2019年4月3日水曜日

「滲み出る悪しき高野連の悪しき体質」という記事

どうも腑に落ちない。
去年の仙台育英と大阪桐蔭戦では仙台育英が勝利した。勝因は大阪桐蔭1塁手のエラーだった。捕球の際にベースから足が離れたのだ。実はその前に1塁走者から足を思い切り蹴られたのだ。これはビデオで確認できる。
だが、高野連はこの問題に一切対処しなかった。なかったことにしたのだ。

先月末、こんな記事が掲載された。
星稜(石川)の前監督、山下智茂名誉監督(74)が29日、日本高野連に謝罪した。
敗退した28日の試合後、習志野(千葉)のサイン伝達行為を疑い、相手監督に直接抗議を行った林和成監督(43)の行動が物議をかもしていた。この日は解説の仕事で甲子園球場を訪れており、日本高野連の幹部に「お騒がせしたことをおわびいたします」と話した。

これを読んで違和感を覚えた。何でヤマカンが高野連にあやまる必要があったのかと。
そのあと小林信也氏の記事が掲載された。全文が長いので中身の濃い部分を抽出した。

滲み出る悪しき高野連の悪しき体質   作家・スポーツライター 小林信也
(注;一部割愛)
いみじくも、習志野の監督は、抗議に現れた星稜の監督に対して、 「星稜もやっているでしょう」と言い返したという。その言葉に、高校球界にはびこる勝利至上主義の弊害、ルール破りも当然だとする根深い実態が露呈している

この問題は、さらにもうひとつ波紋を広げている。
習志野が実際にサイン盗みをしていたかどうかは調査が必要だが、このような疑惑が指摘されたら、根本的に改善する方向に動くのが日本高野連の当然の姿勢だろう。ところが、星稜の監督をバッシングする方向で事態は収拾されているのだ。

翌日、報道陣に対して星稜・林和成監督は「私の行き過ぎた言動と行動で多大なご迷惑をお掛けしたと日本高野連に謝罪した」と語ったと報じられた。だが「私の中ではあったのではないかといまだに思っている」とも語ったという。

日本高野連の竹中雅彦事務局長は「どういう動作がそう見えたのかを確認したい」と話し、星稜に対して証拠と主張する1回戦の映像提出を依頼したそうだ。また一方で竹中事務局長は「試合後はノーサイドが原則。試合後の行動は反省してください」と注意したと報じられた。

この竹中事務局長の発言にこそ、日本高野連の悪しき体質が滲み出ていると私は唖然とした。ノーサイドの精神というスポーツ用語を自分たちに都合よく曲解し、正義を押し付け、本質をあやふやにする、最も許されざる姿勢だと思う。
ノーサイドとは元々ラグビーのスピリットを表す言葉だ。そのラグビー界では、試合が終わると敵も味方もなく、ビールを酌み交わし、試合を振り返る。そこにはレフリーも加わって、時には激しい議論にもなる。ジャッジを巡って、忌憚のない意見を交し合うのだ。


ルールの解釈、ジャッジの意図、試合中には会話できない深い部分やお互いの意見の相違を試合後に確認する。私は、選手と審判が口角泡を飛ばし、時には試合中以上に高いテンションで口論する光景を何度も見ている。それでこそ、互いの理解が深まり、次の試合に臨む準備ができる。ノーサイドとはこういう姿だ。自由な議論や会話をするという本質を曲げて、「言うことを聞け」と言わんばかりの暴言だと気付いていないほど、日本高野連は裸の王様になっている。

● 「ノーサイドが原則」の発言に 滲み出る悪しき高野連の悪しき体質
この問題は、さらにもうひとつ波紋を広げている。
習志野が実際にサイン盗みをしていたかどうかは調査が必要だが、このような疑惑が指摘されたら、根本的に改善する方向に動くのが日本高野連の当然の姿勢だろう。ところが、星稜の監督をバッシングする方向で事態は収拾されているのだ。
明徳が松井5連続4球という愚挙はルール違反したわけではない。だが、これも勝利至上主義を貫いた馬渕監督の頭の中なのだ。ルール違反ではないにしろ高校野球のあるべき
姿とは逸脱していると思う。

ある記者が林監督の談話を取材した一部。
私も星稜高校の野球部OBです。1992年、夏の甲子園に出場しました。2年生でした。
松井秀喜さんが5連続敬遠された「星稜VS.明徳義塾」の試合もスタメンでした。
しかし私は92年の敬遠より、今回のサイン盗みのほうが許せません
敬遠はルールで認められていますが、サイン盗みは禁止されています。

当時、世論は明徳義塾を大バッシングし、その影響があったのか、次戦は敗れました
一方の習志野さんは市立和歌山との次戦に勝利されました。彼らが正常な状態で野球をできたことは良かったと思っています。

そうしたチームを作り上げた小林監督の人徳も素晴らしいと思います。
もし市立和歌山戦で、習志野さんが本来の実力を出せずに負けていたら、騒動を引き起こした当事者として申し訳なく感じたと思います。

昭和の高校野球で、サイン盗みは当たり前の戦術でした。
相手に読まれないようサインを複雑化するなどの対策も普通に行われており、各チームが駆け引きを繰り広げていました。
それが変わったのが1998年の横浜とPLの試合で、3塁コーチの指示が問題になり、高野連はサイン盗みを禁止しました。 

以上、習志野・星稜戦ですっきりしない気分だった2,3日前までだったが、上記の記事を目の当りにして少し気分が晴れたような気がする。

0 件のコメント: