誰かと一緒にある場所に行ったのだが、誰だったかは思い出すことができない。ある場所とは敦賀から米原方向へ5つ目の駅が高月駅で、その近くのお寺である。岐阜から出かけたのだから車で行った。関ケ原から伊吹山の裾野を走り、国道365号線から市道に入り間もなく目的地に到着した。
渡岸寺(どうがんじ)というお寺なのだが、あるのは観音堂だけで、向源寺という境内にある。向源寺は浄土真宗のお寺で、阿弥陀如来以外の仏像は「あってはならない」掟があるという。その「あってはならない」仏像は十一面観世音像なのだ。
その観世音像は天平8年(736年)、当時、都に疱瘡が流行したので、聖武天皇は泰澄に除災祈祷を命じ、泰澄は十一面観世音を彫り、光眼寺を建立し息災延命、万民豊楽の祈祷を行い、その後憂いは絶たれたという。
十一面観世音像 |
姉川の合戦に備え、仏像は密かに埋められた |
十一面観音像が文化財保護法に基づく国宝(いわゆる新国宝)に指定されたのは昭和28年(1953年)のことである。同年より、十一面観音像と胎蔵大日如来坐像は、高月町国宝維持保存協賛会の理事が毎日交替で維持管理に当たっている。
国宝は手が触れられないようにガラスケースに収められているか、拝観できる位置が仏像から離れているのが一般的であるが、ここの国宝は異色。手を伸ばせば触れられる至近距離で拝観でき、背面に回っても鑑賞できる。
一般的に観音様といえば女性をイメージするのだが、観音様は一応は男性だし、あえて言うなら性別を超越した存在でもあるが、慈悲の心を宿しているので、仏師はどうしたって、彼の中に女性性を見出すのだろう。
今にも歩き出しそうな感じで右足を動かさんばかりの姿が、腰のひねりと相まって、なんとも艶っぽい仏像である。興福寺の国宝館に行ったことがあるが、この十一面観世音像ほど感銘を受けたものはない。
そして、頭の上に戴く、11面の化仏。
高さだけなら、顔と同じ大きさである。これほど立派な大きさのものが並んでいるのに、全体を見るとちゃんとバランスがとれているのも、ただものではないと推察できる。気品に満ち溢れている。 さて、実は、どの十一面観音も、真後ろの顔は、爆笑していて、これを「暴悪大笑面」というのだそうだ。
戦禍を逃れるために大慌てで村人が仏像を避難させたのか、恐らくそのために光背がないのであろうが、そのお陰で現代の我々はこうして、暴悪大笑面を拝むことができるわけである。
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