2022年6月7日火曜日

開業予定の目処立たず・・に、にんまりする知事

川勝知事はJR東海の新提案「減水する水はダムから100%供給する」案も一蹴した。「静岡からすれば、JR東海は地元にのぞみを止めない東海道新幹線で大儲けしている。その上、その金でリニアをつくって、また駅をつくらない。リニアは水の不安だけあって、何の恩恵もない。JR東海は静岡のことはどうでもいいのか、という強い不満がある。観光列車を走らせるとか、『地元を大切にしてます』という姿勢をもっと前から示しておけば、リニアの静岡問題はこんなにこじれていなかったはずだ」とする意見もある。

何でウチだけ駅がないんだ!・・・と静岡県が

知事は、田代ダムの取水制限で大井川に水を戻すJR東海の新案に関し「田代の水はリニアと関係がない。これを戻すからトンネル工事をしてもよいとはならない」との考えを示した。
「あくまでもルート変更して県内にトンネルを掘るな」ということなのだ。これは静岡のやんちゃこき。紛れもないクレーマーなのだ。

と言うわけで、川勝知事はJR東海に対する怨念をズーッと持ち続けている。27年品川・名古屋間の開通予定は全く見通しがつかなくなった。
しかし、急に建設促進既成同盟会に加入の意思表示をした。静岡以外の各県に対して、「白い目」で見られていることの善後策と考えているようだ。

自分が担当した山陽新幹線大野地区の大野町は、町長が社会党推薦で当選した町長なので、ルート変更を強力に主張して随分着工が遅れた。町長とすれば「遅らせた」ことが成果だった。
川勝知事も同様の目的かもしれない。

2022年6月6日月曜日

3つ違いの偉人と凡人

3月末にサンフランシスコを出発して二ヶ月半、紀伊水道にゴールインした堀江謙一氏(83)が単独無寄港の太平洋横断を果たして、世界最高齢者の新記録を樹立した。60年前はその逆コースで太平洋横断に成功して世界をアッと言わせた。当時(S37)、自分は間もなく20才、堀江氏は23才。年の差たった3つで世界に冠たる偉業を果たした。無許可でアメリカに上陸したのだが、世界的快挙でサンフランシスコ市長は特別な待遇で大歓迎してくれた。自分は何をしていたかというと、能登線宇出津~松波開業を1年後に控えて、軌道工事の管理業務に明け暮れていた。

60年前の太平洋単独横断成功!

こんな小さいヨットで太平洋を横断するとは「無謀」と思った。しかし、それを実行に移して降りかかる難関を突破してゴールしたことは世界的英雄として称えらた。

昨日(5日)の記者会見

堀江さんがヨットで太平洋を横断したのは3度目だったことを初めて知った。
「まだ青春の真っただ中。若輩ではありますが大器晩成を目指し今後も挑戦し続ける」となお燃え盛る冒険心を示したという。
今後も挑戦し続けるとまだまだ意気軒昂。俺も年を数えるのは止めにして、何かに挑戦したらどうか・・・と問いかけても言葉は出てこない。やはり凡人は凡人なのだ。

2022年6月5日日曜日

あいそよかった竹中利家公

昨日は目玉イベント百万石行列が開催された。町に行列見物に出かけた人は34万人だという。行列の参加者が2,100人。その生中継が民放二社で競っていた。あっちのチャンネルはなんだろうと時々替えた。何年か前に行列に参加したことがあったが、金沢駅前から金沢城までの距離は長いし、パフォーマンスも3回ほどやったので非常に疲れたものだった。

出発号令は竹中利家公 
利家の金沢入城は竹中利家と年齢差が大きいように思うがどうなんだろう

乙田修三氏が今回も歌っていたが、今年で限界だろうという感じがした。

日傘+コウモリ傘?は馴染まない違和感が

行列参加者が2,100人
何年か前にその1人だった

観客大興奮

粟崎の奴行列は好評
観客に向かって「拍手がたりないよ」と声がかかるときも

赤母衣衆に拍手喝采

こんなに観客が多いケースは今までなかったこと
新型コロナウイルスの影響で中止が続き、開催は3年ぶり。前回より若干規模を縮小した。主催者によると、約34万人が見物に訪れた。ともあれ、素晴らしい天候に恵まれ、3年ぶりの百万石行列を大いに楽しめた。主催者のご苦労にも感謝である。

2022年6月4日土曜日

国内初めての新幹線と道路が併用となる新九頭竜橋が間もなく完成

福井市北部の九頭竜川に間もなく新九頭竜橋が完成するという。
新九頭竜橋の特徴は、福井県道268号福井森田丸岡線と北陸新幹線の橋が一体的に造られた「鉄道道路併用橋」であることである。新幹線と道路の併用橋は全国で初めてとなる。

完成予想図
橋は、道路が線路の両側を通っており、橋脚を共有している。長さは、道路の上流側が416m、新幹線と道路の下流側が414m。道路は片側2車線で、歩道を含んだ幅は各11mとなっている。

新幹線の橋梁を何カ所も設計した身としては、橋脚共有のメンテをどのようにやっていくのか気がかり。維持管理方法を鉄道側と道路側で十分協議が行なわれる必要がある。このようなケースは希で、今後このようなタイプは増えることはないと考えられる。2022年10月22日に開通予定。

2022年6月3日金曜日

新幹線に初めて乗った高揚感

昭和38年7月25日から始まった東京~新大阪間の新幹線全線試運転のほか、各地域毎にも地元民等を対象にした試乗会が設けられた。吾々職員にも、昭和39年8月末に東海道新幹線試運転列車に試乗する機会が与えられた。

試乗した際に撮影した数枚の写真の中で、試乗する列車がホームに到着する写真があった。モノクロをAI彩色したらより一層その時の高揚感を思い出した。名古屋~豊橋間を往復したが、当時の沿線風景は田園風景がかなりあった。

目の前に停車した新幹線列車に気持ちが高ぶった

豊橋まで20分くらいだっただろうか。車内は静か、振動騒音なし。計器板を注視していると200kmを表示した。

隣の人は居眠り中

高架橋や盛土部分が多いので、景色の見晴らしが良かった。この体験があったから、5年後の山陽新幹線建設業務の募集で俺もやってみたいと思い、手を上げて広島で6年間勤務した。広島の試乗は家主の大家さんに試乗券数枚を贈呈したら、地元の人を誘って大変喜ばれた。転勤は広島港から大阪港までフェリーだったので、女房から試乗したかったとクレーム・・・

しかし、広島から博多まで「線見」という業務命令で最後部の運転席で往復した。

自分の手がけた区間の大野地区高架橋を走行中

当時、4才だった長女はもう50才を回った。トホホ・・・

2022年6月2日木曜日

3年前の最終同窓会

コロナ禍まん延の前年に最終回となる高校の同窓会が開催された。開催は3年おきに行なわれていたが、高齢化を踏まえ今回でもって最終回としようと決定していた。同窓生は地元のほか、関東や関西、北海道や九州とほぼ全国に散らばっていることで、往復の負担が大きいことも考慮された。幹事は各クラス持ち回りで、数回に一度幹事となった。会場は山代温泉とした。

宴会の締めに恒例の校歌斉唱が行なわれた

二次会は盛り上がった
このほか、クラス単独では毎年近場の会場で開催していたが、コロナ禍のため2年間開催されていない。同窓会の剰余金が各クラスに配付されたので、会費徴収なしで開催したいと思っているのだが。

この年に中学のクラス同窓会が同じく山代で開催された。クラス同窓会は最終回という話しはまだないので、コロナが治まればまた開催されるだろう。

幹事あいさつ

大手製薬会社に勤めていた薬剤師と高校教諭だった人に挟まれた

どういうわけか、この年に職場の同期会も岐阜市長良川の鵜飼見物の船で開催された。
同期生は21人なのだが、亡くなった人が4人となり、参加者は7人と非常に少なくなってしまった。
鵜飼船の乗り場は超満員だった

参加者7人
自分以外は岐阜市近郊や蒲郡市在住なので、毎月岐阜市の飲み屋で交流しているという。

中学クラス会にしても同期会にしても、元気な内は努めて参加したいものである。
さて、あと何回できるかなぁ。

2022年6月1日水曜日

昭和45年東金沢付近の航空写真と現在を比較した

 昭和45年6月といえば結婚して二年目、吾が輩は山陽新幹線建設業務のため、岐阜から広島に転勤して半年過ぎた頃である。当時東金沢駅付近を撮影した空中写真があった。その写真をAIカラー化した。この付近には昭和31年頃に野球の応援に鳴和中学グラウンドに行ったことを覚えているが、グラウンドの西側がレンコン田だったことを覚えている。

写真中央の煙が上がっている所は工場だという

かつては日本電工やオリエンタルチエン工業などの大きな工場があった。東金沢駅前が終点の市電も通っていた。北陸新幹線建設で移転するまで、駅はもっと家に近かった。昔を知るある人によると、「降りてくる人がものすごいたくさんいた」。やがて工場の跡地は住宅街となり、道路も広くなった。

そして今、新幹線が高架を走る。旧駅のシンボルだった大木から接ぎ木したサクラが花を咲かせる。

新幹線はこの建物の真上に建設されることに計画されていた

そして今のこの付近はどう変化したのか、3D写真で昔の写真の位置をあわせて比較してみた。

全ての田んぼは都市化した

工場跡地は武道館等に変貌している。鳴中のグラウンドは昔のままでホッとした。
さて、50年後はどのように変貌することやら・・・100%確認できないなぁ。