2023年12月7日木曜日

15年前の出来事になった高架橋ウォーク

敦賀までの開業が決まって試運転中となっているが、そんなニュースを見ると15年前の出来事が蘇る。平成20年3月22日、孫と金沢駅新幹線高架下に集合した。その日は待ちに待った「高架橋歩こう会」だった。参加者が多いのには驚いた。仮設された階段を上って高架橋に立った。

時計駐車場の前あたりで当時7歳(小2)の孫を写した
その孫も大学4年生になり来年から大学院に行くという

この時点では開業が何時なのか不明

ここから以遠は立ち入り禁止だった
乙丸陸橋付近が遠望される

駅部付近で孫に撮ってもらった

展示されていた懐かしい写真があった

現役時代にはこの庁舎に何度も足を運んだ

この歩こう会の7年後に開業となった。随分長い間工事していたことになる。敦賀には何度も仕事で行ったものだった。開業したら行って見たい。

2023年12月6日水曜日

「あえのこと」の儀

 昨日(5日)は「あえのこと」が行われた。
5反百姓だったせがれの自分が子供の頃、親父がうやうやしく神事を執り行っていたことが思い出される。なにせお相手は神様なので、神様に向かって発する親父の言葉は実にうやうやしいものだった。この儀式は「奥能登のあえのこと」という名称で2009年にユネスコ世界無形遺産に登録された。「あえ」は神を供応する「饗」(もてなし)、「こと」はハレの行事を意味する「事」(神事)を意味すると言われ、毎年12月5日と2月9日に行われている。ちなみに2月9日の儀式は田んぼにお帰りになる日となっている。

先ず田の神様をお迎えする儀式が執り行われる

家に入られるとお風呂に案内する

出来える限りのお馳走を御上げする

2月9日 田にお帰りになられる儀式

今日ではこの儀式も実施される家庭がごく一部に限られてきた。伝統ある儀式は消滅させてはならない。行政も必要な援助を継続されることを願うものである。

2023年12月5日火曜日

金沢市の英断、北鉄石川線存続決定!

金沢市の野町駅と白山市の鶴来駅の間の13.8kmを結ぶ「北陸鉄道石川線」。朝は通勤・通学客で満員状態だが、慢性的に赤字が続いていて、2022年から存続の議論が行われていた。

今後を検討していた金沢市が、利便性向上策として増便を提案し、存続に向け北鉄と調整を進めているという。この路線には高校の遠足で倉ケ岳登山の帰りで、日御子から野町まで乗車した記憶がある。

石川線電車

金沢など沿線自治体は、鉄道施設の維持経費の一部を負担する方向のため、老朽化した車両の更新を含め、利用者の上積みを促す見通しとなった。その対策を年内にまとめ、来年1月の会合で決定する。市は早期のキャッシュレス化や他の鉄道・バスとの乗り継ぎ割引、パーク・アンド・ライドの拡充も要請し、利便性を高めて利用者を増やす「好循環」につなげる。そして、金沢、白山、野々市、内灘の4市町は8月の会合で鉄道を存続させる方針を決定した。

行政の支援策については、村山卓金沢市長が1日の市議会12月定例会本会議で、鉄道施設の維持経費の一部を沿線自治体が負担する「みなし上下分離方式」を採用したいとの意向を表明した。北鉄は鉄道施設を自治体に譲渡し、交通事業者が運行を担う「公設型上下分離方式」の導入を求めているが、金沢市はみなし上下分離の方が公設型より負担が抑えられるとみている。

こんな記事を見て思うのは、18年前に廃業となった能登線の存続について、行政サイドの援護がゼロだったことにはがゆい思いがつのるばかりだ。

2023年12月4日月曜日

金沢で今も続いている演技「若い力」

10年程前だったか、テレビのインタビューで金沢市内の通行人に「若い力」できますか?と尋ねた。数人のグループが直ぐ路上で「若い力」の演技を始めた。これは驚きだった。若い力は昭和22年金沢国体が開催され、この若い力が初めて演技された。

そういえば昭和24年入学の自分もこの演技の練習をさせられた。小学卒業まで毎年5月の運動会でやらされた。しかし今やってみろと言われてもそれは無理。

孫が6年生の時に運動会で演技した

金沢市小学校連合運動会では必ず「若い力」の演技が行われている。若い力は、戦後間もない昭和22年に「スポーツの力で国民に元気を!」との思いで開催された第2回石川国体に際して作られたスポーツの歌です。 そして、当時、金沢市の小学校教員だった稲場四郎先生ら3名がこの歌に合わせた集団演技を創作しました。

昨年、金沢市スポーツ遺産に認定された

以来、70年以上にわたり金沢市民に親しまれ受け継がれています。 この演技は「平和で明るい未来に向かって新しい日本を創っていこう」という力強さを表現して動きを考案したんだとか。金沢市の伝統演技「若い力」をいつまでも絶やさないように・・・

2023年12月3日日曜日

久しぶりの晴れ間

このところ天候が優れず外出もできなかったが、昨日の夕方に日差しがあったので久しぶりにウオーキングすることにした。慶応幼稚園のベビースクール前を通り、高速地下道をくぐり百坂地内に入った。

40年前になるがこの付近は吾が仕事のテリトリーだった

奥に見えるのは北陸自動車道との交差部。東金沢~森本間の上り下り線の貨物通路線を新設したのだが、その十年後くらいに旅客線が東金沢付近で海側に移動したため、この通路線は不要となり線路はなくなってしまった。要するに「イラン仕事」をしたことになった。

その何十年後かに新幹線高架橋ができた。ここを通り過ぎ、交差部に至った。

北陸線、高速道、新幹線が交差

森本駅の上部に高架橋があるが、この交差のためやたら高くなった。この交差部を専門用語で「コントロールポイント」と称される。この次のコントロールポイントは乙丸陸橋である。駅部を過ぎると広岡陸橋。そういえば、犀川手前の線路中心位置は紡績会社倉庫からの離隔が決められていた。懐かしい思い出である。


2023年12月2日土曜日

ゴール!ゴール!

十数年前になるが、アルバムに張ってある何ゼンマイとも知れない写真を外してデジタル化に取り組んだ。仕事から帰って暇をみて2年半をかけてすべて終わった。データが膨大すぎて「あの写真はどこだろう」と探しても中々見つからないので面倒である。整理の方法を考え直さなければならない。

そんな中で、独身時代に写した局内スキー大会の写真があった。局内スキー山岳班が企画実施した。スキー大会は岐阜県高山線高山駅のかなり手前の「舟山スキー場」で開催された。毎回、だいたい男女あわせて数十人が参加した。民宿の手配から会場までの足の確保まで主催者が面倒見てくれた。

圧勝!というシーンみたいだが、実際はビリッケツだった

だれが写してくれた写真なのかさっぱりわからない。子供の頃、スキーを履いて野山を歩き回ったが、ゲレンデというところで滑ったことは1度もなかった。カンカンに踏みしめられた雪面に立つことさえ未経験だったので全くの初心者だった。それでもレースに参加できるまでにはなった。黒姫山や妙高、赤倉等にも出かけたが、あまり上達はしなかった。

そんな思い出が湧いてくる写真だった・

2023年12月1日金曜日

思い出の東京駅北口横断歩道

昭和47年春、広島新幹線工事局在勤時に本社出張を命ぜられた。トンネル掘削工法についての説明をしてこいという命令だった。広島発はしっかり覚えていないが19時ころだったか。翌朝6時東京駅着。本社は9時からだったので構内のレストランで朝食をとった。そして9時前、北口横断歩道を渡った。渡ってすぐ本社だった。

現在の横断歩道
本社の建物はなくなり新しいビルが建った

この後、何度も業務打ち合わせのためこの横断歩道を渡った。金沢鉄道高架化の設計打ち合わせに膨大な資料を風呂敷包に包んで改札を出るとき、持っていた若い衆が突然「ワーッ」と叫んだ。風呂敷包みがほどけて資料がバアッと散乱した。人が次々に通る場所で這いながら資料を集めたことがあった。本社6階が建設局関係者の居場所だった。

昭和36年5月本社屋上鉄道神社に参拝

そんな思い出が詰まった国鉄本社建物が無くなって久しい。
しかし、思い出は尽きない。