そのころPCは30数万円はしていたと思うが、そのシーンを見てすごく羨ましく思ったものである。そして、かなりの高齢者がキーボードに向かって入力している場面が出てきた。日本一の電脳村という番組タイトルだった。
ところがである。配布されてから4年後(平成12年)のローカルテレビ局のリポートがあった。
富山県の中部に位置する山田村(現在は富山市に合併)。駅もコンビニも無い、これといった特産物も無い、日本のどこにでもあるような山奥の村。しかし、ただ一つ違ったことがあった。それは村中の各家庭にパソコンがあることでである…。
山田村は5年前(平成8年)の夏、当時の国土庁の地域交流拠点施設モデル事業の採択をうけ、村中の家庭に無料でパソコンを配布する電脳化計画を立てた。各家庭に配られたのは、1台35万円のテレビ電話付きパソコンセット。総額3億6千万円をかけた、村始まって以来の一大プロジェクトだった。高齢化が進むこの村で、ほとんどの人はパソコンを見るのも触るのも、もちろん初めての経験。
突然、家にやって来た不思議な白い箱。どうやら村を変えてくれるらしい。一体、何が起こるのか?ほとんどの村人にはさっぱり分からなかったが、パソコンにかける期待は高まった。
ネットを通じて村中の家庭に成人式の様子が生中継され、趣味の写経をキーボードで打ち込むお年寄りも現れた。村のホームページも登場し、一軒一軒の家がアイディアを凝らしたデジタルタウンで、新しい形のコミュニケーションの誕生した。何かが変わる。そんなムードが、村中を包みこんだ。
パソコン普及率日本一。村挙げての電脳化計画は日本中の注目を集めた。
が、しかし…。村はいつしか「電脳村」と呼ばれることが重荷に感じるようになっていた…。
こんな導入部で始まるのが平成12年10月10日(水)放送の第10回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品『電脳村の火星人 ~山田村6年目の夏物語~』(制作 富山テレビ)だ。
取材のきっかけについて富山テレビの前谷喜光ディレクターは、
「山田村は過疎と高齢化という大変厳しい様々な問題を抱えています。農業従事者の大半は60歳以上の高齢者のため、年々段々畑は歯抜け状態となっています。さらに、米価格の低迷と国の減反政策が追い討ちをかけ、人口はとうとうピーク時の半分の2000人を切ってしまいました。
ITバブルがはじけて、IT不況といわれる今日。電脳・山田村の話は、日本のどこにでもあるのではないでしょうか。過疎と高齢化に悩み、村おこしに躍起になっている村はITという夢に飛びつく。ハードは揃えたけれども、ネット上に流す肝心のソフトが育たない。いつしか夢は色あせていくという構図です。そんなことが、この取材のきっかけでした。そして、これは番組になると手応えを感じたのはある村人との出会いでした」と語る。
・・・あれから20数年が経過した。タブレットなるものが出たと思う間もなくアッという間にガラ系からスマホに変革し、このためパソコンに向かう人間が減少したという。
村の全世帯にパソコンを無償配布し、日本一の電脳村ともてはやされたが、やはり過疎化に悩む普通の村に戻ってしまったようだ。
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