昭和36年3月の、卒業式が9日だというのに1日、採用先から2日に出頭せよとの通知を受け、循環急行しろがね号に乗車して岐阜市にあった就職先に向かった。翌日、勤務先に出頭して、採用者が20名だと分かった。7月、その20人の中で最も早い転勤者になり、市ノ瀬にあった小木工事区へ転勤命令が出たので、市内のすし屋で送別会をやってもらった。そしてこれを機に「同期会」が発足した。
そして平成28年、久しぶりに同期会が岐阜市長良川で開催され、鵜飼見物しながら歓談した。
鵜飼舟予約者が押し寄せた |
長良川の向こう側に球場が見えるが、ここで課対抗のソフトボール大会が開催された。また、毎年7月4週土曜日には岐阜日日、次週には中日花火大会が開催された。そんな思い出がいっぱい詰まった同期会だった。
20名だったメンバーが8名に減少した |
そしてまた、今年5月に1名が亡くなったと連絡があった。幹事からは電話でもう一度同期会を開催すると連絡があった。富山在住のメンバーが体調を崩して入院中だという。淋しい同期会になるかもしれないが、それまで元気にいなければ!
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