2022年11月26日土曜日

待ち遠しい二の丸御殿復元

先日、NHKで明暦大火が江戸幕府の体制に大きな変化を及ぼしたことについて放送した。
明暦の大火は1657年に発生したのだが、それより遡ること26年前に金沢においても大火が発生して金沢城が炎上したため、城の機能はに二の丸に移されたという経緯がある。
その金沢城の復元整備は玉泉院丸公園や鼠多門が復元され、総仕上げの二の丸御殿の復元整備が進められている。

以下、県の試料参照
加賀百万石の栄華の象徴 金沢城二の丸御殿
初期の金沢城は本丸を中心に城づくりが行われたが、寛永8 年(1631)の大火を機に中心は二の丸に移り、大規模な御殿が創建され、以後、藩主の住まいや政務の場として城の中枢を占めていた。

二の丸御殿イメージ

廃藩後は軍隊の管轄に置かれ、兵舎として利用されましたが、明治14 年(1881)に失火により焼失し、威容は失われた。
県では、平成30年(2018)より、専門の学識者による検討や各種調査等を行い、御殿の復元整備に向けた取り組みを進め、令和3年(2021)3月に御殿の復元整備に向けた基本方針を策定した。

令和3年度(2021)からは、復元整備事業に着手し、基本方針に沿って調査や設計等の取り組みを進めています。

二の丸御殿の発掘調査

調査の結果、礎石の基礎に2つのタイプがあることが分かり、珍しい事例であることが判明した。

残された資料により復元計画が具体化した

旧陸軍や金沢大学の建物があったにもかかわらず遺構が良好に残存しており、復元設計に資する痕跡が良好に残されているという。
自分は現職中に、金沢城の石垣調査に関わることができた。1日も早い復元が実現できることを期待している。

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