昭和36年に高校を卒業してある建設関係の業務機関に就職したのだが、雇用主が新規採用を増やし始めたのが昭和30年を超えてからである。
そのため、職場は高齢者が大半を占め親子ほどの年齢差があった。
50歳前後の人たちは現在と比べものにならないほど年老いた人に思えた。
55歳で定年退職する人たちの容姿は、現在の70代後半よりも年取った老い方だったように思う。
高齢化と長寿化を阻止すれば希望が見えるだろうか
こんなタイトルのブログがあった。若い人が書いたらしく、吾々の年代者が読むと実に腹だたしいが「一理はある」のだ。
これからの高齢者は,これまでの高齢者ほど救済もできないし,国家レベルで大切にすることもできない。
極論すれば、あとは死んでいくだけの高齢者に手厚く救済するよりは,救済することで生産量が上がる若い世代に手厚く救済する方が国としては繁栄する。高齢者への医療費や介護費を減らした分,若い世代の能力開発や子育て支援に回した方が実りがあるという見方はあるはずだ。
寝たきりの人が多いし,少なくとも元気な高齢者はいない。
『自分はこんな風になりたくない。こうなる前に死にたい。』
『人間はこんな風になっても生き続けないといけないのだろうか。』
入院中の高齢者には責任はないが,本音ではこんな風に感じるのではないだろうか。
もし,自分で自分の寿命をコントロールできるならば,疾患を抱えて大変な状況になる前に人生を終わらせられる。
必要以上に長生きすること,その結果の長寿命化ならば,それを阻止する方がみんなが幸せになれるのではないだろうか。
自分の寿命なんだから自分でコントロールしたい。
これなんかは「空言」だ。自分でコントロールしたいというが、できるわけねぇ!(怒)
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