2023年11月17日金曜日

サラリーマン46年の最終日

はやいもので、勤めを辞めて16年目を迎えた。就職は昭和36年(1961)3月、岐阜駅から徒歩10分ほどの東海道線の線路沿いに勤務先の事務所があった。当時の退職年齢は55歳。現代では考えられない若さだが、当時の50歳前後となる男性はよぼよぼだったように感じる。戦後の食糧不足が影響しているのだろう。

土木課第6係(能登線担当)勤務を命じられた
係長は泰緬鉄道建設体験者だった

その後能登線建設、中央本線複線化の多治見、中津川を経て広島新幹線を担当して岐阜に戻り、豊橋や金沢高架化を担当。S62から清算事業団名古屋支社に勤務し、レールシティ西日本名古屋支社へ出向後、石川県に転職した。建設技術センターで定年となり、平成19年3月64歳で退職した。もう2,3年どうですかと打診されたが、PCの設計図書は目の過大負担を感じて退職に踏み切った。

平成19年3月30日退職記念の花束を持って家に帰ったら
孫たちが出迎えてくれた。46年のサラリーマン生活だった

お陰様で46年間は大過なく過ごすことができた。
出迎えてくれた孫たちは大学4年、大学1年に成長した。間もなく男性の平均寿命に達する年齢になった。健康に留意しながら生活したいという今日この頃である。

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