2023年8月15日火曜日

御年92歳美声変わらず!

先月のことだが、BSのチャンネルを回していたら、エエッ!と思った。引退してもう10年以上も過ぎて「二葉百合子ショー」だと?
現在92歳だという二葉百合子は、10年前の現役時代とちっとも変わらない姿に目を瞠った。そして、あの「岸壁の母」を歌った。少しも変わらない張りのある声だった。

現役時代と何ら変わらない美声だった

引退は80歳だったという。引退して、「ちょっと早かったかな」と思ったという。
6月にシニアクラブの旅行で富来に行った。その時、岸壁の母記念碑を見てきた。

増穂が浦に建立された記念碑

この記念碑は町の尽力で立派な記念碑が建てられた。流行歌、映画「岸壁の母」のモデルとなったのは、富来の出身者端野いせさん(1899年9月15日 - 1981年7月1日)である。
もう亡くなって12年ほど経ったウチの母は、旧盆で方々から集まった子や孫20人余りで宴会をすると、必ずこの岸壁の母を歌った。母の子を思う気持ちを表したかったのだろう。

舞鶴市引上げ記念公園にある「岸壁の母」記念碑

端野いせさんの経歴
明治32年(1899年)9月15日、石川県羽咋郡富来町(現在の志賀町)に生まれ、函館に青函連絡船乗組みの夫、端野清松と一人娘とともに居住していたが、昭和5年(1930年)頃に夫と娘を相次いで亡くし、家主で函館の資産家であった橋本家から新二を養子にもらい昭和6年(1931年)に上京する。新二は立教大学を中退し、高等商船学校を目指すが、軍人を志し昭和19年(1944年)満洲国に渡り関東軍石頭予備士官学校に入学、同年ソ連軍の攻撃を受けて中国牡丹江にて行方不明となる。

終戦後、いせは東京都大森に居住しながら新二の生存と復員を信じて昭和25年(1950年)1月の引揚船初入港から以後6年間、ソ連ナホトカ港からの引揚船が入港する度に舞鶴の岸壁に立つ。昭和29年(1954年)9月には厚生省の死亡理由認定書が発行され、昭和31年には東京都知事が昭和20年(1945年)8月15日牡丹江にて戦死との戦死告知書(舞鶴引揚記念館に保存)を発行。
しかしながら、帰還を待たれていた子・新二(1926年 - )は戦後も生存していたとされる。それが明らかになったのは、母の没後、平成12年(2000年)8月のことであった。


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