自分の親世代までは石工と呼ばれる職人が多数いた。実際、自分が監理した中央本線恵那・中津川間の複線化工事でも、線路側こうと称する水路の両サイドには切石が用いられていた。また、擁壁は大半がコンクリートだったが石積み土留壁という擁壁が築造されていた。だが、30年程前から切石は殆ど土木材料から駆逐されてしまった。
時代は遡り、比叡山の麓にある大津市穴太(あのう)地区で戦国時代に栄え、全国の城の石垣に使われた石積みの伝統工法「穴太衆積み」が、その独特の技術で最近まで仕事があったが、次第に尻すぼみとなったため、活動の場を米国など海外に広げている。自然に近い状態の石を、コンクリートなどで固定するのではなく、積み上げるだけで高い耐久性を実現する技術が「驚くべき技だ」と評価されている。
|
ダラス ロレックスタワーのオーナー ガブリエル・バルビエミュラー氏 |
穴太衆が海外進出するには、このガブリエル・バルビエミュラー氏の存在が欠かせなかった。この人は大の日本文化フアンである。特にサムライに関心が高く、鎧甲冑のコレクターでもある。何と、神社仏閣・日本の城にも自分よりもはるかに造詣が深い。そんな彼だからこそロレックスタワーに穴太衆の石積みを張り巡らせたのである。
苔こけむす石垣が美しい大津・坂本。大小様々な自然石をほとんど加工せずに積む「穴太あのう積み」の前で、戦国時代以来の技術を今に伝える「粟田建設」社長の粟田純徳さん(50)は静かに口を開いた。
「伝統は絶やせない。後世につなぐためにも海外に出向くんです」
|
ダラスの石積み現場で采配する粟田純徳社長 |
|
職人は現地からメキシコ人4人アメリカ人1人が集まった |
メキシコ人はスペイン語なので女性の通訳が配置された。石積み作業は全てド素人だから一から十まで手取り足取り教えた。粟田社長の人間性なのだろうか、5人の職人は粟田社長に全幅の信頼感を寄せた。ダラスに122日間、その間、余すところなく穴太積みのノウハウを伝授した。
|
アメリカで石垣造りという前代未聞の工事現場風景 |
|
最後の石 |
|
この「そり」こそ城郭の神髄 穴太衆のノウハウなのだ |
隈研吾氏がたまたまロレックスタワーの設計をされた。その隈研吾氏も穴太衆の仕事が大いに気に入り、また一緒に仕事をしたいと話された。
粟田純徳社長は自分の息子が後継者となるのか不安な毎日なのだとか。息子さんは現在小学4年生10歳なのだ。
|
ダラスの仕事を息子さんに話す粟田社長 |
|
きっと立派な跡継ぎになってくれるだろう |
タイトルは「サムライ ウォール」。素晴らしい番組だった!
0 件のコメント:
コメントを投稿