昭和45年6月といえば結婚して二年目、吾が輩は山陽新幹線建設業務のため、岐阜から広島に転勤して半年過ぎた頃である。当時東金沢駅付近を撮影した空中写真があった。その写真をAIカラー化した。この付近には昭和31年頃に野球の応援に鳴和中学グラウンドに行ったことを覚えているが、グラウンドの西側がレンコン田だったことを覚えている。
写真中央の煙が上がっている所は工場だという |
かつては日本電工やオリエンタルチエン工業などの大きな工場があった。東金沢駅前が終点の市電も通っていた。北陸新幹線建設で移転するまで、駅はもっと家に近かった。昔を知るある人によると、「降りてくる人がものすごいたくさんいた」。やがて工場の跡地は住宅街となり、道路も広くなった。
そして今、新幹線が高架を走る。旧駅のシンボルだった大木から接ぎ木したサクラが花を咲かせる。
そして今のこの付近はどう変化したのか、3D写真で昔の写真の位置をあわせて比較してみた。
全ての田んぼは都市化した |
工場跡地は武道館等に変貌している。鳴中のグラウンドは昔のままでホッとした。
さて、50年後はどのように変貌することやら・・・100%確認できないなぁ。
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