先日、珍しい動画を見ることが出来た。
それはこれ、のと鉄道の列車が見附島を背に走行するシーンが目に焼き付き、20分ほどの動画を最後まで見た。
この写真の左側へ2kmほど進むと、能登線建設当時に勤務した国鉄岐阜工事局鵜飼工事区がある。ちょうど見附島が真正面に見える位置にあった。昭和36年夏、それは就職して4ヶ月目のことだった。上司が「君は能登出身だそうだな。能登線をやってくれ。現場はすぐ来てくれと云っている」と指示された。かれこれ59年前のできごとである。
動画は蛸島から穴水までの模様を撮影していた。
この写真は鵜島から恋路間の宗玄酒造の建物である。建設当時、作業員の一服は酒の香りが漂う倉庫の前であった。なにせ至近距離なのだ。現在、その立地を生かしてトンネンル内に酒を寝かせる場所に利用したり、恋路駅までトロッコ運転ができるように営業している。宗玄酒造は中々の商売人だ。
そんな動画を見て、のと鉄道廃止直前に「湯浅啓」という人が写真撮影して、「能登線日和」という写真集を世に送り出した。その1冊が手元にあることを思い出した。何度眺めても素晴らしい写真が沢山ある。
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九十九湾小木駅がお寺右上にある
写真右端付近に小木工事区があった
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小浦~羽根間 立山連峰が見える時もある |
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白丸駅 |
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白丸駅付近の軌道敷設工事状況 |
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開業前日の白丸駅 |
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写真集より車内の模様 |
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部活が終わったのかな? |
丁度これらの写真撮影が行なわれた前後に、能登線乗りおさめ会をした。同級生夫婦二組と6人の旅を満喫した。
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のと線乗りおさめ会 宇出津駅で |
もうこんな風景は跡形もない。
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宇出津駅で(38豪雪時) |
そんなわけで能登線建設当時の思い出が蘇った。そしてまたまた「悔しーい」思いが強くなった。
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