石井橋は昔から鉄桁の頑丈な橋だった |
この橋は橋の中央に橋脚があったが、現在は1スパン構造に変わった。この橋だけが永久橋の構造だった。この橋から上流の殆どの橋は木橋だった。そのため、洪水のたびに上流から流されてきた橋で川がせきとめられた。この付近は滅多に堤防以上には水は上がらなかったが、昭和35年の出水期で路面から1m以上も水位が上がって、商店街が大被害を被った。
この写真を見ると、川一面に草が茂っているが、これは北河内ダムが完成した以降に流量が極端に減少してこのようになった。
上の写真の上流部 |
この付近には昔は田んぼもあった。大水のたびに親父が大きなタモを持って水際に集まる魚を獲った。今から思えば幼い子供を連れて荒れ狂う水際まで降りて、何度もタモをすくった。獲物はナマズ、カニ、ハヤ等、大漁だった。
石井橋下流 |
この橋の400mくらい下流の山にぶつかる場所は二つの川が合流する。そこが格好の遊び場だった。いかだを作って乗ったり、夏休みは1日中ここで泳いでいた。小学生や中学生が常に20人くらいの遊び場だった。泳ぎはここで覚えた。曽々木の海で初めて泳いだ時は、これが海かと感動した。
そんなことが次から次と思い出が蘇るストリートビューだった。
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