東海道新幹線は1日、開業60周年の節目を迎えた。日本の大動脈を担い、高度経済成長を支えた同新幹線の累計乗客数は70億人にのぼる。JR東海の丹羽俊介社長は東京駅で開いた出発式で「きょうから始まる未来に向けて、一層愛される東海道新幹線をつくるべく努力を続ける」とあいさつした。
1964年の開業当初は「夢の超特急」と呼ばれ、東京と大阪を従来より2時間半短い4時間で結んだ。同年の東京オリンピックなどとともに、日本の経済力の向上を象徴する存在になった。
開業当初の東海道新幹線の出発式(1964年10月1日、東京駅)
車両は団子鼻で有名な初代「0系」から最新車両「N700S」まで7世代が導入された。最高時速は開業当初の210キロから285キロまで上がり、東京―新大阪間の所要時間は最短2時間21分と開業時から4割近く短縮した。一方で、白い車体に青いラインという基本形は変わらず、どの時代にもそのカラーリングで愛されてきた。
車両は団子鼻で有名な初代「0系」から最新車両「N700S」まで7世代が導入された。最高時速は開業当初の210キロから285キロまで上がり、東京―新大阪間の所要時間は最短2時間21分と開業時から4割近く短縮した。一方で、白い車体に青いラインという基本形は変わらず、どの時代にもそのカラーリングで愛されてきた。
近年は新型コロナウイルス禍で落ち込んだビジネス客が回復途上にある。JR東海は沿線地域などと連携して新たな客層の発掘を進める。1日あたりの列車本数は8月に過去最高の480本超を記録するなど、輸送力の強化にも取り組んでいる。
昭和39年8月、この新幹線名古屋駅から豊橋間の試運転列車に乗った。吾々国鉄工事関係者に試乗の機会を設けてもらった。車内速度表示版が時速200km、この表示を見た時は感動したものだった。よし、俺も新幹線を建設するぞと誓った。
そして1969年(昭和44年9月)、山陽新幹線建設のため広島に転勤した。
2025年3月には新大阪―博多駅間を結ぶ山陽新幹線の全線開通から50周年となる。
そんな記憶を呼び覚ませたニュースだった。
0 件のコメント:
コメントを投稿