2020年7月14日火曜日

輪島塗りをアイヌ民族が使っていた!

 一昨年の北海道旅行で3泊目のホテルが阿寒湖のほとりにあった。夕食を済ませてオプションとして選んだアイヌシアターでのアトラクション観劇に出かけた。ホテルを出ると土産物の店舗が連なる道を10分ほど歩くと立派なモニュメントが見えてきた。
このモニュメントの奥にアイヌシアターがあった
ここがアイヌシアター「イコロ」
中は撮影禁止なので自分の写真はないが、ネットでさがしたら何枚かあった。
アイヌの踊り、歌や笛が演奏された
中学1年だったと思うが、だとしたら昭和30年、中学にアイヌの人たち十数人がやってきてマリモを見せてくれたり、踊りを披露してもらった。上の写真の衣装は派手なように感じてしまうのだが、当時、女性達が着ていた着物は裾に白模様の入った紺色の地味な感じがした。そして女性達は全て口の周りに刺青をしていた。
刺青はこんな感じだった
何せ六十数年前になるから、もう今ではすっかり刺青の女性はいないに違いない。「エホレン、エホレン、エホレンヨー」というかけ声が今も耳に残っている。なので、シアターで見たアイヌの踊りは全くの別物のように感じた。
雰囲気的にこのような踊りだった
昭和30年頃はこうだったのだろうか
昨日の中日新聞に次の記事が掲載されていた。
「輪島塗 アイヌ愛用だった 漆器の下地で産地など特定」
アイヌ民族が所持していたとされる江戸時代後期から昭和前期の漆器の産地や年代について、石川県輪島漆芸美術館名誉館長で漆器文化財科学研究所の四柳嘉章所長=同県穴水町=と上越教育大大学院の浅倉有子教授(近世史)が初めて特定した。この中で、アイヌ民族が「台盃(はい)」と呼び、祭礼や儀式に使われた輪島塗の特注品の存在も明らかになった。産地の輪島市でも現在は見られず、四柳所長は「地場産業の歴史を見直すもの」と意義を強調する。
苫小牧市美術博物館が所蔵するアイヌ民族特注の輪島塗の台盃。上がり藤の蒔絵が椀と天目台の両方に刻まれている
輪島塗の椀の内側に描かれた鳳凰の漆絵

明治中期の輪島塗と推定しているが、アイヌ民族も輪島塗の素晴らしさを理解して使用していたとは愉快なりである。
そんな記事に昔の記憶が掘り起こされた。

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