2019年12月3日火曜日

大伴家持が巡察で詠んだのは穴水湾だって

今朝の中日新聞の記事を読んで、大伴家持が能登巡視の際に詠んだ一首が万葉集に掲載されているという事実があることを知ってとても驚いた。
家持は能登国が併合された越中国に国司として赴任した。七四八年に職務で能登地方を視察した際には「珠洲の海に朝びらきして漕(こ)ぎ来れば長浜の湾(うら)に月照りにけり」と詠んだという。

北陸の地域史に詳しい東四柳史明(ひがしよつやなぎふみあき)さん(71)=金沢学院大名誉教授、同町=が「『万葉集』と穴水の世界」と題し登壇。奈良時代の歌人で万葉集を編さんしたとされる大伴家持(おおとものやかもち)の歌を紹介した。
元号令和の出典元となった現存する日本最古の歌集、万葉集と穴水町のつながりをテーマにした講演会が、複合公共施設「町さわやか交流館プルート」であった。町民ら三十人が往時に思いをはせ、地域の歴史に興味を深めた。

東四柳さんは「珠洲の海を船で朝早く出発し、長浜の海までこいできた。月の光が海面に映し出され、大変きれいだ」と解釈。長浜の海が穴水湾に該当すると指摘した。
「万葉集の記録から家持は長浜の海上で宿泊している。波穏やかな場所でしか泊まれないはずだが、入り海の穴水湾にその特徴がある」と力説。日本最古の百科事典とされる平安時代の「和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)」で登場した能登地方の地名に長浜があり、地理的な条件から穴水に当たるとした。

長浜の海上と記してあることについて、そこは穴水湾と教授が解説されたが、穴水湾はどの入り江なのだろう。穴水町中心街のすぐ近くなら地図で記した位置あたりかもしれない。
ボラ待ち櫓のあるポケットパーク付近
それとも旧向洋小学校前のポケットパーク付近は湾の懐の深い場所で波は常に静かである。ま、そこまで追求する必要はなかろう。それにしても舟で1泊とあるが、上陸して休む場所がなかったのか不思議な気がする。
曽々木海岸の波の華
穴水湾は内浦だが外浦の曽々木海岸で、先月には波の華が舞い垂水の滝が逆さ滝となった。外浦と内浦の対比が際立つなぁ。

0 件のコメント: