2018年11月23日金曜日

原付自転車運転の講習会

現在、自分が交付されている運転免許証の取得年月日欄に、昭和35年12月19日と表示されている部分がある。この日付を見ると高校3年生だった教室での出来事を思い出す。先日、瑞宝章をもらった友人とは高校時代からずーっと親友として付き合ってきた仲なのだが、その彼がこんなことを云った。「わしゃ原付の許可証を取りたいと思っとる。申請書に医師の診断書がいるさかい家に帰る途中、医者に寄ってもらってこんなんがや」と。

その話を一緒に聞いていたもう一人の親友と、「ワシも許可証ほしいなぁ」、「診断書は医者に行かんともらえんしなぁ」と云ったら、「ワシャ頼んでみようか」ということになり翌日封筒に入った診断書が渡された。
その診断書を添付して申請書を広坂警察署に提出し講習会を受講することになった。2時間程度の講習会が終了すると同時に「第1種原動機付自転車運転許可証」が交付された。

当時、運送屋の2階に下宿していた関係で運送屋に原付があったので、早速、これを持ち出して大学病院構内を走り回った。
原付自転車といえば小学生の頃、少し頑丈そうな自転車にエンジンを付けて走っているのを見かけたものである。

昭和20年代後期の原付自転車
ホンダの歴史を辿ると、戦後の昭和21年、陸軍で使用した小型エンジンを自転車に取り付けて試走したことから始まりだという。その後、独自エンジンの開発に着手し、原動機付自転車を生み出している。本格的なバイク製造は昭和24年のドリーム号に始まり、昭和27年にはカブF型の開発で爆発的なヒットを生みました。昭和40年代以降の高度経済成長期にはスクーターのヒットで日本屈指のメーカーとなったのである。

さて、昭和36年7月、能登線建設工事の現場管理担当のため九十九湾観光船乗り場付近にあった小木工事区に勤務することになったのだが、その事務所には50ccバイクがなく125ccのメグロオートバイがあった。しかし、原付許可証では運転不可。着任してからしばらくして第2種原付の講習会が宇出津で開催されるというので、上司にお願いして1週間その講習会に参加した。実習に使用されたのがスクーターだった。足を揃えて乗るのが慣れなくて膝を大きく開いて受講した。そして貰ったのが第2種原付許可証だった。

晴れて配備されているオートバイにそこいらじゅう走り回って、行動半径が飛躍的に大きくなったものである。その後免許制度の変遷により現在は無制限で自動2輪に乗れるようになった。

免許証の種類
娘婿殿はハーレーで国内を走り回っているが、小生といえば450ccのバイクを借りて試乗したことがあって、アクセルをちょっと回しただけで体が置いて行かれる感覚になり驚いたものである。それ以降、乗りたいなぁという気持ちにはならない。


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