2020年1月17日金曜日

あれから25年、その時、独身寮で目覚めた

25年前の午前5時45分、独身寮で就寝していたその時、突然の地震で目覚めた。起き上がってすぐTVのスイッチを入れた。
次から次と震度を示す映像が流れ、しばらくするとNHK神戸支局の事務室の模様が映し出された。
阪神淡路大地震の最初の映像だった

自分の居場所だった岐阜市は震度4 結構揺れた
 阪神高速道路の高架橋が横転した映像が被害の甚大さを示していた。高架橋が崩壊しバス前部がはみ出している状況を見て、よく落ちなかったものだと感心した。
このとき、現場はパニックに陥っていたと想定できる。
県庁に勤務していた弟によると、神戸に応援部隊として派遣されたが、市内に入ることができずに苦労したと聞いた。

新幹線も不通だったが、復旧して運行開始したころ現場視察を命ぜられ現地に赴いた。
市内を見渡すとブルーシートに覆われた屋根ばかりが目についた。
ポートアイランドの新交通システムで埋め立て地を約半周したのだが、道路は至る所に噴泥現象が見られ、当分の間は通行不可と思ったものだ。

新交通システムの橋桁が80cmも移動て桁が落下したという。
そこの視察を終えて本四架橋経由で淡路島に渡った。あの長大吊り橋が通行できるとは驚異的に思った。
ICを降りて海岸線の西側を30kmほど走って北淡町という場所に到着した。

そこは大地震で発生した断層を視察するためであった。
地震発生後、断層保存のため上屋が設けられた
吾々が訪れた時はまだ上屋はなかった。この写真のズレは20cm位だが、吾々が見た断層は80cm以上の大きな場所だった。
その断層のすぐ傍にぽつんと1軒があり、建物被害が全くないように見えた。この建物は断層直近なのに崩壊を免れたので、町が買収し保存している。
巨大地震に耐えた ぽつんと一軒家
そんなことが蘇ったのだが、森本・富樫活断層に直近する吾々としては、地震のないことを祈るしかない。

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