大学病院前なので退院する人やその家族等の荷物を金沢駅までリヤカーに載せ自転車で引いて運搬した。
国立病院を過ぎて兼六園入口付近で右折すると、かなり急な坂道になる。その坂をしったれ坂と呼んだ。しったれ坂とは尻垂坂と書くことを後で知った。今では観光都市にふさわしくないということで、兼六坂と呼ぶようになったのだという。
金沢駅で荷物を渡して役目を終えて帰るのだが、この坂は自転車を降りてリヤカーを引っ張り上げるしかなかった。自転車はリヤカーを引くため、頑丈な造りで荷台も大きかったから、リヤカーと一緒に重い自転車を押して坂道を登るのは大変だった。だからこの坂を通る時にいつも往時の辛い思いがよぎる。
このバイトは一往復だけでは入場料に足りなかった。2回で封切り映画を見ることができたかどうかだったように思う。
当時はこの坂に市電が行き交っていた。
右に国立病院の塀が見える |
しったれ坂を行き交う電車の戦前の絵ハガキ |
今の兼六園駐車場付近(大正10年らしい) |
金石から長田までの電車は市電より3年早い大正5年開業だったそうである。
大正時代が金沢の黎明期だったようだ。
0 件のコメント:
コメントを投稿