′85春と表示があるので昭和60年。この時刻表が発行された時は金沢駅付近連続立体交差化(高架化)工事の前段となる貨物ヤード移転が終わった頃である。現在、県立音楽堂付近が上り貨物仕分け線や日通があった所で、駅西にあった下り貨物仕分け線群等が、高柳地内に移転集約された頃なのである。
表紙の写真は長野ステーションビル。昭和60年4月6日開業予定と記されている。ということは、まだ工事中の写真ということか。
昭和57年、私は岐阜から金沢駅貨物設備移転工事関係業務のため、金沢に赴任した。56年年末に家を金沢市内に新築して家族は既に居住していたので、私は岐阜に単身赴任していたのだが、これを機に暫くの間だが普通の家族になったのであった。
金腐川、疋田、柳橋、法光寺、横枕等4つの地下道や、上り貨物通路線高架橋を担当した。地下30mの杭を何本も施工するのも大変だった。
業務は過労死並みの激務だった。その頃の事務所の写真があるが、どの机の上も書類が山積していて無茶苦茶な労働環境だったことが想像できる。
十数名の机が見えるが、きれいな机は見当たらない |
さて、話がそれたので時刻表に戻そう。
金沢ー穴水・輪島・蛸島の時刻表を開いた。金沢発8時00分の急行能登路1号が2時間23分で宇出津駅に到着した。廃線になって15年、もう永久にこんな急行は走らないと思うと懐かしさを通り越して悲しさに変わる。
北陸線のページをめくると、これも今はない北越や白鳥の名が掲載されている。
新幹線が完成して本当に便利になったのかなぁ。
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