大雨から1週間を迎えた28日、輪島市久手川町では、連絡が取れず安否がわからなくなっている中学3年生、喜三翼音さんの父親の鷹也さんが知人とともにみずからも捜索活動に当たった。鷹也さんは捜索に臨んだ心境について、「家のものは自分でしかわからないので、ちょっとでも手がかりがないかと思い探していました」と話した。
2024年9月29日日曜日
今日こそ・・と大規模な捜索活動は続く
大雨から1週間を迎えた28日、輪島市久手川町では、連絡が取れず安否がわからなくなっている中学3年生、喜三翼音さんの父親の鷹也さんが知人とともにみずからも捜索活動に当たった。鷹也さんは捜索に臨んだ心境について、「家のものは自分でしかわからないので、ちょっとでも手がかりがないかと思い探していました」と話した。
2024年9月28日土曜日
小学生下校時の安全誘導
いつものことだが、月末に忙しい仕事をしなければならない。仕事とは、小学生低学年下校時の交差点交通誘導の当番表の作成である。この仕事を引き受けたのが62歳だったが、それ以降月末になると学校から配布される下校時刻表に基づいて作成する当番表である。
毎週1回の誘導員当番はやがて20年目を迎える。誘導員も二十数名を数えたこともあったが、20年程当番を務めていただいた方々が、高齢のため引退された人も多い。
2024年9月27日金曜日
竜飛崎、大間崎から見る北海道
2024年9月26日木曜日
唯一無二の力士を目指す・・・と
驚異的な速さで歴史を塗り替え続ける“ちょんまげ大関”にふさわしい口上だった。緊張の面持ちで、大の里はハッキリと決意表明した。「大関の地位を汚さぬよう、唯一無二の力士を目指し、相撲道に精進します」。思い描く未来は、誰とも比べられない最強の存在。壮大な目標を掲げた。
2024年9月25日水曜日
半年ぶりのグラウンドゴルフ
町内のシニアクラブでグラウンドゴルフ部会がある。会員は15人前後で推移している。開催日は毎週水曜日AM9:00からとしている。会場は隣町の八幡公園。今日は晴天、絶好のグラウンドゴルフ日和であった。
3月と5月に白内障の手術をし、なおかつ体調が優れなかったので先週まで休んだ。今日は久しぶりにプレーした。今日は市のシニア層の大会があるということだったので、町内から腕に自信のある数名がそちらに参加したので、町内の例会はいつもより人数が少なかった。
シニアクラブの大会 |
写真は今日のプレーとは別物であるが、公園内に8ホールを設け、4巡して腕を競っている。4巡で32ホールなのだが、今日は何と2回もホールインワンとなった。これまでの最高は3ホールインワンだったが、もっと真剣にプレーすれば成績アップするだろうが、なかなか簡単ではない。なんやかんや言いながらプレーしているのだが、コミュニケーションに役立っていることは間違いない。それに少しは健康のためになっているだろうから、来週もプレーしたい。
2024年9月24日火曜日
家ごと流され少女不明
中3の娘さんが一人で家にいて洪水に襲われ、2階に避難し父親や同級生に現況写真を送ったが、そのうち通信不能となったという。家は基礎部分だけ残って他は全て流さてしまった。
二階の一室で恐怖に包まれ、とうとう濁流に飲まれたと想像するしかないが、娘さんの心境を思うといたたまれない気持ちで一杯である。一刻も早く発見されることを祈りたい。
むごい爪痕 |
娘さんが2階窓から写して友人に送った写真 |
父親のご心痛はいかばかりか |
大雨が心配になった鷹也さんは午前9時40分すぎ、電話で連絡を取ると、翼音さんは2階の窓のすぐ下まで土砂で埋まった動画を送ってきた。土砂は室内にも入り込んでいたのか、翼音さんは「部屋のドアが開かない」と訴えたという。鷹也さんは「窓から飛び降りても泥にのまれるだけ。『2階におれ』と言うしかなかった」と伏し目がちに話した。
2024年9月23日月曜日
エエッ、生後3か月の赤ちゃんが化粧まわし?
今朝のニュースを検索していたら、生後3か月の赤ちゃんが化粧まわしをした写真が掲載されていた。赤ちゃんは何と昨日優勝した大の里が生まれて3か月目の写真だという。
そして赤ちゃんはニコニコ顔をしているのである。こんな写真は初めて見た。
化粧まわしが嬉しくてたまらない・・・という顔ではないか |
優勝祝賀会にはお父さんも |
2024年9月22日日曜日
これは酷すぎ地震に豪雨
まだ復興が手つかずの状態にある被災地に昨日から現在も非情の雨が降り続いている。仮設住宅の住民も床上浸水で避難を余儀なくされている。正に踏んだり蹴ったりである。
子供の頃に遊んだ笹川橋付近も |
【藤島親方のこの一番】大の里、これだけの内容で大関にあがった例は過去にない あっぱれの一言 と、評価が高い。
2024年9月21日土曜日
自分がやったように鼻が高い
本当に素晴らしい「男」だ。
こんな子供がいた |
2024年9月20日金曜日
昨日の悔しさをバネに今日勝って大関に
9割勝っていた大の里だったが、驚きのバネを持った若隆景に見事やられた。敵ながらあっぱれというところか。三役経験者の実力者相手に2度のもろ差しを許すなど、今場所はあまり見せていなかった脇の甘さを突かれた。「昨日から良くなかった。昨日の落とし穴にハマった感じがする」と物言いがついた11日目(琴勝峰)戦からの流れを反省した。
一方で、連勝中は言葉数が少なかったものの、敗れたことで重圧から解放された。報道陣から「張り詰めていた部分があったのでは?」と問われると、「そうですね。気持ち的にすっきりしたと思う。明日からまた頑張ります」と気持ちを新たにしていたという。
驚異の粘りに根負け |
今日の相手は琴桜。1差で高安が・・・
2024年9月19日木曜日
またもや物言いが
琴勝峰との取組では、右を差して押し込んだ大の里だったが、土俵際で琴勝峰が突進をかわし、身長192センチ、体重182キロという大の里の大きな体が宙に浮いた。微妙な結末に物言いがついたが、協議の結果、“琴勝峰の右足が先に出ていた”ということで、行司軍配通り大の里が白星を飾った。琴勝峰は5勝6敗となった。
今日はしぶとさと絶妙な技を備えた隆景勝との闘いだが、大の里は必ず県民の期待に応えてくれるだろう。
2024年9月18日水曜日
家の外で見た中秋の名月
2024年9月17日火曜日
あの炎鵬が序二段で5連勝!
5年前に新入幕を果たした炎鵬は白鵬の土俵入りを務めたことがあった。その炎鵬は脊椎損傷の大怪我で引退もささやかれていたが、先場所から序二段で復帰した。そして昨日は5連勝だという。大の里の人気で忘れられた炎鵬だが、序二段で無敗の記録を作っている。
5連勝! |
元幕内の序二段炎鵬(伊勢ケ浜)が千代大光(九重)を押し出し、土つかずの5連勝を飾った。立ち合いでしっかりと当たって押し込むと、回り込む相手を逃さず、力強い下からの押しで圧倒した。脊髄損傷の大ケガから復帰2場所目となるが「復帰して一番いい相撲じゃないですか」と自賛。「土俵に上がるまでの落ち着きというか、今日は心が座っていた。正直、負ける気がしなかった」と明かした。首をケガする以前、番付を上げていた時期にはあった感覚だといい「いい時の状態を思い出せた。自信になる一日でした」とうなずいた。
幕内筆頭あたりで大活躍していた炎鵬だが、大病を克服して序二段から再スタートした精神力に頭が下がる。
花道の奥では、指導を受ける宮城野親方(元横綱白鵬)が見守っていた。かつて付け人も務めた炎鵬は「気になりますよね。見守ってくれるのは心強い。気にしてくださっているのでうれしい」と笑顔。「いい相撲をとろうと、より一層気合が入りました」と、会心の一番で応えたことを喜んだ。
9連勝大の里の陰に炎鵬の活躍もあることを忘れてはならない。
2024年9月16日月曜日
ラクナはくい、来館10万人 オープン2カ月半で
ラクナはくいは7月1日にオープンしたという。市は年間来館者数を6万5千人と見込んでいたが、2階の屋内公園などに市内外から多くの利用者が訪れ、2カ月半での達成となった。
2024年9月15日日曜日
県勢大活躍
2024年9月14日土曜日
2連敗中の平戸海だが今日は勝てるぞ
さぁ、自信を持って前に進め!
2024年9月13日金曜日
老人の日と敬老の日がある?
県は老人の日(15日)に合わせ、本年度に100歳となる491人に記念品を贈るという。本年度末で100歳以上となる高齢者は1313人(1日時点)で、2023年度末の1327人、22年度末の1322人に次いで3番目に多い。
2024年9月12日木曜日
4連勝もどこか危なっかしさが
土俵下まで跳ね飛ばされた翔猿が落ちるのより先に、琴桜が両手をついたようにも見えたが軍配は琴桜。そのまま物言いはつかず、「軍配を見てないし、もつれたのも見えてなかった」。翔猿は「感覚的には負けてない」と不満げだったが、九重審判長(元大関・千代大海)は「(翔猿の体が)飛んじゃってた」と死に体との判定だった。これは疑問!
2024年9月11日水曜日
羽田22番ゲート
先日の旅行で飛行機を利用したのだが、行きも帰りも羽田空港に寄った。羽田はこれまでも何回も利用しているのだが、到着ゲートから出発ゲートまでの移動距離が極めて長いのには閉口する。先日の帰りは、到着ゲートから小松行出発ゲートが実に遠かった。出発ゲートは22番だったが、ここまで4,5百mはあるのではないかと思われる。待合ロビーも広大だった。
左側から歩いて22番ゲート待合室へ |
これまではもっと端のゲートだったように思う。いつもだが、余りにも広大過ぎて自分がどこにいるか把握できない。
今から二十数年前になるが、東京で3か月間の研修があった時、羽田空港のビルが新築完成したというので自主的に見学に行った。今の第1ターミナルだと思うのだが、そのビルの屋上で飛行機の発着を数時間眺めていたことがあった。ぞろぞろと次々に出発する様子を見て、いよいよ飛行機の時代が到来したことを実感した。国鉄が分割民営化して7,8年経過した頃だった。
さて、あと何年羽田を利用できるか・・・。
2024年9月10日火曜日
旅の最終日は青森市内ねぶたの家と三内丸山遺跡
浅虫温泉の宿を9時に出発し、青森市内に向かった。青森には現役時代に講習会に出席したことがあった。その時は連絡船発着場付近を散策した。今回、青森駅付近がその当時と随分様変わりしていた。
青森港 連絡船八甲田丸がなつかしい |
ねぶたの家ワ・ラッセの展示物は迫力があった |
大勢の人で賑わっていた |
前に来た時はこのような施設はなかった |
ここはべらぼうに広い |
縄文時代にこんな広い建物があったとは驚き |
復元された建物群 |