2019年4月12日金曜日

400年前、日本を測量して日本地図を作製した西欧人がいたとは!

1590年っていえば関ケ原合戦の10年前だが、この年の8年前に日本を出発した天正遣欧使節団が帰国した年だという。

この使節が日本を発ったのは、天正十年(1582年)だった。ちょうど本能寺の変があった年だが、出立は1月だから、彼らはそのことは知らないのだ。
帰国したとき、使節たちは天下人が信長ではなく秀吉だったことに仰天しただろうと想像する。
遣欧目的は、ずばりキリスト教のためだった。

大航海の末帰国した
まだ先入観が少なく、価値観も出来上がっていない少年たちにキリスト教世界を見せて、「キリスト教と西洋文明はスバラシイ!!」という認識を植え付け、日本での布教を進めようとしたのだ。

これはさて置き、この稿は遣欧使節団について記すものではない。実はこの使節団の帰国に際して、ポルトガルの地図製作者、イグナシオ・モレイラ(1538年ごろ~没年不詳)が船に同乗して日本に来たのだという。
モレイラは、天正遣欧使節の日本帰国に同行し、1590年に来日。滞在した約2年間に鹿児島から京都までの西日本を測量した。更に、1591年1月に豊臣秀吉に面会した際、京都に集まっていた東日本の大名から情報を集め、世界で初めて実態に近い日本地図を作ったとされる。
そんな人間がいたとは今知ったばかりである。日本史の教科書にもモレイラという人物名はなかったと記憶している。

で、どんな地図ができたかというと、

鹿児島から京都までは実測した日本最初の地図
対馬はやたら大きく能登半島はやたら小さく、佐渡は大きい。意外と東海道から房総半島にかけての地形はかなり正確な感じではある。秋田・岩手・青森は「いいかげん」である。京都以東はヒアリングで作成したとあれば「ま、こんなもんか」であろう。

総合地図会社、ゼンリン(北九州市)が、16~20世紀にヨーロッパなどで作られた地図692点を購入した。このうち、ポルトガルの地図製作者、イグナシオ・モレイラ(1538年ごろ~没年不詳)の地図を基に、フランス人版画家が刷った「日本図」は現存する唯一のもの。これを含む30点の地図を近く東京都内で公開する。
大航海が盛んな頃、星を観察しながら現在位置を知ることは計測機器の発達で容易だったに違いない。そんなことから、測量学も発展し詳細な測量ができるようになりつつあった時代である。伊能忠敬の大日本沿海輿地全図は完成したのが1816年。
モレイラが上陸して220年後、グーグル地図に劣らない大日本沿海輿地全図が完成した。50歳から測量学を学び日本全国を歩き回って70歳でなくなった。

定年後何をすべきかという本が売れているという。伊能忠敬の意気込みを見習うといいのかもしれないなぁ。


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