2018年1月21日日曜日

漁師町の文化

輪島市の海女は九州松浦がルーツだという話を聞いたことがある。1000年以上の伝統を受け継ぎ現在に至っているのだが、神事なども独特な文化を承継している。
〇起舟祭
一年の漁の始まりを告げる神事「起舟(きしゅう)祭」が十一日早朝、漁師町の輪島市輪島崎町と海士町であり、漁師らが豊漁と安全操業を祈願した。

輪島崎町の輪島前神社では午前四時半ごろから、かみしも姿の漁師が続々と参拝。お初穂(玉串料)を供えた後、地元の中学生から、輪島塗の朱塗り棒についた幣(ぬさ)でおはらいを受け、小学生からのお神酒と御供米(おくま)の振る舞いで身を清めた。

参拝した漁師たちは、雪が降り積もる中、家紋付きのちょうちんで足元を照らしながら、神社近くの輪島港へ。係留する持ち船や漁場の方向を向いて、かしわ手を打ち、一年間の海上安全を願った。


両地区では起舟祭を終えるまで漁に出ないことから、この日は漁師の「元日」ともいわれている。漁師歴四十年以上の二木利勝さん(68)は「雪と一緒につきものも落ちて、今年は無事に漁に出られる日が続くといいね」と話した。
〇面様
輪島崎町に古くから伝わる新年の行事。1月14日(おいで面様)と1月20日(お帰り面様)の2回行なわれる。これは、輪島前神社の氏子の各家々の厄除けの神事である。


男面と女面をつけてペアを組んだ小学校6年生が、無言で各家々を回る。各家では丁寧に迎えられ、神棚の前に座り、主人から年賀の挨拶を受ける。
この面様年頭は、「アマメハギ」や東北の「ナマハゲ」に似ていますが、趣が異なるものである。
午前8時30分頃から神社において神事が行われ、その後面様が神社を出発する。見学する場合、少し早めの午前8時頃より神社へ行くと良いだろう。


〇恵比寿講
海の神として信仰される恵比須様に今年の漁の無事と豊漁を感謝する神事「恵比須講祭(えびすこうまつり)」が20日、漁師町の同市輪島崎町で行われた。氏子から選ばれた裃(かみしも)姿の「講番」が木彫りの恵比須像を抱えて町内を練り歩き、来年の豊漁も願った。 


講番の11人は、輪島前(さき)神社でおはらいを受けて出発し、約200軒を海側から順番に回った。合図の太鼓の音が聞こえると、住民は玄関先で出迎え、講番が抱える恵比須像にかしわ手を打って頭を下げた。

巻き網漁などを行う輪島漁業生産組合の坂岸静男組合長(82)は「今年は順調に漁ができた。これからもみんなが無事に操業できるようお願いした」と話した。
恵比須講祭は江戸時代から伝わる年2回の神事で、市無形民俗文化財に指定されている。1月10日の「おでまし恵比須」と、11月20日の「おかえり恵比須」がある。

御神体の持ち回りという文化は、仏教でも御本尊を持ちまわる風習があるが、面様にしても恵比寿講にしても200軒にものぼる家々を回る文化は輪島独特といえる。
それに面様は小学6年と4年生が交代で面を付けて回るという不思議な文化ではある。

〇もっそう祭り
この祭りは輪島であっても漁師ではなく農民の祭りである。
年に一度の贅沢
昔々、年貢の取り立てで苦しんでいた農民が、密かに集まって隠し田で収穫した米を年に一度だけ腹いっぱい白い米を食べたのが始まりとされている。
「もっそう」と呼ばれる木枠を使って輪島塗の朱色の椀に5合の白米を高さ18cmに盛り付ける。

みんなで食べるおかずは、大根・人参・胡麻の酢和え、ごぼうの南蛮味噌和え、わらびの辛子味噌和え、豆腐とメギスの団子汁など。
昔は、一杯8合のご飯を盛っていた時もあった。現在は、5合くらいだがほとんどの人が食べきれずに持ち帰る。
年々、地区の世帯は減少し、現在は15世帯が持ち回りで当番の家を決め、伝統を守っている。

輪島は能登にあるのだが、方言にしても独特のイントネーションがあって、あっ、この人は輪島の人とすぐわかる。
海女の文化遺産登録の動きもあって、輪島の文化は奥深い。

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