昭和37年3月、宇出津から蛸島に向かって軌道敷設工事が開始された。この2年前には穴水・宇出津間が開通していた。当時、珠洲道路はまだまだ先の話で、国道は未舗装、飯田から金沢に向かう場合は国鉄バスに乗って小木経由で宇出津まで1時間半ほど時間がかかった。
そんな状況の中、昭和37年秋には市ノ瀬付近にバラストを運搬して本格的な軌道工事が進められた。私は36年7月に岐阜から小木工事区に赴任して工事管理業務の任務に就いていた。
小木駅まで約400mの市ノ瀬地内バラスト取り卸し |
バラスト取り卸し後は軌道整形作業となる |
明治時代から当時まで、軌道工事はどの路線でもこのような原始的な工法で進められた。
路線中心測量、レール、枕木、犬釘等の支給材料の確認、軌道突き固め整備の確認等が主な業務だった。
鵜島付近竹中川橋梁鉄桁運搬架設作業 |
この作業を以て、私の業務は転勤命令で宇出津・松波間の開業を終え岐阜へ転勤となった。金沢転勤になるまで20年を要した。3年ほどで再び岐阜に戻った。
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