2025年2月13日木曜日

60年前の記憶

60年前といえば昭和40年、齢22歳、中央本線恵那~中津川間複線化工事に従事していた頃である。毎日々々、繁忙の日々に埋もれていた。

恵那山の麓 数キロ先が長野県境に近い中津川市

中央西線名古屋・塩尻間がハチの巣をつついたように複線化工事が行われていた時代である。業務量が急増し、昭和40年から3年間は国鉄の複線化工事が急増し、新規採用が毎年複数回行われた。

そんな多忙にもかかわらず、事務所関係者一同の旅行会が開催された。行先は浅間温泉、霧ヶ峰高原、黒四ダムだった。

この写真は黒四ダムが完成してまだ間もない頃、ダムの裏側に行くことができた頃であった。その頃と言えば、今時と違ってどこへ行く時でも背広を着た時代だった。

徹夜の仕事も多々あった。60年前の写真を見て色々な出来事が思い出された。

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