2018年12月1日土曜日

アマメハギ保存会長との縁

一昨日(29日)午後4時半、国連(ユネスコ)で審議されていた日本の無形文化遺産の「来訪神」が登録決定となった。件数は国内で次の10件。県内では輪島市の面様、門前と能登町秋吉のアマメハギが3件である。
吉浜のスネカ - 岩手県大船渡市
米川の水かぶり - 宮城県登米市
男鹿のナマハゲ - 秋田県男鹿市
遊佐の小正月行事 - 山形県飽海郡遊佐町
能登のアマメハギ - 石川県輪島市鳳珠郡能登町
見島のカセドリ - 佐賀県佐賀市
甑島のトシドン - 鹿児島県薩摩川内市(下甑島)
薩摩硫黄島のメンドン - 鹿児島県鹿児島郡三島村薩摩硫黄島
悪石島のボゼ - 鹿児島県鹿児島郡十島村悪石島
宮古島のパーントゥ - 沖縄県宮古島市宮古島
来訪神という言葉は初めて聞いた。初めて、あっ、そうか、鬼は神様なんだと気が付いた。


 能登のアマメハギの地元の輪島市と能登町では、審議の模様を大型テレビでインターネット中継するパブリックビューイング(PV)があり、登録が決まると住民らが歓喜に沸いた。

「アマメハギや」「決まった」。二時間ほど前から十五人が集まっていた能登町秋吉公民館。決定の瞬間、来訪神の仮面やわらの靴を手にした住民らは拍手し、喜びを分かち合った。
同地区では、大人ではなく仮装した小中学生が家々を回るのが特徴。大場哲(のり)子さん(72)は「お年玉がもらえるみたいで、子どものころは年に一度の楽しみだった。生まれ育った所の風習が世界に注目されて夢のよう」と話す。 


三十五年前から同地区アマメハギ保存会会長を務める天野登さん(83)は、観光客らに風習を紹介したり、自宅を改装した資料室に招いたりしてきた。「伝統を受け継ぐ担い手は過疎化で少なくなっているものの、この文化は地域の宝。他地域の子どもや観光客にも参加してもらうなど工夫し継承に努めたい」と語った。 

輪島市の面様年頭
輪島市役所の一階ロビーには、保存団体の関係者や来庁者、梶文秋市長ら六十人ほどが集まった。登録が決まると、一斉に拍手が起こり、握手を交わして決定を祝い合った。
同市門前町皆月地区の伏見孝一区長(69)は「地域を挙げて長い間取り組んできたことが認められた」と喜びをかみしめた一方、「これからの活動も真剣にしないといけない」と気を引き締めた。

35年も前から保存会長を務めているという天野さんは、昭和36年に能登線建設業務で小木工事区に赴任したときに出会いがあった人。その時、天野さんは自衛官を退官され工事区の運転手をされていた。


小生19歳、天野さん27歳で双方独身。飯田、小木、宇出津のバーに一緒した。保線機械の修理のため、天野さんと二人で金沢に出張したのだが、千里浜海岸を全区間運転させてもらったり、石坂の旧遊郭街をたむろしたりした。天野さんの陰に隠れてひやひやしながら逃げ回るように歩いた。

進駐軍払い下げのウイルスジープが松波工事区と小木工事区に配車されていた。

ジープは本来はオープンカーだが、小木工事区配車のジープはワゴン式に改造されていた。当時は4駆は珍しく、遊びで急こう配ののり面や階段を登ったりした。中古車なので頻繁に故障した。クラッチ版が減ったということで修理費が15万円も。部品は国産品にはないので取り寄せとなった。初任給が1万円の時代、年収では足りなかったのだ。

当時、小生は無免許だったが、年末年始に留守居番を命じられて暇に任せて県道に出て運転の練習に励んだ。
アマメハギの話題が無免許の話になったが、能登線から岐阜に転勤して以降、顔を合わせたことはない。天野さんは能登線建設が終わったS39年に金鉄局に本採用となって定年まで尽力された。一度、お会いしたいと思っている人である。

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