2018年1月30日火曜日

今年は能登立国1300年なんだとか

平成時代も30年となって終わりを告げる。小渕総理が平成と記したボードを掲げたシーンが思い出される。平成になっても6カ月の通勤パス有効期限は昭和64年4月となっていた。今年は明治150年にあたるという。私はその半分75年間生きてきた。そう考えると江戸時代から明治になったのはそんな昔ではなかったのだなと思う。

去年は白山開山や那谷寺開闢1300年だった。その記念事業がいろいろと行われたが、今年は能登立国1300年だという。710年(和銅3年)に元明天皇によって平城京に遷都し、いわゆる奈良時代になった。それから7,8年後になるのだが、政治的にも安定期に入って地方にも文化が花開いた時代になったということだろうか。

1月4日の年頭知事会見では、谷本知事は次のように語った。
今年は、奈良時代の養老2年、西暦718年に、当時の越前の国から羽咋、能登、鳳至、珠洲の4郡を分けて、能登国が立国してから1300年という大きな節目の年にあたるわけであります。
地元では、この節目の年を、能登を全国にアピールする絶好の機会と捉えまして、現在、能登の4市5町や観光協会、民間事業者等で組織する能登半島広域観光協会を中心に、県も参画しまして、これまで実施をしております、「能登ふるさと博」の充実など、具体の検討がなされとるところであります。
さて、歴史はその後、741年(天平13)に能登国は越中国に含まれてしまう。 大伴家持が越中の国主に赴任したのはその頃である。
再び能登国として立国するのは、16年後の757年(天平勝宝9)となる。
能登の政治を行った国府は、七尾市内に所在したとされているが、その所在地は現在も不明である。


能登国分寺復元
能登国分寺は843年(承和10)に能登臣氏の氏寺とみられる定額大興寺を転用して創建されたという。それは、聖武天皇が741年に国分寺建立の詔を出してから100年余りが経過していた。
全国的には国府の近辺に国分寺が設置されることが多く、能登国府もこの周辺に所在した可能性が高いと考えられている。 
上杉謙信に攻め滅ぼされるまで、畠山時代200年間の功績を見つめなおす機運も盛り上がってきた。

そんなこんなで、今年はこんな行事も予定されているので参加してみては如何でしょうか。
「平成30年能登立国1300年」能登和倉万葉の里マラソン2018
平成30年3月11日(日曜日)午前10時スタート

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