とした上で、「災害時に過疎地域が体力を維持するためには、平時から行政や民間団体などが住民との意思疎通を図り、定住人口だけでなく交流人口も確保しておくことが必要だ」としている。

ま、行政としてはごみ埋め立て場が震災で満杯なり、将来のことを考えれば産廃処分場の設置は望ましい。加えて毎年1000万円の寄付が約束されているという。処分場様様という気持ちだろう。
イギリスの住民投票では、EU離脱は望まないが投票は賛成にしたという市民が多く、結果的に離脱ということになった。この結果に驚き、投票を悔やんでいる人間が多いと聞く。
こうしたことから、輪島市の投票に行かない運動もありのような気がする。


2018年12月21日金曜日

名鉄の赤色が絶滅危惧車に

今日の朝刊に
「名鉄の赤色が絶滅危惧車に 「銀色」ステンレスに入れ替え、全体の半分に」という記事が掲載された。名鉄と云えば、小生が昭和36年に就職したのが岐阜駅徒歩10分くらいの東海道線に隣接した場所にあった「岐阜工事局」というところだったが、ちょうどその頃に名鉄名古屋本線(岐阜~豊橋間)に真っ赤な色した特急電車が導入された。

当時は私鉄では最先端の車両だった。
この電車は運転席が2階に設置されているので車両前部は極めて眺めが素晴らしい。
S36年導入のパノラマカー
 その頃は東海道線の電車は冷房車はなく天井の扇風機が回っていた時代である。
なので、土曜日の半ドンは用事もないのに豊橋までこの特急パノラマに乗って往復したものである。組合員証を呈示すれば無賃乗車ができた「よき時代」だったのである。


そんな思い出がある名鉄特急なので、「名鉄の赤色が絶滅危惧車に 「銀色」ステンレスに入れ替え、全体の半分に」という記事に目を奪われた。

名鉄で真っ赤な車両(左)が減り、銀色のステンレス製(中)が増えている。JR東海の在来線もほぼ全てがステンレス製=名古屋市中区で

「赤い電車」のイメージが定着している名古屋鉄道で、新旧車両の入れ替えが進み、銀色のステンレス製が増えている。鋼鉄に伝統の真っ赤な塗装を施した車両は2018年度当初時点で、全体のほぼ半分に減った。メンテナンスのしやすさやコストを削減できることなどが理由だが、慣れ親しんだ人たちには「寂しい」と残念がる声もある。 

 名古屋市内のホテルで6月末にあった株主総会で、男性株主が質問に立った。「銀色の電車ばっかりになっちゃって寂しく思う。名鉄と言えば、やっぱり赤い電車が沿線の人たちも自慢だ」と指摘し、今後の見通しを尋ねた。社側は「パノラマカーを代表にスカーレット(深紅色)が定着していた」と認めた上で、「塗装の車はさびや腐食の防止がなかなかできない」とメンテナンス上の難点を指摘。残る赤い電車も老朽化でさらに引退が進むと説明した。

 さび止め塗装が不要のステンレス車両は、鋼鉄製に比べて製造にかかる期間が短い上、軽くて消費電力も少ないため経済的。増加は全国的な傾向といえる。国鉄時代は鋼鉄製が多かったJR東海は、JR西日本と共同で運行する寝台特急「サンライズ」用14両を除く在来線約1200両が全てステンレスに。東海道新幹線の車両はアルミ合金製。JR東日本も置き換えを進め、山手線、中央線の通勤電車など9割がステンレスかアルミ合金になった。

◆時代の流れやむを得ず

 「名古屋鉄道 今昔」の著書がある交通ライター徳田耕一さんの話 寂しいが、時代の流れでやむを得ない。首都圏の人口が多い地域を走る京急とは収益力に大きな違いがあり、「ステンレスに塗装を」と名鉄に求めるのは難しい。2027年のリニア中央新幹線開業の好影響などで乗客が増え、名鉄が豊かになれば、一部の象徴的な特急で「赤い電車」を復活させてくれると期待する。

現在導入されている特急電車 豊橋駅で
新岐阜駅は新岐阜デパートと併設されていたが、そのデパートは今はない。
新岐阜から豊橋までおよそ2時間、往復4時間の涼しい旅を満喫した。
もうかれこれ60年前の出来事。もう一度乗ってみたいなぁ。


2018年12月20日木曜日

3年間履いたアツバ下駄

中学に入学したのが昭和30年4月なのだが、その時に何が一番変わったかといえば履物だった。小学校時代はゴム製の短靴、これは中々の優れもの、小川で獲った小魚を入れるのに利用できた。で、中学入学から卒業まで、どこへ行くのもアツバを履いた。ソフトボールする時も履いていた。

登下校時の校門付近はアツバのガラガラ音がとてつもなくうるさく聞こえた。1年くらい履いていると左右の下駄の歯の減り具合の違いが目立ってくるので、左右を履き違いにしたものだが、これが履いてみると非常に履き心地が良くない。何度も転びそうになったが、1カ月くらいすると馴染んでくる。

アツバ下駄
 資料を調べると、歯の厚いものを厚歯と言い、特にバンカラと呼ばれた学生に愛用された。
旧制高等学校生徒が履いていたのもこのタイプで朴歯の高下駄と呼び、マント、弊衣破帽、高下駄が 高校生のシンボルとされた。
金色夜叉で貫一がお宮を下駄で蹴り飛ばす場面で貫一が履いている下駄もこれだという。
「都ぞ弥生」の寮歌で知られる北海道大学の恵迪寮は、ぼろぼろな学生服に、破れた学帽、高げた姿の「蛮カラ」の代名詞となった寮で、恵迪寮の学生も履いていたらしい。


バンカラといわれた学生

漢字は「足駄」など様々な字があてられていた。「アシダ」は上履き・下履きを問わなかったが、これを下履きに限定した語が「下駄」である(「駄」はアシダの略)。
日本には緒を用いる履物として、足を乗せる部分に木の台を用いる下駄、草や樹皮などの柔らかい材料を用いる草履(ぞうり)、緒が踵まで覆い足から離れないように踵の後ろで結ぶ草鞋(わらじ)の3つがある。下駄は中国及び朝鮮半島にもあるが、日本語の下駄にあたる言葉はなく、木靴まで含めて木履という。

ちなみに足駄(あしだ)は、歯を台に差込む構造のもの(初期には一木から繰りぬいた)。歯が通常のものよりやや高い。平安時代後期から江戸時代ごろまで用いられ、江戸期にはもっぱら雨天の履物であった。また、旧制高等学校生徒が履いていたのもこの種の下駄である(=朴歯の高下駄)。マント、弊衣破帽、高下駄が高校生のシンボルとされた。

そんなアツバの3年間は、高校入学でプツンと切れることになった。校則で履物は革靴に指定されていた。初めて革靴を履いて何だか大人になったような気分がしたものである。
しかし革靴も踵の片減りが激しかった。靴屋で金具を取り付け、しばらく履いたら靴底全体も片減りが目立ってきたので金具を2,3か所打ち付けた。
このため、デパート内を歩くときは、とても滑りやすく何度も転びそうになった。

ついでながら下駄に係わる慣用句というものを調べた。
下駄を預ける - (自分に関する問題などに関して)決定権を譲り全面的に相手に任せる(自分では動けなくなることから)。 そういえば、こういう手を使ったこともあるなぁ。

下駄を履かせる - たとえば、絶対温度が摂氏に273を足した値であるように、何らかの数量が負の値にならないようにするなどの目的で、一定の数量や物量を足すこと。下駄を履くと背が高くなることから、下から押し上げるイメージの言葉。 今、大学入試でもめているなぁ。

下駄を履くまでわからない - (勝負などに関して)全て終わる(帰るために下駄を履く)まで結果はわからない。こんなこともよくあったなぁ。

と、現代では殆ど忘れ去られた下駄であるが、結構、下駄にまつわる物事が多い。


2018年12月19日水曜日

昨日(18日)、訪日外国人が3千万人突破!

兼六園を歩いていると、容姿身なりは日本人と変わりがない複数の団体客に出逢う。先頭で旗を持ちながら説明している言葉は中国語である。
朝早い通勤時間帯では香林坊東急裏のせせらぎ通りに、韓国人らしき団体が賑やかに歩いている。金沢もインバウンドは確かに増えていることが実感する。

こんな投稿を見かけた。
中国人観光客で園内が異様に賑わっていました。
喰えタバコ、大声で叫ぶ、集団で喚く、走る等々、傍若無人ぶりが目につき観光どころではありません。
兼六園と言えば日本庭園の代表みたいな場所です。まるで盆栽の中を歩く様な雰囲気を静かに味わう所です。注意しようにも言葉も通じませんし、何より集団心理で気持ちが大きくなっている彼等に敵うはずもなく、悔しい思いと残念な気持ちが入り混じって本当に残念としか言いようがありませんでした。
出来得るのであれば、外国人向けのツアー会社を受け入れる前に、園での決まりやマナーを周知させるような運営を望みます。


さて、
政府は18日、2018年に日本を訪れた外国人旅行者が、同日時点で初めて3000万人を超えたと発表した。アジア諸国に対するビザの発給要件の緩和や、格安航空会社(LCC)をはじめとする航空路線の拡充などが追い風となり、訪日客の増加が続いている。

前年は2869万人だった。初めて1000万人を超えた13年から5年間で、ほぼ3倍に増えた。今年は豪雨や台風、地震など大きな自然災害が相次いだ影響で一時的に伸びが鈍化したが、その後は再び客足が戻っている。
日本政府観光局によると、17年の各国・地域の外国人旅行者数は、首位のフランスが8691万人、2位のスペインが8178万人で、日本はオーストリア(2946万人)に次いで12位だった。
凄いことになっているのだ!
関西空港(大阪府)で開かれた記念式典で、石井啓一国土交通相は「今年は関空が被災するなど、災害で訪日の動きが鈍った時期もあったが、海外プロモーションが実を結んだ」とあいさつした。

昨日(18日)関空で石井国交大臣出席の記念式典が開催された
2003年の訪日外国人数はおよそ500万人だったが、2013年に1,000万人を突破すると、2016年、2,400万人を超えて15年間で6倍になっている。破竹の勢いで伸びているのだ。


今年1~10月の国・地域別の訪日客は東アジア(中国、韓国、台湾、香港)が74・0%で、欧米とオーストラリアは11・7%。この比率は過去2年ほど、ほぼ変わらず推移している。 



それにしても7百万台に中国はともあれ韓国人が続いている。あれほど国を挙げて反日運動が続いている韓国なのに一体どうしたことなのだろう。そんなに嫌いな日本なのに、これが不思議の一番目。
二番目が香港の2百万人台。香港の人口は700万人台だという。3人に1人が来日していることになり驚異的数字なのだ。

兼六園の外国人観光客
政府は2020年に4,000万人の突破を目指しているが、京都や神奈川・鎌倉などの人気観光地に観光客が殺到して住民の生活に影響が出たり、観光事業に関する人材不足など課題も多く残っている。
中国人が観光を終え関空から帰国する際に、旅行用バックを無造作に山にして捨て置いて行くのだという。あそこの国は永遠にマナー向上はないのだろうなぁ。