2019年7月31日水曜日

福久町の青田刈り

青田刈りといえば新人の確保のために企業が学生に就職を働きかけることに使われる言葉と理解していたのだが、隣町の福久で青田刈りが行われたという。刈り取った稲わらは何に使うのかと興味を持ったのだが、しめ縄用だという。


金沢市福久町の越野克博さん(51)の水田で25日、しめ縄用のわらとなるイネを刈る「青田刈り」が始まった。厳しい暑さの中、従業員は青々と伸びたイネを機械で手際よく刈り取った。

手際よく刈り取られる青々としたイネ=福久町
刈り取ったのは、5月に植えたしめ縄用の品種「伊勢錦」。青々とした色を保つため、刈り取ったイネをすぐに機械に入れて乾燥処理した。作業は8月半ば頃まで続く。
しめ縄は全国津々浦々にある神社に必要となるものだが、毎年新調するものでもないと思うのだが、それでもかなりの需要があるだろう。

姫路市の農家の青田刈り
姫路では青田刈りとは言わないようで、「青刈り」というようだ。
家庭用しめ縄の生産地である姫路市豊富町豊富の津熊地区で、出穂前に稲を収穫する「青刈り」が最盛期を迎えている。青々とした稲わらは地元農家の手でしめ縄となり、播磨一円に出荷される。
今では稲刈りは全て機械化された。昔は脱穀した稲わらは馬小屋に保管されていた。縄になり、草履になり、筵になり、それが農家の冬の仕事だった。
それが現在ではコンバインで脱穀しわらは数センチの長さに切断されてしまう。このためわらの入手は非常に困難になった。

畑に敷くわらはムサシにあるかもしれない・・・・。


2019年7月30日火曜日

新聞に掲載された花火の写真

雨のため1日遅れの日曜日(28日)に犀川河畔で北國新聞社主催の花火大会が開催された。その模様を記した記事が昨日の朝刊に掲載されたのだが、一面の大きな写真にくぎ付けとなった。
さすが新聞社のカメラマンが撮影しただけあって、クライマックスであろう雰囲気が余すことなく写し出されていた。

新聞掲載の写真
これは迫力満点。何百枚のうちの最もいい写真だと選び出され採用されたに違いない。

この写真はネットから
中学生か高校生のときに見に行ったきり現地にはとんとご無沙汰となっている。
長岡や大曲の花火ツアーに行ってみたいと思っているが、実は独身時代や新婚時代、何年後かにも娘が小さかった頃に毎年欠かさず花火を見に行ったものである。

場所は岐阜市長良川河畔の花火大会なのだが、ここは7月末土曜日が岐阜日日新聞社主催、次週土曜日が中日新聞社主催の花火大会が2回も開催される。
2回とも日本最大級の花火大会とされ、全国的に有名である。そのため、毎年全国各地から数多くのツアー客が観覧に訪れている。花火の打ち上げ数は約3万発であり、打ち上げ時間内の花火の打ち上げ密度は極めて高い。

スタンダードな打ち上げ花火の他にも、ナイアガラの滝花火など、様々な変わり種の花火が用意されている。観覧会場の正面で大部分の花火が打ち上げられるが、観覧会場の真横に当たる河川上の船舶や、河川を横断するワイヤー伝いや、観覧会場から離れた岐阜グランドホテル前の河畔など、意外性のある花火の点火も行われる。スターマインでは、観客の視界を覆い尽くし、常軌を逸して畳み掛けるような打ち上げが行われる。 


例年の動員数は30万人を超える。
2007年の第62回、2008年の第63回、2014年の第69回は約40万人の観客が訪れた。
まだ2歳だった下の娘が、大音響で炸裂する花火の音が怖いといってだっこされてしがみついた光景が思い出される。そして帰りが大変なのである。バスは超満員だからいつ乗れるか分からないので3kmは歩いて帰った。それも交代で2歳の娘を抱っこしながらだった。

この花火大会は正午に開催を告げる花火が打ち上げられ、以降、開催直前まで花火の打ち上げ音が響いていた。あの時代に帰りたーい。


2019年7月29日月曜日

二日連続で男泣きした奥川投手

準決勝戦だった一昨日(27日)の星稜・鳳学園戦だが、鳳学園の活躍が素晴らしかった。
鳳学園浅井監督は、金沢で11度の甲子園出場経験があるベテラン監督。12年に鵬学園の監督になった。金沢時代から星稜としのぎを削ってきた。いつも特別な思いがある。
「(星稜は)今年のチームは全国で勝ち上がれる力がある。でも同じ石川県としては簡単には勝たせたくない。絶対に壁になってやろうと思った。そうしないと石川県のレベルが上がりませんから」。星稜にチャレンジャーの意地を刻む一戦だった。


小池田は石川・宇ノ気中3年時に、2番手投手として星稜の奥川恭伸、山瀬慎之助(ともに3年)のバッテリーとともに全国中学校軟式大会で日本一に輝いた。互いに準々決勝に勝利して、準決勝で星稜との対戦が実現したのだ。

3点を追う延長10回2死一塁。思い切りたたきつけ、動かない両足で走った。その気迫に「恐怖を感じた」と言う奥川が一塁に悪送球(安打と失策)すると一塁走者が生還。小池田は足をひきずって二塁まで到達し、交代を申し出た。最後まで食い下がった。

「体は限界。気持ちだけでした」。何度も足をつり、試合が中断した。2番中堅で出場し、5回途中からはマウンドへ。7回から奥川との投げ合いになった。石川県かほく市の宇ノ気中で一緒に全国制覇した仲間だ。奥川がエース、小池田が2番手。星稜・山瀬慎之助捕手(3年)と3人は仲がよかった。8回の対戦ですでに感極まり、山瀬に頭をポンポンとされ、必死に涙をこらえた。


まだ試合が終わっていないのに、ダッグアウトの小池田は号泣していた。宇ノ気中学で奥川や山瀬と全国制覇した仲だったという。涙の訳はきっと「敵味方だが仲間と全力を出し切って真剣勝負できた」ことだったのだろう。

そして昨日(28日)、夏の高校野球石川大会決勝は星稜が小松大谷に競り勝ち、2年連続の甲子園出場を決めた。


星稜は4回、エース奥川がバットで魅せた。3塁線を破るタイムリー2ベースヒット。1点を先制した。

しかしその裏、小松大谷の5番宮本が奥川のストレートをスタンドに叩き込み、ソロホームラン。すぐさま同点に追いついた。
星稜は6回に再びリードを奪うが、食らいつく小松大谷。8回裏に3番の山根が再びソロホームランで同点に…。

試合は一進一退の攻防が続いたまま9回へ。星稜は2アウト満塁のチャンスで、バッターはここまで不調が続いた1番の東海林。値千金の満塁ホームラン。粘る小松大谷を終盤で突き放します。
仲間の援護を得た星稜のエース奥川は9回裏、最速153キロの圧巻のピッチング。星稜が2年連続20回目となる夏の甲子園出場を果たした。


奥川は人目もはばからず泣きじゃくった。「負けて泣くな。勝って泣け」-。少年野球時代の教えだ。全力を尽くし切ったから涙があふれた。
「しびれる試合ばかりで、思うことがたくさんあった。みんなと優勝できてホッとしています。今まで頑張ってきてよかったなと思いました」

救援で71球投げた27日準決勝から連投。「少し体が重かった」。4回、6回と1点奪っても、ソロ2本で追いつかれた。本調子を取り戻したのは仲間の姿だった。2-2の9回、東海林航介外野手(3年)が満塁弾。不振にあえいだ男は、ベンチですでに泣いていた。 


「東海林をヒーローにしてやりたかった。自分の失点でこういう展開になったのに、みんながつないでくれた。ギアを上げました」
9回の先頭打者に、この日最速153キロ。3人締めでフィナーレを飾った。相手は14年、15年と互いに大逆転サヨナラ劇を演じた小松大谷。ミラクルの気配すらない炎の投球だった。 
「周囲から勝って当たり前という見方をされて、重圧があった」。スマホを開くたび甲子園での再会を誓い合ったライバル敗退の報が相次いだ。高校四天王の甲子園切符はただ1人。現チームは石川県悲願の全国制覇の期待も受ける。気持ちで負けないよう、決勝でベンチが指示したプランは「全球ストライクで勝負しろ」。勇気を振り絞って最後まで攻め抜いた。 
2日連続で県営球場で男泣きした!

体調を整えるため、食事は水で流し込んだ。兄圭崇さんが釣ってくるイカや魚の刺身が最高のごちそうだが、大会中は大好きな生ものを一切控えた。責任あるエースの姿だった。

前評判では今季ドラフトで1位指名が確実視されている奥川。
どういうわけか、ほかの高校が県代表になっても普段の実力が発揮できない場合が実に多いので不満を覚えるが、甲子園で星稜の黄色いユニホームの選手が出ると安心感がある。
花の舞台で持てる力を存分発揮して大活躍してもらいたいと願っている。

2019年7月28日日曜日

営業僅か20年、瀬戸大橋与島の栄枯盛衰

つい先日、NHKのTV「瀬戸大橋」の特集を見た。そして、「エエッ、まさか!」と驚かされた。場所は瀬戸大橋の橋脚のある与島。実はこの与島に瀬戸大橋が開通して間もないころ、研修でこの島にあったフッシュマンズワーフに寄ったことがあった。その施設がもうなくなったというのだ。

海産物のお土産屋、レストランがあった
写真は駐車場ががらがらの状態だが、自分が訪れたときは駐車場も満車、施設内も超混雑していた。残念なことに確か写真を2,3枚写したはずなのだが探しても見当たらなかった。
なぜ何だ、どうして廃業になったのか調べることにした。

平成元年(1988年)4月10日に瀬戸大橋が開通し、島は空前の観光ブームに沸いた。「京阪フィッシャーマンズワーフ」は年間売上げを約50億円と予想していたが、開通初年度は100億円を超える売上げを記録した。
フィッシャーマンズワーフ開店当時に京阪電鉄から出向し、この施設を立ち上げた増田佳弘さんは「毎日人波が押し寄せていた」と当時を振り返る。増田さんの言葉を裏付けるように、1989年度の運輸白書は与島をウオーターフロント開発の優等生として大いに賞賛していた。

島に観光ブームが訪れた1988年頃、日本はバブル経済のまっただ中であった。観光ブームによる開発の波は与島のみならず、周辺の島にも押し寄せた。与島の隣の島「小与島」では瀬戸大橋の眺望を売り物にしたホテルが建設された。さらにこの業者は島にベネチアの町並みを再現したり、水族館を作って、島を丸ごと開発する計画をぶち上げた。計画では島の住民全てを移住させて開発するものだった。

来客は殆ど見当たらない状態だから間もなく取り壊しが近づいた頃か
与島の島おこしは順調に進んでいるかのように見えたが、好調の陰で不安も潜んでいた。本州と四国との間は10キロ弱の距離にかかわらず通行料金は5500円。瀬戸大橋のほぼ中央に当たる与島からは四国へは3000円。本州へは2500円と割高な通行料金の影響をもろに受けた。観光客や島の人のみならず、島にある観光施設の人たちも割高感を感じていた。

不安は的中した。瀬戸大橋の開通ブームが去って、割高な通行料金の瀬戸大橋を避けてフェリーで本州と四国の間を行き来する車が予測を上回っていた。橋の通行台数は予測の半分以下にとどまっていた。予測を下回る車の通行台数なども影響して開通ブームに沸いた与島のフィッシャーマンズワーフも開店3年目から赤字に転落していた。与島の隣の島・小与島に建設されたホテルも苦戦を強いられ閉鎖に追い込まれた。住民の集団移転も一部が移転するにとどまっていた。

ということで平成20年(2008年)に廃業したという。とはいえ、あんなに賑わっていた施設がなくなったというのが今だ信じられない思いである。

撤去され整地作業中
僅か20年、栄枯盛衰の凝縮した姿を見たようで、やりきれない思いである。


2019年7月27日土曜日

「2,3歳長生きして何になる!」と叱られた教授

毎週土曜日の朝日新聞にBeという付録のような別紙面版がある。今日の朝刊にお岩木山を背にしたある教授の写真があった。
興味を引いたので紙面に目をやった。

フロントランナー弘前大特任教授 中路重之氏
青森県は全国一の短命県である。最も長い長野県とは平均寿命が3才も違う。これを何とかせにゃぁならんと教授生命を懸けて取り組み中だという。



この人の略歴を見てまた驚きと感動を受けた。長崎の出身だが3浪もして弘前大医学部に入学された。3歳の頃の出来事なのか医師になるきっかけは交通事故に遭遇して6か月も入院する重傷だった。そんなこともあって、おやじさんに「お前は医師になれ」と言われ進路を決めたという。


熱心な活動を続けている教授だが、目標である健康な地域づくりに向け、行政や市民も巻き込んでいるという。


中路教授は現在68歳だという。まだまだ現役で頑張っていただき、青森短命日本一の汚名を晴らして欲しい。
今日のフロントランナーに拍手喝さいを贈ろう!



2019年7月26日金曜日

何をやっても「焼け石に水」なのか?

JR東日本がJR北海道に車両を貸し出し協力して、「風っこそうや」を明日(27日)から運転するという。
その試乗会が先日実施された。

JR北海道は23日、地元の観光ボランティアらを招いて試乗会を行った。同日朝に稚内駅(稚内市)を出発した列車は、約130キロ南の音威子府(おといねっぷ)駅(音威子府村)に向けサロベツ原野を駆け抜けた。

窓ガラスなし 自然の風を浴びて爽快
稚内市民観光ボランティアガイドの臼井立身さん(71)は「道北の美しさを車窓から感じてもらい、観光客が少しでも増えればうれしい」と話した。
風っこそうやは、稚内―音威子府駅間で7月27日~8月12日の土日祝日(7日間)、旭川―音威子府駅間で8月17日~9月8日の土日(8日間)に運行する。


日本最北の鉄路・JR宗谷線を走る観光列車「風っこそうや」の運行が27日から始まる。昨年9月に発生した北海道地震の復興支援などを目的に、JR東日本が、東北で運行する観光列車「びゅうコースター風っこ」の車両を貸し出した。  車両の窓ガラスは外され、北海道の雄大な景色を、風を感じながら堪能できるのが特長。 





そのJR北海道だが、単年度赤字400億円以上という1日1億円以上の赤字を計上している会社が経営改善のためにやることではないはずだが、次々と赤字路線と称して廃線の数を増やし続けている。
中間決算時点での北海道新幹線の赤字額が100億円ということは、会社としての最大の不採算部門を切り離しさえすれば、夕張線や札沼線などの路線も廃止する必要はなくなるかもしれない。でも、それができないのだ。
数字的なものよりも、駅を廃止にして路線を廃止にすることは、外部に対して「一生懸命経営改善している」というアピールをすることができる大きな手段なのだ。なぜなら、経営改革の基本である「入るを図りて、出ずるを制す」が、JR北海道の場合行うことができないからなのである。 

営業中だった頃の幸福駅
中間決算時点での北海道新幹線の赤字額が100億円ということは、会社としての最大の不採算部門を切り離しさえすれば、夕張線や札沼線などの路線も廃止する必要はなくなるかもしれないのだ。でも、それがないのだ、絶対不可能なのだ!

北海道のPR広告に「試される大地」と大きく書かれているのをよく見かけるが、それは違うのではないだろうか?
本当に試されるのは北海道の大地ではなくて、吾々内地(本州)の人間なのだとある人がいう。
そう、JR北海道の問題で本当に問われているのは「試される内地」なのではないだろうか・・・・という意見にもろ手を挙げて賛同である。 


2019年7月25日木曜日

3か月目に入った血圧測定

血圧を測定するということは、健康診断か体調不調でクリニックで測定するくらいだったので年に2回程度だった。
医科大で処方箋をもらって近くの薬局で55日分の薬をもらっていたのだが、近くのクリニックに変更を勧められたので4月からそうした。薬は血液をさらさらにするというものである。

そのクリニックに院長から「血圧測定記録簿」に毎日測定して記録するように指示が出された。血液サラサラと何の関係があるかは説明がなかった。が、5月から朝夕2回測定を開始した。記録を振り返ってみてみると、夕方の測定記録が欠けているのが目につく。つい忘れるのである


自分では全く普通だと思っているのだが、1週間ほど150前後の高数値が続いたことがあった。だいたい110台が最も多い。
今年から高血圧の標準数値が150から140に変更された。


測定実績から正常血圧であろうと自己満足している。だが、1度高血圧の数値も2,3日あった。

オムロンの血圧測定器で簡単にできるので大助かりである。
測定時間は2分もあれば完了である。
皆さんにもお勧めします。


2019年7月24日水曜日

ボイストラというアプリ

東武日光駅で下車し駅前大通りを歩いていた時だった。一人の外国人が自分の前に立ち英語で話しかけてきた。まだ就職して2か月ほどで学生服を着ていたので、外国人は学生なら英語が話せると思ったのだろう。で、身振りで話せないことを伝えた。

その2年後だったか東京タワー観光を終え浜松町駅に向かう途中、また外国人が自分の前に立ちふさがって道を教えてほしいと乞われた。たしか、増上寺へ行く道はどこかと云うことは理解できた。で、自信がなかったが向こうのほうだと指さして教えたことがあった。後で増上寺の位置を調べて分かったのだが、指さした方向が間違っていたことに気づいて申しわけないことをしたと今でも反省している。

今朝の朝刊に、「救急ボイストラ、県内に広がり 4消防機関が導入 」という記事が目に止まった。
日本語でコミュニケーションの難しい外国人の増加を背景に、多言語音声翻訳アプリ「救急ボイストラ」を取り入れる動きが全国の消防機関で広がっている。石川県内では全11の消防機関のうち金沢市消防局と七尾鹿島、かほく市、内灘町の3消防本部が昨年度までに導入を終え、外国人の住民や観光客らを搬送する際に活用している。国もアプリの導入を推奨しており、今後普及が進みそうだ。

外国人観光客が激増中




金沢市消防局が導入した「救急ボイストラ」(右)と独自の「金沢救急アプリ」=同消防局
金沢市消防局は2017年に救急ボイストラを導入し、独自開発の「金沢救急アプリ」と併用している。昨年は99人の外国人傷病者を搬送しており「救急は一分一秒を争う現場。翻訳可能な言語が多く、重宝している。金沢救急アプリと一緒に使うことで、隊員の安心感が増す」(警防課)とする。

訓練
東京消防庁でも訓練した
この救急ボイストラがどんなものなのか調べてみようと検索したら、ボイストラという無料のソフトがあることが分かった。

スマホにインストールすればたちまち翻訳機となる
数年前のボイストラより数段使い勝手が向上しているという。
こんなソフトが50年前にあったら間違った方向に指をささなくて良かったのに!とおもうのだが、今では小学生でも持ち歩いているスマホでも、そんな時代になったのはほんの数年前にしか過ぎない。
海外旅行に行く際にはボイストラをインストールしたスマホ持参で、現地に住む人とコミュニケーションが取れると思うが、どうなのだろう?





2019年7月23日火曜日

今年も町内盆踊り大会を盛大にやろうぜ!

校下の盆踊り大会は中止されることになったが、町内の盆踊り大会は当然のごとく今年も開催に向けて町会が一丸となって推進することになった。
去る21日午後7時30分から集会所において、40名の関係者が3週間後の第54回目となる町内盆踊り大会開催について綿密な打ち合わせが行われた。
メンバーは8人の町会役員、17名の班長、シニアクラブ、子供会の各会長、諸団体13名からなる40名が顔を揃えた。

諸団体13名の構成は他の町会にはない各同好会の代表者であったり、校下の役職者と公民館委員の皆さんである。
(ネットサークル、悠々サロン、民生委員1人、主任児童委員1人、防犯委員会々長、同副会長、公民館委員2名、料理同好会、クラフト同好会、交友会理事3名となっている。)

このうち中山町会長は検査入院のため、及び、盛田シニアクラブ会長が体調不調のため欠席された。
議長に野田副会長があたられ、20頁に及ぶ詳細な計画書により議事が進められた。
既に盆踊り大会の案内看板が数か所に設置され、大会をアピールしている。

拡大役員会の模様
議事は各班・各部会・各諸団体の懸案事項から進められた。
複数の班長から捨て猫、違反ごみについて話され、そのほか市道との交差点の見通しが悪く先だって事故発生した箇所にカーブミラー設置要望が出された。

次に本題の盆踊り大会のスケジュール・予算・業務分担・運営内容・会場設置・電気設備配線・花掲示板について20頁にわたる詳細計画書に基づいた説明と質疑応答が行われた。料理同好会から要員が少なく終わり間際まで繁忙を極めたので、今年は是非要員配置に配慮してほしいと要望が出された。

子供たちの荒屋っ子ダンスでは「ドラえもん音頭・パプリカその他」を披露するという。
昨年から実施している終了後の打ち上げ会は今回も実施する予定となっているが、この企画はコミュニティ強化にもってこいの企画である。
しかし、テント8張り、テーブル・イス・その他諸機材を含め大量の運搬・据え付け・片付け・運搬格納作業が必須となる。

ちなみに予算は130万円、このうち広告協賛として110件50万円が特筆される。
これは町会役員が各店舗や企業を訪問し寄付金を募った成果である。110件の企業訪問は並大抵ではないだろうと推定するのだが、もう8年も続いている。

そしてまた、この膨大な設営等の作業量をこなすには一般的な町会役員だけの動員ではなし得ない。これまで培ってきた強固な連帯意識があればこそ成せる盆踊り大会である。

2019年7月22日月曜日

活動資金凍結という愚挙

アンデルセン童話に「はだかの王様」という話がある。
この話というのは、地位の高い人で、周囲からちやほやされて批判や反対を受けないために、本当の自分がわからなくなっている人のたとえなんだとか。
それによく似た人間が、自分の思うがままコントロールできる二人の操り人形を、ある機関に送り込んだ。

送り込まれた二人は従来方式を全面的に改め、理想とする新しい公民館運営の実現を強力に実施する決意を新たにし、早速その行動に移した。
まず抵抗勢力と思われる者の排除から着手した。
はだかの王様が気に入らない公民館委員のある部長をターゲットにして罷免することにして館長から辞任要求を出させたという。ご丁寧に謹慎期間も設けたという。

それとは別に、公民館活動の諸経費に充当するため、公民館委員に「花」を集めてくるよう指示が出された。その必要性が理解できないため、公民館委員の抵抗は大きくその動きはなかった。
公民館委員は町会組織の委員と同一であるがごとき動きである。

6月の委員会で唐突に社会体育大会を中止すると宣告したのだが、7月に入って今度は盆踊り大会を中止すると発表された。
この動きとは別に、公民館委員は辞任に追い込まれた部長の復帰を館長に申し入れたが、聞く耳は持たないという。

平成26年公民館委員定例会
そして現在、何と40数名の公民館委員全員が1枚岩となって要求しているという。
これが「やむを得ない事情で」中止された盆踊り大会の舞台裏である。

盆踊り大会の準備に活躍する公民館委員
社会体育大会の準備作業で忙しく立ち回る公民館委員
公民館運営を自ら描いた方式実現のため、「はだかの王様」は誰も予想し得ない愚挙に出ることを思いついた。
何と何と公民館分配金を凍結したのだ。戦時中じゃあるまいに、何が何でも改革のためと称してごり押しするはだかの王様一族にあきれ返るばかりである。
誰か「あんたははだかの王様だ」と言える勇気のある者はいないのかなぁ。



2019年7月21日日曜日

分厚い懸賞金の束をものにした!

7勝を上げてから3日連続の負けを喫していた炎鵬が、ついに入幕以来の勝ち越しを決めた。この取り組みには何と10本もの懸賞金が懸けられていた。
輝に突き出され、照強に惨めな負け方を喫していただけに、昨日は闘志満々で臨んだ。そのためか、2度も立ち合いがならず仕切り直ししての一戦だった。

仕切り直し

巨体を寄り切った!
3回目に立ち上がると、炎鵬は左で前廻しを狙うが取れず、妙義龍に押されるも左に回り込んで土俵中央。低く潜り込んだ炎鵬は、二本差すと極められかけた首を抜いて必死に寄り立てる。ついに妙義龍を土俵外に出し、幕内での初勝ち越しを決めた。

「やっと勝てたという思いです。緊張で硬くなったけど、しっかり当たって自分の相撲が取れた。勝ち負けを考えず、思い切りぶつかっていきました」と炎鵬。

勝ち越しに王手をかけながら勝てない日々が続き、「本当に苦しかったですね」と涙をぬぐった。幕内での初勝ち越しということで、技能賞獲得も濃厚だろう。あの小さな体で勝つには、技能がなければ話にならない。是非、あげてほしい。



勝ち名乗りを受け滲んだ涙を拭った。さらに花道でも涙は止まらなかった!

先場所から苦しい思いが続いていたのでなおさら「涙」は止まらなかった
体重100キロ未満の力士としては、97年秋場所の舞の海以来22年ぶりの幕内勝ち越しとなった。込み上げてくる熱い思いを抑え切れなかった。入幕2場所目の炎鵬が“10度目”の挑戦でついに勝ち越しの壁を破った。「やっと勝つことができました。7勝した後に勝てなくなって、何度も心が折れそうになったけど、周りの皆さんから温かい言葉を掛けてもらい励みになりました」。支度部屋では目頭を押さえ、タオルで何度も涙を拭った。 


昨日のNHKのニュースや民放のスポーツニュースでも炎鵬の取り組みをトップで流していた。今日は千秋楽。大翔鵬との1番だが、9勝目をあげてもらいたいと願うのは欲張りすぎか。


2019年7月20日土曜日

エッ、ホント?能登出身の彫刻家の作品

今朝の新聞を見て驚いた。あの像が能登町出身者の作品だったとは!知らなんだなぁ。
21年前に北海道旅行をした時に、定期観光バスに乗って札幌市内観光をした。最初に向かった場所が羊ヶ丘展望台だった。市内が見下ろせる広々とした公園なのだが、羊ヶ丘と称されるわけは羊を放牧する牧草地なのである。
土産物屋さんの前の展望台にどかんと像が建てられていた。何の像かというと、ボーイズビアンビシャスという言葉を残したクラーク博士の銅像である。


今朝の記事によると、その像の製作者は能登町恋路の出身者だというではないか。当時はそんなこととはつゆ知らず、ただクラーク像の前に並んで記念写真を撮っただけだった。

札幌市のさっぽろ羊ケ丘展望台に立つ代表作「丘の上のクラーク」像で知られる、能登町恋路出身の彫刻家坂坦道(たんどう)さん(一九二〇~九八年)の作品が二十日から、同町真脇の旧真脇小学校一階で公開される。これまで展示されていた町役場内浦庁舎の移転に伴い、作品を一部入れ替え百五十点を並べた。(加藤豊大)
 坂さんは旧内浦町(現能登町)で生まれ、三〇年に札幌市に移住。人物像を中心に数多くの作品を残した。古里の観光名所「恋路海岸」には、悲恋伝説の残る男女を題材にした「恋路物語」の像がある。 

恋路海岸の像もそうだったとは!知らなんだなぁ。
実は定期観光バスに乗る前に、札幌駅からほど近い北大に行ってきた。目的はクラーク像を見るためだった。小学6年生の新学期冒頭に新任先生の挨拶があった。そのとき先生がボーイズビアンビシャス・少年よ大志を抱けと話された。その時、いたく感動してクラーク博士の功績を知ったのである。

北大構内のクラーク像
羊ヶ丘から次に回った場所が「白い恋人」の工場見学だった。
そのオーナーのコレクションの数々を見て感動した。

大使館の応接間があった
能登町の偉大な彫刻家「坂 坦道」氏の名前を脳裏に刻み込もう。

2019年7月19日金曜日

コンビニ強盗で投獄歴のある放火犯

今朝のニュースは京都アニメ放火事件ばかりである。この事件は国際テロ並みの凶悪的犯行である。

府警によると、出火時、スタジオには従業員ら75人がいた。府警は死亡が確認された33人について、12人が男性、20人が女性、1人は性別不明だったと明らかにした。発見場所は、2人が1階、11人が2階、1人が2階から3階に上がる階段、19人が3階から屋上に上がる階段だった。

螺旋階段が1階から屋上までの構造になっているため、煙突的な作用が働き被害が大きくなって、19人が屋上手前で折り重なるように亡くなっていたという。どういうわけか、屋上に出るドアに鍵がかけられていたため惨事が大きくなったらしい。

被害者救助中
京都市伏見区桃山町因幡の「京都アニメーション」で18日に起きた火事で、同社の八田(はった)英明社長が、京都府宇治市の同社本社前で取材に応じ、数年前から「死ね」と記されたメールなど苦情や脅迫が会社宛てに複数届いていたことを明らかにした。いずれも弁護士に相談するなど対応してきたという。


八田英明社長
八田社長は「今回の事件につながるようなことはないと思うが、常に苦情や文句は来るから、対応はしてきた」と話した。
また、「こういうことになってしまうかも、という危惧はあったが、これだけのことをするとは思っていなかった」とした上で、「暴力に訴えるなんてとんでもない。怒りしかない。日本のアニメーションを背負っていく人たちが傷つき命を落とすなんてたまったもんじゃない」と怒りをあらわにした。
クレームの内容がどんなものだったのか知りたいところだ。


犯人は重度の火傷のため入院中だというが、免許証記載の住所には大勢の取材陣が押しかけているという。その居住中の住民の評判も良くない。大音量で音楽を聴いたり、階下の住民を脅していたというのだ。


警官の問いかけに「パクられた」と話しているという。
また、犯人はコンビニ強盗をして投獄されていたともいう。そして放火された京アニメ付近を数日前から赤いシャツを着て様子を伺っていた。だけど、年齢だけ公表して名前が伏せられている。何でだろー。

そんな男に命を奪われた33名の皆さんは訳も分からず苦しみながら息だえた。こんな理不尽なことはない。できることなら犯人を「張付け獄門」にしたいくらいだ。


2019年7月18日木曜日

どれだけ頭を下げても命は蘇らない

退職して以降、金沢市のすこやか検診に健康状態をチェックしているのだが、もし、「要精密検査」の結果が曲げられて「異常ありません」と通知されたらどうするかといえば、「あぁ良かったぁ」と喜ぶに違いない。
で、数か月後、何だか胸焼けがするなぁと検査したら胃はおろか肺や腸まで転移していて手の施しようがなくなって間もなく死を迎えた。そんな事例が岐阜市で発生したという。


誤って「異常なし」と通知したとあるが、誤ってという表現は不適切なように思う。それは通知した職員の業務に対する責任感というものが欠落しているのである。即、担当から外すべきと考える。
結果通知は、中市民健康センターのほかに2カ所の市民健康センターと市健康増進課が発送していたが、中市民健康センターでは9年間も一人で判断していたというではないか。

中市民健康センター以外では職員2人が読み合わせをしてミスはなかったという。市は今後、職員2人による読み合わせを徹底し、通知の発送前に上司も確認するとしている。


ほかの4人の方はどうされたのだろうか。きっと驚かれたに違いない。
検診結果が要精密検査となった場合、金沢市では検診したクリニックにおいて封書で専門医に報告することになっている。小生のケースだが、PSAが毎年4以上の値になることから10年ほど前に精密検査して生体検査まで行い、異状なしだったので専門医はそれ以降生体検査の必要はないでしょうと省略してもらっている。

誤通知のために亡くなられた方とご家族はさぞ悔しい思いをされているだろう。
女性は4月に別の医療機関を受診し、胃がんから転移した肺がんが見つかったという。不審に思った家族が7月10日に中市民健康センターに問い合わせたところ、市は誤りを認め、11日に謝罪した。ご家族は市に慰謝料を求めて当然である。