山陽本線の輸送力がもはや限界といわれただけに、列車の本数がおびただしく、特急しおじ等の特急列車や貨物列車の往来が半端なものではなかった。
列車が通過するたびに鉄橋はけたたましい音を発した。そこに引っ越しして慣れるまでは寝れたものではなかった。特に夜中の寝台特急の本数がやたら多かった。
昭和49年12月に就任した三木武夫総理は「対話と協調」を掲げ、労働側とも対話する姿勢を示したのだが、以前の田中総理時代に国労はスト権スト闘争を繰り広げていた。
このスト権ストで山陽本線が完璧にストップしたことがあった。それまで、何本列車が走ろうが、どれだけ鉄橋の騒音が発生しようが、夜中に目覚めることがなかった。
ところがである。静か過ぎて寝付けないのだ。
高校生の時に、ある先生がこんな話をしてくれた。
「私は教員の前職は船の機関士をしていたが、休暇で家に帰ると静か過ぎて寝れなかった」。自分も似たような経験をして、ようやく先生の言葉が理解できた。
この頃、賃上げ交渉は当局対労組が厳しく渡り合っていた。
ベア要求は当然組合がするものと思っていたのだが、5日に開催された経済3団体の新年祝賀パーティで何と首相が「賃上げ3%を」と要請したという。
首相は東京や関西などの百貨店で初売りが好調だったことに触れ「4年連続で最も高い水準の賃上げが行われてきた成果だ」と強調した。「景気は気からというが、だんだん気が充満しつつある。今年はもっといくかな、という期待感が人々の足をデパートに運んだのではないか」と話した。
首相は昨年12月の経団連の会合でも「長年の懸案であるデフレ脱却を実現するためにも、ぜひ来春も力強い3%以上の賃上げをお願いしたい」と要請していた。
労組にとっては、こんな好ましいことはない。
だが、それは組合の衰退化を象徴している。吾々が現役の頃に、日本の労組を牽引していた総評は、平成の幕開けと共に消滅した。
そして新しく誕生した連合さん、頑張ってくださいよ!
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