それでも一時避難所に身を寄せていた人は減少した。半壊して傾いている家に帰られた人も多いと聞く。
令和6年能登半島地震は1月1日16時10分、半島北端にあたる珠洲市の深さ16kmを震源として発生。輪島市と志賀町で震度7、周辺各地で震度6強など、震度1以上の揺れが北海道から九州地方にかけて観測された。
内閣府などのまとめによると、11月26日までの死者・行方不明者は462人(うち災害関連死235人)、負傷者は1345人に上る。住家の被害は全壊6437戸、半壊2万3086戸で、停電は最大約4万戸、断水は最大約13万6440戸に及んだ。
道路も路面の損壊や土砂崩れなどによって各所で寸断され、救援活動に大きな障害をもたらした。
復興を目指すなかで、再び大きな自然災害に襲われた。9月20日から22日にかけての「令和6年奥能登豪雨」では、石川県内の多い所で総降水量が500mmを超えた。これは9月の月間降水量の2倍を超える数値である。
朝市通り付近の焼け野原だった地域にようやく重機が稼働を始めた。他の地域もまずがれきの始末から始めないと復興の槌音は響かない。
0 件のコメント:
コメントを投稿